何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

患者のクラスメートは語る

2017-02-09 12:45:37 | 
「医師は語る」より

この「医師は語る」というタイトルからして、「死体は語る」(法医学者・上野正彦)の捩りであるが、事ほど左様に医師でもある作家さんは多い。

年末に読んだ「生真面目な心臓」(永井明)は臓器や器官の移植を扱った短編集だが、その幾つかに、移植された臓器に提供者の魂が宿っている場面が書かれていた。
年明け、あるニュースを契機に思い出した「ブラックジャック」(手塚治虫)の「春一番」には、移植された角膜に、提供者が今際の際に見た者が焼き付いていた為、移植を受けた患者が幻影を見てしまう場面が描かれている。「瞳に映るもの」

この両作品を書いたのが共に医師であるため、このところ臓器提供に関心を寄せていたのだが、ちょうどこのタイミングで偶然出会った本がまた臓器提供に関するものだったので、この際これまでに読んだ臓器提供関連の本について記しておこうと思っている。

私が臓器提供に関心をもったのは、臓器移植法が世間の耳目を集めるようになるよりも随分と前のことだった。

小学校高学年の時に、長期欠席がちなクラスメートがいた(仮にA君としておく)。
転勤族だった私が転入した教室には、かなり長い間、空いたままの机と椅子があった。
A君の座席である。
A君が教室に戻ってきたのは、転入生が新しい生活にすっかり慣れてしまった頃だったが、しばらくすると又、長期欠席に入ってしまった。
聞くところによると、腎臓の病気(ネフローゼだったと記憶しているが)のために、入退院を繰り返しているという。
欠席がちなうえに体育の授業はほぼ全て見学のA君と、熱血野球チビッ子で「へいへいピッチャーバテてるよー」とやってる私には長く接点がなかったが、ある時A君の身のこなしを見て驚いた。
休み時間、校庭で遊んでいたドッジボールのボールが、思いがけず、側を通りかかったA君めがけて飛んで行ったのだ。
勢いよくA君の胸辺りに飛んでいくボールが今にも ぶつかる!という瞬間、A君はボールをサッと払い、きれいなフォームでボールをコートに投げ返してくれた。
野球仲間でも出来そうにない俊敏な身のこなしに興味をもった私は、A君に話しかけた。
「体調が良い時には、野球部のお兄ちゃんとキャッチボールをする、レギュラーの兄より筋がイイと言われる」と照れたように話すA君と、私は親しく話すようになった。
図書館で借りた本の話
地図遊び(①地図帳の同じページを開いておく②出題者が地名を言う③その地名の場所を探しだす時間を競う)

私は今でも、勘ナビなどと嘯き、国土地理院の地図と国交省の青看板を頼りに見知らぬ土地へも車で出かけるが、この方向感覚と地図を読む技術は、A君との遊びで培われたものだ。

長期欠席にもかかわらず優秀だったA君が、毎日登校できれば、どれほど勉強できたことだったろう。
ほぼ全ての体育を見学していたA君が、持ち前の俊敏さをいかしてスポーツできれば、どれほど得意になったことだろう。

A君の長期入院中に転校した私は、その後のA君について詳しくは知らない。
悲しい話を風の便りで聞いたのは、かなり後になってからだった。

だから、臓器移植法が議論されているとき、何を迷う必要があるのかと私は思った。

脳死か三徴候死かは、私自身にとっては、あまり問題ではなかった。

だが、今も私は、ドナーカードを持ってはいない。
運転免許書の裏の臓器提供の意思の箇所にも、印をつけてはいない。

それを考え続けさせる本に何冊も出会ってきたからだ。
それについては又つづく