ありきたりな話が必要な時がある。
何か話した方が良いが、何を話したら良いか分からない
何か話した方が良いが、突っ込んだ話はしたくない
こんな時に便利なありきたりな話、会話
「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」 に次いで便利度が高い、天気の話。
便利屋なので頻繁に登場するが、熱狂的な共感もなく反論もなく、空気のように漂う会話。
そんな天気の話で、大いに盛り上がった。
気象庁によると昨日の地震は 「四年前の巨大地震の影響がなお残っていて、たまたま同じ日に余震が発生した」ものらしいが、
「ホントかな?」 から会話が始まった。
「だいたい、この冬は暖冬と長期予報で言ってたはず、なのに寒いじゃないか。」
「当たらないのは長期予報だけでない。明日の天気だって、どうかすると外れている」
口々に文句を言っていると、
「仕方ないさ、よそうはうそよ、と言うのだから」
しばしの静寂の後の爆笑。
「よそうはうそよ、 予想は嘘よ」
回文である。
他に知ってる回文は?
「しんぶんし」や「まさこさま」は有名どころとして、すぐ挙がったが、
少し凝ったものでは、
「かしくい、いくしか 菓子食い、行く歯科」
これは回文というだけでなく、皮肉が効いていて面白いと座布団3枚。
続いて出た「れいとうといれ 冷凍トイレ」
「?」「これは回文にはなっているけど、意味をなさないので駄作」との評価に、「これは博士の愛した数式(小川洋子)に載っていた」との抗弁が。
本からの回文を紹介されたのでは、私も何か言わずにはおれない。
こんなのは、どうだ!
「とものうつくしいさいし、くつうのもと 友の美しい妻子、苦痛の元」
「いたりあでみるえ、かえるみでありたい イタリアで見る絵、買える身でありたい」
これはウケた。やんやの喝采。
何のことはない。「冷凍トイレ」が数学博士の作なら、こちらは工学博士の作。つまり森博嗣の「虚空の逆マトリクス(ゲームの国)」から引いただけ。しかも、もっとスゴイ作品があったはず。
その場は「友の美しい妻子、苦痛の元」がビミョウな後味を残しながら、お開きとなったが、後ほど「ゲームの国」の回文同好会を覘いてみると、
あったあった、もっと大作、美しい作品
「住まいは田舎がいい、森と陽だまりでひと寝入り、飛ぶ鳥、稲と日照り、まだ独りもいいが、家内は居ます」
「白雪の 屋根やお屋根や 軒揺らし」
昨年ドラマ化された「すべてがFになる」(森博嗣)の犀川創平(助教授)シリーズは、プロットの荒唐無稽さはともかく、工学博士が書いたらしい面白味があり、楽しく読んだが、
犀川先生、今頃は「日常を無くさずに人を殺すのが理想」などという女子学生がお膝元から出て、忙しい毎日だろうか。
ところで、回文まさこさま、が話題に出たとき、気になる話を耳にした。
「雅子様は、まさこさま、と呼ばれるようになって上手くいかなくなられた」のだと。
まさこさま、まさこさま、上から読んでも下から読んでも、まさこさま。同じところをグルグル回る。これが‘気‘の感覚では良くないらしい。
雅子妃殿下と正しくお呼びすれば、’気‘が整ってくるはず、だとか。
まさこさま、という響きは、柔らかでもあり凛ともしており親しみを込めて、「雅子様」と書いてきたが、
たしかに名は大事。
古事記の巻1の1は雄略天皇の歌で、一般に恋の歌とされるが、実は「名を名乗る」「名を問う」ということの重要性を示しているという説を聞いたことがある。
籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ
しきなべて 我こそ座せ 我こそは 告らめ 家をも名をも
呼び名も重要。
雅子様の柔らかな響きも好きだが、これからは雅子妃殿下と書いた方が良いのだろうか。
何か話した方が良いが、何を話したら良いか分からない
何か話した方が良いが、突っ込んだ話はしたくない
こんな時に便利なありきたりな話、会話
「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」 に次いで便利度が高い、天気の話。
便利屋なので頻繁に登場するが、熱狂的な共感もなく反論もなく、空気のように漂う会話。
そんな天気の話で、大いに盛り上がった。
気象庁によると昨日の地震は 「四年前の巨大地震の影響がなお残っていて、たまたま同じ日に余震が発生した」ものらしいが、
「ホントかな?」 から会話が始まった。
「だいたい、この冬は暖冬と長期予報で言ってたはず、なのに寒いじゃないか。」
「当たらないのは長期予報だけでない。明日の天気だって、どうかすると外れている」
口々に文句を言っていると、
「仕方ないさ、よそうはうそよ、と言うのだから」
しばしの静寂の後の爆笑。
「よそうはうそよ、 予想は嘘よ」
回文である。
他に知ってる回文は?
「しんぶんし」や「まさこさま」は有名どころとして、すぐ挙がったが、
少し凝ったものでは、
「かしくい、いくしか 菓子食い、行く歯科」
これは回文というだけでなく、皮肉が効いていて面白いと座布団3枚。
続いて出た「れいとうといれ 冷凍トイレ」
「?」「これは回文にはなっているけど、意味をなさないので駄作」との評価に、「これは博士の愛した数式(小川洋子)に載っていた」との抗弁が。
本からの回文を紹介されたのでは、私も何か言わずにはおれない。
こんなのは、どうだ!
「とものうつくしいさいし、くつうのもと 友の美しい妻子、苦痛の元」
「いたりあでみるえ、かえるみでありたい イタリアで見る絵、買える身でありたい」
これはウケた。やんやの喝采。
何のことはない。「冷凍トイレ」が数学博士の作なら、こちらは工学博士の作。つまり森博嗣の「虚空の逆マトリクス(ゲームの国)」から引いただけ。しかも、もっとスゴイ作品があったはず。
その場は「友の美しい妻子、苦痛の元」がビミョウな後味を残しながら、お開きとなったが、後ほど「ゲームの国」の回文同好会を覘いてみると、
あったあった、もっと大作、美しい作品
「住まいは田舎がいい、森と陽だまりでひと寝入り、飛ぶ鳥、稲と日照り、まだ独りもいいが、家内は居ます」
「白雪の 屋根やお屋根や 軒揺らし」
昨年ドラマ化された「すべてがFになる」(森博嗣)の犀川創平(助教授)シリーズは、プロットの荒唐無稽さはともかく、工学博士が書いたらしい面白味があり、楽しく読んだが、
犀川先生、今頃は「日常を無くさずに人を殺すのが理想」などという女子学生がお膝元から出て、忙しい毎日だろうか。
ところで、回文まさこさま、が話題に出たとき、気になる話を耳にした。
「雅子様は、まさこさま、と呼ばれるようになって上手くいかなくなられた」のだと。
まさこさま、まさこさま、上から読んでも下から読んでも、まさこさま。同じところをグルグル回る。これが‘気‘の感覚では良くないらしい。
雅子妃殿下と正しくお呼びすれば、’気‘が整ってくるはず、だとか。
まさこさま、という響きは、柔らかでもあり凛ともしており親しみを込めて、「雅子様」と書いてきたが、
たしかに名は大事。
古事記の巻1の1は雄略天皇の歌で、一般に恋の歌とされるが、実は「名を名乗る」「名を問う」ということの重要性を示しているという説を聞いたことがある。
籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ
しきなべて 我こそ座せ 我こそは 告らめ 家をも名をも
呼び名も重要。
雅子様の柔らかな響きも好きだが、これからは雅子妃殿下と書いた方が良いのだろうか。