何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

神つなげ! 「てんでんこ」の悲痛 

2015-02-15 19:13:26 | ニュース
彼女の本を読んだことがない。
たしか母の本棚に「人々のなかの私」とかいう随筆集があったと思うが、私が知る彼女の横顔は、孤里庵先生の目を通してのもの。

従って、今あちこちで話題となっている件についての彼女の定観を、その書き物から探ることは出来ないが、この騒動を機に知った彼女の言葉に、暗澹たる思いがしている。

新潟中越地震や東日本大震災の被災地・被災者に向けて発せられた言葉
「避難所で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を熾して米を炊く。必要なものが手元にないのなら、その辺で調達してくる才覚も必要だ」
「学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私はわからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難するだけの個人の才覚の訓練が要る。お弁当なども行政は配る必要はない。」
「私は、未だに答えのない疑問を持っているんです。「避難所が寒くて凍えそうだ」「低体温症で体調を崩している」「温かいものが食べられない」という報道がありましたが、あれはなぜ? そこらじゅうにあんなに薪があるじゃないですか。瓦礫の処理が大変だと言っていますが、どうして木片は燃やさないんですか。」

ある危機管理専門の精神科医が、
「突然の大災害などに打ちのめされた時、精神的に参ってしまうことを避ける方法の一つとして、体を動かすことは有効。被災者も嘆き悲しみ座り込んでしまうのでなく、何か出来ることを前向きに探して体を動かす、これが心のケアに非常に役立つ」 
と語っているのを聞いたことがある。

だから、彼女が 「鍋釜を探して、廃材を使って薪をくべ、自炊せよ」と言うのは、あながち間違ってはいないのかもしれないが、それでも自分は、何か違う!と声を大にして言いたい。

「てんでんこ」

東日本大震災被災地となった沿岸部は、日頃から防災意識が高く、訓練が行き届いている所が多かったという。
若者は年寄りを助けよ、元気な者は弱い者を助けよ、上級生は下級生を助けよ、と。
しかし、どうしようもない切羽詰まった危険が及んだ時には、誰かを助けようとするのではなく、身一つでひたすら逃げよ。逃げた者を恨むべきでも、助かったことに良心の咎めを感じるべきでもなく、それぞれの命を最優先に守れよ、と。
それほどの危機が迫っている時に、叫ばれる言葉が、
「てんでんこ」

あの震災の時にも、「てんでんこ」が叫ばれ、被災者は身一つで高台を目指して逃げたという。
これが結果的には功を奏して、「てんでんこ」で避難した地域は、他所と比べて被害が少なかったというが、それでも握っていた手が離れてしまった瞬間の生々しさに苦しむ人や、津波に呑み込まれていく人と最期の瞬間に目が合った光景が脳裏から離れない人が、避難所には溢れていた。

そんな被災者に「甘えるな」という言葉は、仮にそれが心のケアに役立つとしても、酷すぎる。

この酷い言葉を記す紙を、被災地が造ってくれている。

「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている」(佐々涼子)

「てんでんこ!」の悲痛、神にとどけ


つづく