何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

よそうはうそよ

2015-02-18 12:43:23 | ひとりごと
ありきたりな話が必要な時がある。
何か話した方が良いが、何を話したら良いか分からない
何か話した方が良いが、突っ込んだ話はしたくない

こんな時に便利なありきたりな話、会話
「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」 に次いで便利度が高い、天気の話。

便利屋なので頻繁に登場するが、熱狂的な共感もなく反論もなく、空気のように漂う会話。
そんな天気の話で、大いに盛り上がった。

気象庁によると昨日の地震は 「四年前の巨大地震の影響がなお残っていて、たまたま同じ日に余震が発生した」ものらしいが、
「ホントかな?」 から会話が始まった。
「だいたい、この冬は暖冬と長期予報で言ってたはず、なのに寒いじゃないか。」
「当たらないのは長期予報だけでない。明日の天気だって、どうかすると外れている」
口々に文句を言っていると、
「仕方ないさ、よそうはうそよ、と言うのだから」
しばしの静寂の後の爆笑。

「よそうはうそよ、   予想は嘘よ」

回文である。
他に知ってる回文は?
「しんぶんし」や「まさこさま」は有名どころとして、すぐ挙がったが、
少し凝ったものでは、
「かしくい、いくしか     菓子食い、行く歯科」
これは回文というだけでなく、皮肉が効いていて面白いと座布団3枚。

続いて出た「れいとうといれ      冷凍トイレ」
「?」「これは回文にはなっているけど、意味をなさないので駄作」との評価に、「これは博士の愛した数式(小川洋子)に載っていた」との抗弁が。

本からの回文を紹介されたのでは、私も何か言わずにはおれない。
こんなのは、どうだ!
「とものうつくしいさいし、くつうのもと          友の美しい妻子、苦痛の元」
「いたりあでみるえ、かえるみでありたい        イタリアで見る絵、買える身でありたい」

これはウケた。やんやの喝采。
何のことはない。「冷凍トイレ」が数学博士の作なら、こちらは工学博士の作。つまり森博嗣の「虚空の逆マトリクス(ゲームの国)」から引いただけ。しかも、もっとスゴイ作品があったはず。

その場は「友の美しい妻子、苦痛の元」がビミョウな後味を残しながら、お開きとなったが、後ほど「ゲームの国」の回文同好会を覘いてみると、
あったあった、もっと大作、美しい作品

「住まいは田舎がいい、森と陽だまりでひと寝入り、飛ぶ鳥、稲と日照り、まだ独りもいいが、家内は居ます」

「白雪の 屋根やお屋根や 軒揺らし」

昨年ドラマ化された「すべてがFになる」(森博嗣)の犀川創平(助教授)シリーズは、プロットの荒唐無稽さはともかく、工学博士が書いたらしい面白味があり、楽しく読んだが、
犀川先生、今頃は「日常を無くさずに人を殺すのが理想」などという女子学生がお膝元から出て、忙しい毎日だろうか。


ところで、回文まさこさま、が話題に出たとき、気になる話を耳にした。

「雅子様は、まさこさま、と呼ばれるようになって上手くいかなくなられた」のだと。
まさこさま、まさこさま、上から読んでも下から読んでも、まさこさま。同じところをグルグル回る。これが‘気‘の感覚では良くないらしい。
雅子妃殿下と正しくお呼びすれば、’気‘が整ってくるはず、だとか。

まさこさま、という響きは、柔らかでもあり凛ともしており親しみを込めて、「雅子様」と書いてきたが、
たしかに名は大事。
古事記の巻1の1は雄略天皇の歌で、一般に恋の歌とされるが、実は「名を名乗る」「名を問う」ということの重要性を示しているという説を聞いたことがある。

籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ 
しきなべて 我こそ座せ 我こそは 告らめ 家をも名をも

呼び名も重要。

雅子様の柔らかな響きも好きだが、これからは雅子妃殿下と書いた方が良いのだろうか。