小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

授業中、どうしても… 黙っていられないんだよなぁ

2013-03-12 22:29:15 | 授業中の攻略法

先生は、やかましい子たちを静かにさせることには慣れています。

授業中、そういった子たちを制止して、授業を成り立たせるのが大きな役目です。

そのためのノウハウはたくさんあり、心得ている先生は、ある種の授業の力があると言えるでしょう。

このブログでも「授業中の攻略法」として、いくつも紹介してきました。

さて、一方で…

教室に沈黙が続く場合は、どうでしょう?

30人を超える元気者の子どもたちがいるのに、

シーン・・・・・

教室に沈黙が続いています。

これは、その場面にもよりますが、先生が「発表してください」と指示しているのにも関わらず、それに応える子がいない沈黙ではなく、(それは残念な沈黙ですが)何か子どもたちが、書いたり、考えたりという活動をしている際の沈黙です。

例えば、作文を書かせているとき、教室に沈黙が続いていたとします。

子どもたちの様子を見ると、えんぴつが動いている子もいれば、悩んだ顔でまだ書き出せない子もいます。

こんなとき、先生はどうするでしょう。

・・・・黙っていられない先生、多いんじゃないでしょうか?

しゃべっちゃうんですよね、先生だから。

何かアドバイスなり、しなくちゃいけないんじゃないか。

そんな気持ちから、口が動いちゃうんですよね。

先生が口を開けば、もちろん子どもたちは、書いていた子も、考えていた子も、自分がしていた活動は一旦遮られるわけです。

それがその子にとって必要な言葉であれば、聴いて得したことになりますが。

でも、もし集中して作文に臨んでいた子たちも多くいたならば、この沈黙は破らない方がよかったということになります。

沈黙を恐れない!

そんな心構えも、先生には必要ですね。

教室には必要な沈黙もあるということです。

悩んでいる子たちは、一見活動が停止しているように見えますが、その悩む時間もたっぷりとあっていいもので、そのときは沈黙になるものなのです。

その子たちを助けたくて、じっとしていられなくて、しゃべっちゃうのが先生の悲しい性。

普段、子どもたちのやかましい雰囲気になれているものだから、急に沈黙が訪れると、むずがゆいような感じがしてしまう。

「静かにしなさい!」

と言われてる子たちが、静かになりすぎると、確かに不気味ですものね。(笑)

その沈黙が、集中している雰囲気のいい沈黙なのか、活動が単に停滞しているだけの沈黙なのかを見極める目がまずは必要です。

そしてもし、いい沈黙だと判断されたら、先生はしばらくお役御免。

遠目に沈黙を見守るようにしましょう。

沈黙に耐えられない学級をつくるか、沈黙が適度にやってくる学級をつくるか、それは先生の口数にも大きく影響されるということを忘れずに。


この場合、どちらの親がいい親??

2013-03-07 22:37:28 | 保護者への攻略法

「先生、うちの子には厳しくやってください。お願いします。」

という親の申し出はよく受けます。

我が子の未熟な部分を親として理解し、そこを成長させるためには、厳しい教育も必要だと感じているのでしょう。

厳しい教育は、その子にとって辛いこともあるから、親としても同じ辛さを感じるはずですが、そこをぐっとこらえて

「厳しくやってください。」

と言うのでしょう。

だから、以前はこう言ってくる保護者に対しては

(我が子を本当に思っている、いい親なんだろうな)

って思っていました。

逆に、我が子を抱え込んで、我が子に足りないものはないなどと買い被って、厳しいことを強いることができない親もいますから、なおさら、それと対照的に見て、「いい親」と思っていました。

しかし最近、こういう保護者と出会いました。

「うちでは、あの子に対して本当に厳しくしてるんです。かわいそうなくらい。だから先生、学校ではうんと甘えさせてもらえませんか。」

今までに聞いたことのない申し出で、驚きました。

「学校では甘えさせてください。」なんて。

この人はどんな親なんだろうか。

自然と考えてしまいました。

親と学校の役割で考えるならば、

厳しく教育する=親の役割

楽しい思いをさせる=学校の役割

と、考えているということでしょう。

そして、私はすぐに思いました。

(あぁ、こっちの方が、いい親なのかもしれない。)

