このところの曇天が嘘のような今朝の空。
窓から差し込む日脚は、まさに 「光の春」 を感じさせ、睡蓮蜂の底でうずくまっていた金魚も光を受けて泳いでいる。
こんな時、自分で一句ひねる才能があれば良いが、そんな風流人ではないので、この「光の春」を詠むものはないかと、家人と話していた。
久方の光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ
・・・・・・光のどけき春の日に、とは詠っているが、これは桜が散る頃の歌だろう、と。
春の海 終日のたりのたり哉
・・・・・・のたりのたりしているのは、まだ寝ぼけ眼の自分だろう、と。
菜の花や 月は東に日は西に
・・・・・・菜の花は、時期的にもう少し後だろうし、これは夕方の歌。
そう言えば、時期は少し違うが、明るい春を迎える清々しい御歌があった。
日嗣の御子の妃 雅子様が敬宮愛子様ご誕生を詠われた御歌 平成14年歌会始にて
生れいでし みどり児のいのち かがやきて 君と迎ふる春すがすがし
お生まれになったばかりの愛子様の命の輝きを感じながら、皇太子様と御一緒に新春をお迎えになる喜びを詠われたものであるが、
何やら、万物の誕生と光の春を感じさせ、建国記念日に思い出すにはピッタリのお歌だと、朝から気分が良くなった。
気を良くして、少し調べると、愛子様の御誕生(12月1日)から3か月ほど後のお歌も見つかった。
乳母車おして歩めばみどり児は 光あふるる空にまばたく
おぉ なるほど、やはり「光の春」
愛子様の歩まれる先々が、明るい光に包まれることを寿がれるかのお歌。
光が強ければ強い程、映しだされる影も闇も明らかとなるが、ここは日の国。
光は必ずや闇を討つ。
愛子様を包む光が、全てを明るく優しく照らし輝かせるよう願っている。
窓から差し込む日脚は、まさに 「光の春」 を感じさせ、睡蓮蜂の底でうずくまっていた金魚も光を受けて泳いでいる。
こんな時、自分で一句ひねる才能があれば良いが、そんな風流人ではないので、この「光の春」を詠むものはないかと、家人と話していた。
久方の光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ
・・・・・・光のどけき春の日に、とは詠っているが、これは桜が散る頃の歌だろう、と。
春の海 終日のたりのたり哉
・・・・・・のたりのたりしているのは、まだ寝ぼけ眼の自分だろう、と。
菜の花や 月は東に日は西に
・・・・・・菜の花は、時期的にもう少し後だろうし、これは夕方の歌。
そう言えば、時期は少し違うが、明るい春を迎える清々しい御歌があった。
日嗣の御子の妃 雅子様が敬宮愛子様ご誕生を詠われた御歌 平成14年歌会始にて
生れいでし みどり児のいのち かがやきて 君と迎ふる春すがすがし
お生まれになったばかりの愛子様の命の輝きを感じながら、皇太子様と御一緒に新春をお迎えになる喜びを詠われたものであるが、
何やら、万物の誕生と光の春を感じさせ、建国記念日に思い出すにはピッタリのお歌だと、朝から気分が良くなった。
気を良くして、少し調べると、愛子様の御誕生(12月1日)から3か月ほど後のお歌も見つかった。
乳母車おして歩めばみどり児は 光あふるる空にまばたく
おぉ なるほど、やはり「光の春」
愛子様の歩まれる先々が、明るい光に包まれることを寿がれるかのお歌。
光が強ければ強い程、映しだされる影も闇も明らかとなるが、ここは日の国。
光は必ずや闇を討つ。
愛子様を包む光が、全てを明るく優しく照らし輝かせるよう願っている。