公開授業を終えて、また普通の授業に戻ります。
公開授業の次時の授業がやってきました。
このときって、担任としてはなかなか微妙な感じがするものです。
公開授業は精一杯の熱を込めて、準備をして授業をしました。
そしてそれをやりきって、もちろん気持ちはほっと一段落します。
しかし、何もその単元学習が終わるわけではなく、すぐに次時の授業が来るわけです。
正直、公開授業ほどの準備やテンションをもってくるのは難しい。。。
それができれば立派な先生なんでしょうけど。
かといって、公開でがんばったから少し楽にしよ~ なんて授業はしたくないし、やっちゃいけない。
そんな姿は子どもたちは一発で見抜くでしょう。
「先生って、そうなんだ」なんて思われたら、一気に子どもの信頼を失います。
だから、先生は一旦ダウンした気持ちをもう一度奮い立たせるためにがんばる授業になりますね。
さて、子どもたちはどうでしょう。
先生ほど公開授業だからどうとか、普通の授業だからこうとかいう区別はないでしょう。
普通の授業に戻れば、これまでどおり普通の意識で授業にのぞむはずです。
ですが、ここに大事なポイントがありそうに思います。
ここに来るまでの研究授業で、子どもたちが何か得ているものがあるのなら、それも自然と残っているはず!
私たちの仕事は全て子どもの姿です。
それだけが成果も課題も、成功も失敗も表します。
そして、その子どもの姿っていうのはうそもごまかしもありません。
自然で、必然的で、リアルに表れます。
だから、公開授業のあとの、子どもの姿って、一つの大きなポイントだと思うんです。
研究の成果が出ているなら、公開授業のみならず、その後の子どもの姿にも変容が続くはずです。
そういう意味では、公開授業も大事だけど、本当はその後の授業に注目すべきものがあるとうことです。
さて、私のクラスはどうだったでしょうか。
内心ドキドキしながら次時を迎えました。
研究はがんばってきましたが、子どもたちの姿に表れているか、まだまだ自信が持てなかったからです。
そして授業。
公開のときほどの張り詰めた緊張感は見られないものの、私たちが「こういう子どもをめざす」として研究してきたこと、指導してきたことは、変わらず残っていました。
(緊張感がなさすぎて、1人渇を入れられた子もいましたが。。。。)
45分の授業の中で、何度も見所のある場面が見られました。
公開のための指導ではなく、子どもに届く指導ができていたことを確認できて、とても安心しました。
いや、安心するのはまだ早いですね。
その教科の、別の単元でも同様にそういった姿が見られなくてはいけません。
さらには、学校をあげて取り組んでいる研究ですから、公開授業をしたうちのクラスのような姿が、学校中の別のクラスにも見られるようになってほしい。
長い時間をかけて、そうしていくことが、公開を終えた次の私の役目だと思っています。
う~ん、そんなかっこいいこと言ってしまうと、自分の首を絞めてしまい休まる間もなくなりそうですが。。。
一呼吸おいたら、またその意識でがんばろうと思います。
・・・・3学期かな