かわいい教え子の卒業式に、涙が流れず、自分でも驚いているところです。
学級担任以外の校務が大きくなり、仕事のバランスが以前と変わった
それも事実です。
10年前に6年生をもったときは、ほぼ校務は担任のみでした。
自然と自分が仕事にそそぐエネルギーの全てがそこにいくわけです。
しかし、経験を重ねるごとに他の校務をいろいろと背負うことになりました。
今年は、大きいものは研修主任。
秋に大きな研究公開をしました。
もちろん、そこにも大きなエネルギーをそそぎました。
経験を重ねるごとに、学級担任にかけるエネルギーの割合が減り、他の校務にかけるエネルギーの割合が増える。
これは避けられないことだと思います。
「担任という仕事が第一だ!」
「目の前にいる子どもが一番だ!」
それは確かにそうですが、担任という仕事にいつも自分の100%をそそぐべきだという意見は、それが正解に聞こえるものですが、実際、仕事にかけられる自分のエネルギーというのは限界があります。
その限界の中で、自分の受け持つ仕事にエネルギーの配分をしなきゃいけないのが仕事人です。
それは辛いこともあります。
自分がやりたい仕事だけに熱意を込めたいという希望もあるのですが、組織で働いている以上、自分の役目は果たさなくてはいけません。
そういうものです。
今回のことが理由で卒業式に涙が出なかったとするなら、それは私にとってはさびしいことです。
担任という仕事に対して考えるならば、やはりどうしてもネガティブな印象が残るからです。
でも、経験を重ねるごとに分かってきます。
いろんな校務を経験することが、担任という仕事にも磨きをかけることになるんだということ。
知恵がつき、視野が広くなり、教員としての資質が高まりますから。
だから、単純にさびしさだけを感じるのではなく、少し前向きに考えてみようと思います。
10年前の自分に、熱意では負けるのかもしれないけど、担任としての力量はきっと勝っているはずだ。
以前より、器の大きい担任になれているはずだ。
卒業式に涙が出なかったのも、より大きな気持ちで子どもたちを見ることができていたからだ。
…そう思うことにします。