夏休みはたくさんブログを更新するぞと,意気込んでいましたが,なかなかです。。。
それもオリンピックのせいです。
連日深夜の熱戦をもれなく応援しています。
サッカーの悔しさも,バレーのうれしさも,やっぱりリアルタイムで味わわないと!
・・・なんてしてたら,なんか昼間はだるい夏休みになってしまいました。
今朝(やっと)閉幕です。
日本は史上最多のメダル数。
このオリンピックを取り扱う授業をする先生もこれから増えるでしょうね。
道徳あたりで。
さて
研究授業のことについて考えています。
以前いた学校で,こんなやりとりがありました。
研修主任から,年間の研究授業実施の提案があったとき。
A先生「1人1回研究授業をするというのは,多すぎるのではないかと思います。」
私(お,来たよ)
主任「昨年度もそのような形で実施して,無理はなかったと思っていますが。」
A先生「研究授業のたびに,クラスの子たちを自習させるわけですよね。」
私(その手で来たか)
主任「それはそうですね。どうしても授業が厳しいという場合は,1時間の全てを参観しなくても結構です。半分でも」
私(お,折れたね)
A先生「そうだとしても,やっぱり多すぎると思います。受け持つ子どもたちのために,授業はしてあげたいものです」
私(「子どものために」を盾にしちゃうんだよね… 自習を喜ぶ子もいるぞ)
主任「研究授業は,参観していただた先生に還元されるもので,ひいては,クラスの子どもたちにも還元されるものです。そう思って,参加していただければと思うのですが」
私(いいこと言った)
A先生「それに,研究授業のために準備する先生の労力って大変ですよ。」
私(お,そっち系で。)
A先生「その労力を全員が負担するなんて,他の仕事に影響があると思います。」
主任&他「・・・・・・。」
私(そろそろ校長がいかんかい!ずばっと『やります!』と)
主任「指導案は略案で書く予定です。それに授業の準備は係である私や,研修部の先生たちももちろん手伝います」
私(主任がんばるね。)
という感じで,ダラダラと問答が繰り返されました。
結局は主任の提案通りすることになりましたが。
なんか,研修主任が「研究授業をしてもらう」立場でお願いし,他の先生が「研究授業をしてあげる」ような立場で引き受ける,そんな構図になっちゃってます。
A先生タイプの人,少なからずいますよね。
自分が研究授業したくないだけなんじゃないかな・・・ なんて腹の裏を探ってしまいます。
偏見かもしれませんが,私的に言わせてもらえば,こんなことを言う先生ほど授業が下手です。
やっぱり
授業は積極的に公開する姿勢をもつ!
これは先生にとってかなり重要なことだと思います。
閉ざされた部屋で,他の誰の目も届かないところで,受け持つ子どもたちに対して1年間授業をする。
それは学校の基本的な形ですが,そこに潜むマンネリ化や危険性について,担任は敏感であるべきです。
それを取り払うためにも,他者の目で授業を見てもらうこと。
研究授業とは,研修テーマについて研究を深めるためにするものですが,その先生にとっては,そういう観点からも意味のあるものです。
参観に行ったためにクラスの子が自習になってしまうというのは事実ですが,研修主任が正論で返した通り
「結局はいいものとしてその子たちに還元される」
ものにすればいいのです。
それはどんな意識で授業を参観するか,その先生の意識一つです。
私は研究授業の大賛成です。