受け持っていた6年生を卒業させました。
卒業式を終えて、担任としてじわじわ感じ出していることを、いくつか書いてみようと思います。
思いつくままに、順不同で。
まず1回目の今日は、「過去との比較」です。
6年生を受け持ったのはこれで何度目かです。
その過去の教え子たちを卒業させた時と、今年とを比べて、何が同じで、何が違うのか。
「子どもを比べるなんてよくない」
という正論が聞こえてきそうですが、子どもを比較するわけではなく、担任としての自分を比較するという意味です。
自分の中で客観的に考え、整理してみたいと思います。
10年近く前、初任校で受け持った6年生。
とにかく熱い学級経営をしていました。
担任は子どもたちの中にどっぷりと入り込み、若いリーダーシップをいかんなく発揮し、これでもかというほど子どもたちをまとめるためのイベントを企画していました。
学級のめざしたところは
「仲のいいクラス」
だったように思います。
その子たちとは先日同窓会で久しぶりに顔を合わせましたが、うれしいことに、今でもみんな「仲良し」でした。
私がめざした学級の姿その通りに、男子と女子の隔てもなく、強いと弱いの差もなく、みんながニックネームで呼び合う温かい雰囲気が、そのまま続いていました。
そして今年の6年生。
学級のめざしたところは
・・・・
「仲のいいクラス」
ではありません。
もちろんそれも大事なものとしていたことに間違いはありませんが、それが究極のゴールだったかというと、違いました。
事実、子どもたちの間には大きなトラブルはありませんでしたが、男子と女子がニックネームで呼び合うような関係はありませんでした。
クラスでまとまるために何か特別なイベントをいくつもするということもしませんでした。
卒業式の様子を比べてみても、
10年前のクラスは、みんな泣いていました。
担任は「泣かせるぞ!」と思っていました。
そして担任も大泣きしました。
今年、泣く子もいましたが、泣かない子もいました。
担任も、うるっとはきましたが、涙は落ちませんでした。
なんか冷たいようですが、事実です。
私も今回、涙が落ちない自分に正直驚きました。
なぜ、涙が出ないのだろう・・・
と、ここまでで考えてみると
10年前の6年生はいいクラスで、いい担任だった。
今年の6年生はそれより劣るクラスで、担任としていまいちだった。
って結論にたどり着きそうですが、そういうことではないのではないかと、今は思えます。
なんというか、うまく表現できないかもしれませんが。
さっきの話、「今年のクラスがめざしところは」の問いに対する答えは、
「将来を力強く生きる子どもを育てる」
だったと思います。
あれ?
これはクラスがめざしたものではありません。
クラスではなく、一人一人の子どものめざしたところです。
うん
まさしく、今年、私はそういう目で子どもたちを見て、指導に当たっていました。
クラス単位より、子ども単位で学級経営に当たるようになった。
私の中の過去の担任と現在の担任の比較は、まずこう言えるようです。
じゃあ、なぜ私が担った6年生担任はそう変わったのでしょうか。
…次回考えてみます
卒業式が一年間の6年生学級経営の結果だと考えるならば、その結果に違いがあるとうことになり、それは
私は10年前と今年で、違う仕事をした
ということになるのでしょうか。。。。