何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

開化不進我が家

2016-01-06 20:25:55 | ひとりごと
「和」で生き「和」でつなぐ、からのつづき

我が家はあまり肉を食べない。

狂牛病ニュースのインパクトが大きく、ミンチを用いる献立がテーブルから消えたていたのだが、メニューに行き詰まりそろりそろりと解禁し始めていたところに、BSE問題・食品偽装問題を扱った「震える牛」(相場英雄)などを読んでしまったから、いけない。
「肉が足りないぞ、元気が出ないぞ」vs「御一新までは牛など食さなかった」という世代間の抗争を起こしながらも、牛肉を食べることが少ない我が家でも年に数回だけ皆で牛肉を食べる、そのうちの一回が、元旦の夕食だ。
粉うことなき和牛のヒレステーキを食べるのだ。
お正月のために直営牧場から届く純和牛を求めて、毎年百貨店には長蛇の列ができる、これに並ぶのが、近年の私の大晦日の日課だ。
ここ数年は一時間待ちくらいだったのが、やはり景気は回復しているのだろうか、昨年は久々の二時間半待ち。
この待ち時間に読み上げてしまったのが、「和僑」(楡周平)だった。

「和僑」のある場面は、和牛を買い求める列に並んでいる私に、興味深かった。
本書の主要人物である時田は、農家の口減らしで中卒で寿司屋に修行に出るが、その後アメリカで大成功を収める。この時田が実家の後始末のため孫娘をつれ故郷の緑原に舞い戻り、和牛を食べる場面は印象的だった。
生まれも育ちもアメリカの孫娘は、緑原の豊かな自然の中で育った和牛を一口食べて「こんな脂の多い肉は食べられない」と言う。
「アメリカ人は、ジャンクフードなど脂こってりの食品を好むではないか」という疑問に、時田爺孫娘は答える。
「ジャンクフードはアメリカ人の国民食であり馴染み深いから受け入れられるし、それが脂たっぷりだからこそ、他の食材への健康志向(FAT Free)はより強まるのだ」と。
「海外から入ってくる馴染みの薄い食材で脂が多いものは受け入れられない。特にステーキは、焼く前に必ず客に肉を見せるので、(日本では高級とされる)サシが多い肉は好まれない」と。

この場面を読みながら、サシのかたまりサーロインステーキにするか、サシの少ないももにするか、間をとって例年と同じくヒレにするか、ひとしきり悩んだが、もうサシを楽しむ体力はないが、めったに食べない肉なので多少は脂っこいのもよかろうと、ヒレを買うため二時間半並んだ大晦日であった。

ところで、「和僑」は日米牛肉対決といった話ではない。
大手商社マンから転身した町長が、超少子高齢化の影響と弊害が顕著に表れ始めている地方都市の再生にかけるという、近未来を先取りしたモデルケースともなり得る物語だ。
本書は、2040年、地方自治体の半数が消滅する可能性があること、その理由が出産可能な39歳未満の女性が半減するからであるという現実を突き付けながら、政治と国民に対しても警鐘を鳴らしている。

『やがて直面することが分かってる問題を先送りすりゃ、解決を困難にするだけだ』
『人はさ。悲しいもんで、五年先、十年先のことは、考えているようで考えていない。
 明日の飯よりは今日の飯だ。
 それが顕著に表れるのが政治だ。我慢を強いる人間よりも、甘言を弄する人間を選ぶ。
 だけどさ、それじゃ駄目なんだ。問題を次の世代に先送りするだけだ』

今年の夏の参議院選から18歳にも選挙権が与えられる予定でもあり、この選挙は衆参同時選挙になるとも云われている。
問題を次の世代に先送りしない選択をする責任が、我々にはあると気を引き締めている新年であるが、本書で書かれる「問題を先送りしない方法」については、また、つづく。