先生の指示を受けて動く子どもたちの様子について,クラスによってその動きに違いがあります。
テキパキと動けるクラスと,ダラダラとしか動けないクラス。
「掃除をしなさい」という細かなものにしてもそうだし,「運動会を盛り上げよう」という大きなものにしてもその差は出ます。
この差は一体どこからくるのでしょう。
要因はいろいろとあると思いますが,こんな「クラスの活気」について考える際に,一つの視点のなるものがあります。
「目的意識」というものです。
私が印象に残っている説話があります。
ある二つの国があり,それぞれにブロックを積み上げている男がいました。
片方の国の男に聞きました。
「なぜブロックを積み上げているのですか?」
男は答えました。
「王様がやれと言ったからさ。」
この男は嫌々ながらにブロックを積み上げ,作業は全くはかどっていませんでした。
次に,もう片方の国の男に聞きました。
こちらの男はせっせと作業を進め,ブロックも次から次に積み上がっていきました。
この男に聞きました。
「なぜブロックを積み上げているのですか?」
男は答えました。
「隣の国が攻めてこられないように頑丈な壁を作っているのさ。我々が平和に暮らすためにね。」
二人の男には,同じ命令が下されているのですが「目的意識」が違います。
片方の男は単に作業をすることしか伝えられていません。
だから,重たいブロックを積み上げる作業なんて嫌に決まっていて,力が入りません。
もう片方の男には,その作業の目的が伝えられています。
だから,つらい作業でもがんばれます。
王様がもっている目的意識を部下たちと共有できているかの差!
なんですね。
このことは,学級経営に関しても強く関係すると思います。
(もちろん「王様と部下」の関係ではありませんが)
先生が出す指示には,必ず目的があるはずです。
その目的は,クラスのため,学校のため,そして究極はすべて子どもたちのためになるはずです。
「掃除をしなさい」
という指示一つについても,なぜ掃除をするのかを,子どもたちに伝えるべきですね。
「教室をきれいにするために」
その言葉が添えられるかどうかに,先生のリーダーシップが表れます。
「教室がきれいだと,どんなにいいことがあるか」
を話せる先生は,さらに子どもを動かす力があると言えるでしょう。
先生は頭の中では掃除をする目的をもっていたとしても,それを子どもたちに伝えず,ただ「掃除をしなさい」ばかりを繰り返すだけでは,子どもはその活動に意味を見いだせなくなってしまいます。
何か子どもを動かす指示を出すとき,子どもたちがしっかりと動けるかどうかは,やっぱり先生の指示の出し方にかかっています。