研究授業を「やる」と感じるか
研究授業を「やらされる」と感じるか。
もちろん前者の方が理想的なのは言うまでもないのでしょうが,後者の意識で行われている研究授業も少なくないのではないでしょうか。
研究授業を控えている先生と話をすると,うれしそうに話す先生はほとんどいませんものね。(笑)
校内で「一人一研究授業」などとうたっているところでは,(研修に対する前向きな姿勢はいいのですが)「やらされる」と思っている先生もいることでしょう。
冷静になって考えれば,授業をすることが先生の一番の仕事だから,それを磨くのは当然の作業だと誰もが承知できることなのに,研究授業に消極的,批判的な人が意見が上がる研修を,私も何度か経験しました。
研究授業をするとなると,大変な仕事量になるわけですから,気持ちがおっくうになるのは分からなくはないですが,先生という仕事の大義を忘れたくはないですね。
さて,
私も研究授業が六日後に迫ってきました。
来年に公開を控えている体育のテーマ研修の一発目です。
それに向けて子どもたちに,あーだこーだ毎日言うだけでなく,自分自身にも喝を入れたいと思います。
その心得2つ目は
授業で何かを提案する意識をもつ!
これができている授業は見ていておもしろい。
いわゆる「視点」のある授業になります。
校内研修で掲げられているテーマのもと,目標に迫るために指導法を工夫し,それを他の先生に見てもらうのですが,
「こんな指導を試みています!いかがでしょうか!」
って感じで,話題を投げかけるつもりでできるといいですね。
しかもその提案は,目新しいもの,斬新なもの,であるほどおもしろい。
あまりに王道なもの,繰り返し実践がなされているものだと,見ていても
「あぁ,それは知ってるよ」
となっちゃいます。
もちろん,いい授業をつくるためにそれらを使うこと自体は決して悪いことではなく,むしろいいことなのですが。
ただ,せっかく他の先生にあつまってもらって見てもらえる研究授業なので,少しチャレンジしてみるといいでしょう。
そして,それが効果的である場合も,そうでない場合もあるでしょう。
そうでない場合,だから「悪い授業だった」なんて言う先生はレベルが低い。
そうでない場合も,なぜよくなかったを深く検討することで研修はまたぐっと深まり,それは授業者の先生のおかげとなります。
研究授業となると「いい授業をしなきゃ」ってなっちゃいますが,それは先生の何かを評価する授業だったり,研究公開の本番だったりするときは必要でしょう。
それ以外の,勉強会としての研究授業ならば,視点があり,おもしろい話題を生む授業を期待します。