子どもの教育って、やっぱり甘えさせるのは簡単なんです。

甘えさせるのは、教育者としては楽だし、子どもには好かれるからいいんです。

子どもの笑顔もたくさん見れて、教育者としても幸せを感じるものです。

一方で

厳しくするのはやっぱり大変なんです。

厳しいことをするとき、子どもには辛い思いをさせることになり、その辛さは教育者も同じものを味わうことになります。

子どもの涙を見ることもあるし、子どもと対立してしまうことも多々あります。

厳しくすると一言で言っても、難しいもので、そこには確固たる信念と、意図と、何より深い愛情がなくてはできないものなんです。

それを思えば、

甘えさせる役割を学校に、厳しくする役割を自分に、とできる親って、すごい親だなと思わざるを得ません。

逆に、以前「いい親」と思っていた「学校で厳しくしてください」という側の人たちのことを、親として本当はどうなのかなと思うようになりました。

じゃあ、家で甘えさえているんですね。

もしくは、家でも厳しくしてるかもしれませんが、教育的にうまくやれないんですね。

厳しくするという、大変な役割を、自分ではなく、学校に任せるんですね。

そう返したくなってきます。

こんな風に親という立場を考えるようになったのも、最近私が人の親になったからです。

毎日小さな我が子と接しては、いろんなことを考えさせれています。

この子に、これからどんな教育をしていくのがよいのだろうか。

自分はどんな親になるべきなのだろうか。

それを必死に考えています。

私は学校に「厳しくしてください」という親になるのか、「甘えさせてください」という親になるのか。

これから長い時間をかけて、親業を勉強していきたいと思います。


おやじの会で、おやじたちが体罰について熱く語りました

2013-03-04 22:46:38 | 教師力UPの攻略法

送別会シーズンですね。

私も一発目の会に出ました。

いわゆる「おやじの会」の送別会です。

もちろん、この会では大変お酒が進み、男同士で盛り上がります。

私も嫌いではない(…というか好き)なので、久しぶりの参加でしたが、終始楽しく過ごさせてもらいました。

お父さんたちは、なんというか、表裏がなく、本音で、まっすぐ話ができるからいいですね。

お母さんたちが全くそうではない、とうわけではありませんが、やはり、少し影のあるというか、噂話に盛り上がるというか、「ここだけの話」的なものが多いというか… そんな印象があります。

お父さんたちとはいろんな話をしました。

まず、先生とお父さんがひざを交えて話をするということ自体が珍しいことで、お互いに話せるというだけで、何かうれしさが伝わる感じがしました。

うれしかったのは、多くのお父さんに

「先生の日報、毎日読んでますよ」

って言ってもらえたことです。

「えっ、本当ですか!?」

「そうですよ~ みんな読んでますよ」

「え~ まさかお父さんたちにも読んでもらっているとは、思っていませんでした。」

「よく毎日書くネタがありますね。子どもと会話するきっかけにもなるんですよ。」

そう言ってもらえて、自分がコツコツと続けていることが、報われるような気分でした。

また続けることにやる気が出ました。

同時に、お父さんたちの視線も感じながら書かなきゃなって言う、新しい刺激をもらいました。

話題は、体罰のことになりました。

一連のニュースはもちろん周知のことでした。

それを受けて、我々の学校現場にもその余波はやってきていて、いろんな研修や調査が行われています。

今、日本で体罰に関して神経を研ぎ澄ませていない学校はないでしょう。

体罰について、もちろん私たち教員は

「絶対にしてはいけないこと」

という意識は固まっています。

私だってそのとおりで、過去にも未来にも体罰はあり得ないと、誓って言えます。

だから、もし先生同士でこの話題をしても、いろんな意見や経験談はあるでしょうが、結論は同じ所にたどり着くのでしょう。

さて、おやじの会のみなさんと話すと、体罰の話はどこにたどり着くのでしょうか。

私も、食い入るように、おやじのみなさんの話を聞きましたが、みんなが口にするのは、ほぼ同じことでした。

「体罰は必要だ」

一人が「必要だよ」と言えば、周りがうんうんとうなずいていました。

そして、必ず引き合いに出されるのが、自分が子どものころに受けた体罰の話でした。

「痛い思いをしたけど、そこから学んだものがある。」

次に出される話は、我が子にした体罰の話でした。(親子で「体罰」と言うのか知りませんが)

