6年生国語の「やまなし」に出てくる「クラムボン」
かぷかぷ笑ったり、殺されたり。
現在の教科書の注釈には
「作者がつくったもの。意味は不明。」
正確には覚えていませんが、そんな趣旨のことが記されているのみです。
そして、先生が必ず子どもたちにする質問
「クラムボンってなんだろうね?」
今日考えてみたいのは、この問いを簡単に扱うか、それとも深く子どもたちに追究させるか、ということです。
もちろん明確な答えはどこにもありません。
答えを出そうとするならば、考える人次第ということになります。
みなさん、いかがですか?
見えない答えを、問うわけです。
そこにはおもしろさも、危惧するべきことも含まれるように思います。
このクラムボンについては、現代の一般論では
「子どもたちに自由に想像させればよい」
もので
「深く追究するべきものではない」
とすることが多いようです。
私も今回授業をして、先輩の先生方に何人か聞いてみましたが、その種の答えが一番多かったです。
これまでにも6年生で何度かやまなしを授業したのですが、実際私も深く取り扱うことはしませんでした。
「何だと思う?」
を聞いて
「あわ」
とか
「かに」
とか
「ひかり」
とかいくつか子どもたちの意見を出し合わせて、軽く討論じみたことをして、さらっと先に進みました。
それを深く追究することが、この題材のねらいとすることと逸れてしまうし、追究させたのちに、それをどう扱うかも自信がなかったのです。
無理をしなくてもいいと判断していました。
そして、今年もその程度にしようと思って授業にのぞみました。
が、今年の子どもたちは「やまなし」に挑む姿勢が、なんというか、真剣そのもので、内容を読み取る視点もいいものを持っていました。
授業がおもしろく感じました。
そこで思いました。
(思い切って、クラムボンを投げかけてみようかな)
実は、私自身クラムボンについては強く思うところがあったのです。
それを子どもたちに語ったことはなかったけど、今年、初めて口にしてみようかなという気になりました。
・・・・続きは次回。