何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

神降地アルカディアに祈る

2016-01-01 22:51:57 | ひとりごと
新年最初の’’祈り’’について
年末’’祈り’’について考えるなかで、「優駿」(宮本輝)の馬が誕生する時に牧場の息子が牧場周辺の大自然に敬虔な祈りを捧げる場面が印象に残っていると書いた。(参照、「オラシオンの幕は~つづく」
寺社仏閣ではない場所で、しかも信仰の対象となる造形物ではない自然に対して祈るという感情が長年分からなかったのだが、それが実感できたのが上高地に出会ったことである。

自然に対して自ずと頭を垂れたくなる心情を抱かせる光景とはどのようなものか?というのは「優駿」だけでなく太宰治「桜桃」の冒頭の一節を知って以来の私の関心事でもあったが、上高地の河童橋から穂高連峰を眺めたとき、ここには「神が御座す」と感じられ自ずと目をとじ頭を垂れた。

『我、山に向かいて目を上げん。
我が助け 何処より来るや 』

上高地が、神降地と云われる所以である。


これまでも、誰に認められることはなくとも真面目に誠実に生きている人や日本を元気にしてくれる活躍を応援してきたが、今年も大自然に神降地に祈りながら、力強く応援していきたいと思っている。
そのコンセプトとも云える言葉を「クロウディアの祈り」(村尾靖子)に見付けた。

第二次世界大戦後スパイの疑いをかえられ執拗な取り調べを受け帰国できなかった日本人男性(ヤコブと改名)と、ロシア革命で家族を失ったロシア人女性クロウディアの物語。
異国ロシアで生きるしかないヤコブと家族を亡くしたクロウディアは、また検挙されるのではないかという不安と隣り合わせの貧しい生活ながらも、確かな愛情と信頼の絆で結ばれ37年間を共に暮らす。だが、ヤコブには生き別れになった彼を日本で待つ妻と娘がいた。
夕暮れ時、ヤコブが故郷の歌を口遊んでいるのを知っていたクロウディアは、日露の往来が自由になった時、ヤコブが帰国できるよう働きかける。
ヤコブが日本へ帰れば、ロシア革命で家族を喪い、その後はヤコブと二人で生きてきたクロウディアはまた一人ぼっちになってしまう。が、それでもクロウディアは日本の妻と娘のもとにヤコブを帰す決意をする。
クロウディアの最後の手紙は目頭を熱くせずに読むことはできない。

他人の不幸の上に私だけの幸福を築き上げることは、
 私にはどうしてもできません。
 あなたが再び肉親の愛情に包まれて、祖国にいるという嬉しい思いで、私は生きていきます。
 私のことは心配しないでください。
 私は自分の祖国に残って生きていきます。
 私は孤児です。
 ですから、私は忍耐強く、勇敢に生きていきます。
 私たちは、このように運命づけられていたのでした。
 三十七年余りの年月をあなたと共に暮らせたこと、
 捧げた愛が無駄ではなかったこと、
 私はこの喜びで生きていきます。
 涙を見せずに、お別れしましょう。
 ~中略~
 あなただけは、この私を理解してくださると信じています。
 私が誠実な妻であり、心からの友であったことを……。
 あなたたちの限りない幸せと長寿を、心から祈り続けることをお許しください。』

ヤコブが帰国してしまえば一人ぼっちになることが分かっていたとしても、『他人の不幸の上に私だけの幸福を築き上げることは、私にはどうしてもできません。』という想いで、祖国日本へヤコブが帰国できるよう努力したクロウディア。

この崇高な祈りの爪の垢を煎じて、これからも祈りを込めた応援を続けていきたい。
やりたい放題と言いたい放題が大手を振って伸し歩いている不愉快な世の中であるが、他人の不幸の上に成り立つ幸福を黙って見過ごすことは出来ない。
あのキャプテンハーロックも「我が青春のアルカディア」で云っている。

『人が人として最も美しいのは
 他人の痛みを自分の痛みとして感じている時
 人が人として最も醜いのは
 他人を踏みつけにして、自分を立てようとする時』

日本を元気にしてくれる活躍や、被災地の方々や、誰に理解されなくとも誠実に生きる人々や、悪ものに踏みつけられ苦しむ人々を、心を込めて応援していきたいと、誓いを新たにしている新年である。

頑張る人々に神が降りるよう祈っている




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