「息子が~したときは、必ず~するようにしてる。」

ここまでの話は、客観的に、冷静に聞いていることもできるのですが、次の話がちょっと辛い。

「先生、うちの子には何してもいいですから。」

「聞かんときは、厳しくやってください。」

という話です。

みんなが容認論なのに、切り返すのは難しいですね。

もちろん、何人に「やれ」と言われてもやりません。

教師の誓いです。

それは自分の中でゆるぎないのですが、子どもの父親は、そう思っているということは、また確かな事実だということが分かりました。

それを、教師としてどう受け止めるべきなのか。

そこを考えさせられています。

体罰は絶対にいけないという主張をし、父親の考えを変えていく努力をするべきなのか。

教師と父親は立場が違うという観点に立ち、それぞれの意見の違いは自然ととらえるのか。

父親の主張を受け入れ、「体罰」という教育の方法について、もっと深く考えてみるべきなのか。

私の中でもはっきりとした答えはまだ分かりません。

でも、肝心なのは、「同じ子どもの教育」なんだということです。

議論している対象の子は、別々の子ではなく、同じ子なのです。

その子の教育に当たる複数の大人がいるわけですが、その中で意見の違いがあるということです。

それも「体罰」という重大なことについて。

「体罰は必要だよ」と言うお父さんたちは、決して冷たいとか、恐い人たちではありませんでした。

みなさん、とても温かい人柄で、考え方もしっかりしていて、私はその人たちを「父親の先輩」として、見ることもできました。

そんな父親の先輩たちが言うことは、やはりしっかりと耳を傾け、必要ならば議論もしていくことだろうと思うんです。

単純に

「一昔前の教育と今の教育は違うから」

「昔の子と今の子は違うから」

的な話で片付けようとしてはいけないのかなと、思うようになりました。

(飲み会の席ではそれで片付けてもいいと思うのでうが。。。)

学校現場は、一層「体罰厳禁」になっていきます。

でもそれは、親の考えと、どんどん距離が開いていっているということなのかもしれません。


全校レクリエーションで、ズルしている子を見つけました。

2013-03-01 22:06:38 | 「教師-子ども」関係の攻略法

年度末ですね。

学級事務に加えて、各校務も忙しくなる時期です。

数えると、子どもたちが今年度あと学校に来る日は十数日。

ってことは、もちろん先生が仕事を仕上げなくてはいけないのもその十数日の間。

やることの多さに築いて、焦りますね。

やることは多いのですが、担任であれば、やっぱりこの時期は子どもと過ごせる時間も大切にしたいもの。

もうすぐお別れだと思えば、できるだけいっしょに遊んだり、お話したりしたくなるものです。

さて、今日は全校レクリエーションがありました。

いわゆる「6年生を送る会」です。

そこで、6年生を楽しませようと児童会を中心にいくつかの楽しいゲームをしてくれました。

その中の一つに、じゃんけんをして勝ったら次のポイントに進めるという、単純で分かりやすいゲームがありました。

児童会の代表の子とみんなでじゃんけんをする形です。

単純ですが、結構盛り上がります。

1年生はすごくうれしそうにするし、6年生だってこんな幼い子向けのゲームがたまには楽しく感じられるようでした。

さて、私はというと、ふと気になることがありました。

(何百人もじゃんけんする中で、ズルする子はいないのかな…)

そこで、スタスタと体育館の2階に上がり、上から全校のじゃんけんを眺めてみました。

「せーの!最初はぐー!じゃんけんぽん!」

「やったー!」

「負けたー!」

盛り上がりの中に・・・

発見しました。

ズルしている子。

じゃんけん負けたのに「やったー!」とか言って先に進んでる子。

いわゆる遅出しして勝っている子。

それも、結構な数いました。

ずーっと眺めていると、益々たくさん見つけました。

中には、4回勝てばゴールするはずなのに、3回目のじゃんけんでゴールしている子たちもいました。

あきらかなズルです。

児童会の子たちも、ズルする子がいるかもしれないのは予想できるので、何度も

「ズルはしないでください」

「正しくしてください」

とマイクで言っていましたが、残念ながらそういった子たちには響かないようです。

うーん、まぁ本校が特別なわけではなく、これが自然な子どもの姿だろうとは思います。

同じようなことが、どこの小学校でも起きているんじゃないでしょうかね…

ズルを見つけた私は、その場で

「こらー!!」

と怒鳴ることもできましたが、楽しい雰囲気に水を差したくはなかったし、そのズルもかわいく見えたので、今回は見ただけでした。

でも、いいことじゃないですよね。

考えました。

どうすればこんなときズルをする子が減るんだろう。

児童会の「ズルしないでください」という直球はだめでした。

だとすれば…

一つ思いつきました。

このゲームは何回戦かしていましたが、1回戦が終わるたびに

「今ゴールにいる人たちに大きな拍手をしてください」

として、勝った人を喜ばせる演出をしていました。

このときに

「今まだスタート地点でじゃんけんしている人たちは、絶対にズルをしていない正直な人たちです。この人たちにも拍手を送りましょう」

という一言を付け加えてはどうでしょうか!?

要するに

ズルした子自身にむなしさを感じさせる!

のがねらいです。

ちょっと極端な気もしますが(笑)

うーん、でも私が児童会の担当だったら、そう言わせたいなぁ~

なんというか、ゲームの中にある価値そのものを逆転させたいですね。

そうアナウンスしたときの、ズルして勝ち上がった子達の表情が見てみたい(笑)

もちろん正直にじゃんけんして勝ち進んだ子もいるわけですので、その子たちにとっては微妙なアナウンスになるかもしれませんが。。。

他にいい方法はありますかね?