園芸店で木瓜を見つけたことから、久しぶりに「家栽の人」を読んでいた。
転勤が多い家庭では、子供の学校・教育問題は難しい。
一たび法服を脱げば裁判官も、生身の人間、人の親。転勤の多い裁判官の夫婦の間が、子供の教育問題でギクシャクする章で万葉集が紹介されていた。
万葉集巻2
みこもかる信濃の真弓我が引かば 貴人さびて否と言はむかも(万2-95)
みこもかる信濃の真弓引かずして 弦著くるわざを知ると言はなくに(万2-96)
これに興味をもって万葉集を紐解くと、つづく歌が、
梓弓引かばまにまに寄らめども 後の心を知りかてぬかも(万2-97)
梓弓つらを取佩け引く人は 後の心を知る人ぞ引く(万2-98)
梓弓が神事に用いられるのは知っていたが、よくよく考えると、梓という木にお目にかかった記憶がない。
梓といえば、皇太子様の御印であり、皇太子様のお誕生日ということもあり、梓を調べてみた。
調べてみると、梓という木にお目にかかったことがない理由が判明。
なんと、梓という木には諸説あり、梓をミズメと同定する説とキササゲと同定する説があり、ネットでは皇太子様の梓はミズメという説が専らであるらしいが、とにかく諸説あるのだ。
正倉院の梓弓を顕微鏡的調査をした結果ミズメであったことから、梓はミズメという通説と、皇太子同妃両殿下の御成婚を祝うコインに記された御印はキササゲと見受けられること、キササゲこそ百木の長と尊ばれることからキササゲ説を推す人もいるようだ。
この曖昧な感じが良い。
諸説あり曖昧であっても、いずれにせよ公約数的に 梓 は木王。
皇太子様のお誕生日を前に出た雑誌では、皇太子様の御言葉を公約数的だという批判もあったようだが、公約数の何が悪いのか。
世の中には、さまざまな考えがあり、ある時代で正しいとされたことも時が移ろえば違う評価となり得るが、間違いないのは、公約数的考えは限りなく普遍的価値を有しているということ。
皇太子様の御印に諸説あっても、公約数的に木の王であるように、
皇太子様のお考えが、きっぱりハッキリ明確でなくとも、だからこそ普遍的真理に通じる王道だと信じている。
皇太子様 お誕生日 おめでとうございます
転勤が多い家庭では、子供の学校・教育問題は難しい。
一たび法服を脱げば裁判官も、生身の人間、人の親。転勤の多い裁判官の夫婦の間が、子供の教育問題でギクシャクする章で万葉集が紹介されていた。
万葉集巻2
みこもかる信濃の真弓我が引かば 貴人さびて否と言はむかも(万2-95)
みこもかる信濃の真弓引かずして 弦著くるわざを知ると言はなくに(万2-96)
これに興味をもって万葉集を紐解くと、つづく歌が、
梓弓引かばまにまに寄らめども 後の心を知りかてぬかも(万2-97)
梓弓つらを取佩け引く人は 後の心を知る人ぞ引く(万2-98)
梓弓が神事に用いられるのは知っていたが、よくよく考えると、梓という木にお目にかかった記憶がない。
梓といえば、皇太子様の御印であり、皇太子様のお誕生日ということもあり、梓を調べてみた。
調べてみると、梓という木にお目にかかったことがない理由が判明。
なんと、梓という木には諸説あり、梓をミズメと同定する説とキササゲと同定する説があり、ネットでは皇太子様の梓はミズメという説が専らであるらしいが、とにかく諸説あるのだ。
正倉院の梓弓を顕微鏡的調査をした結果ミズメであったことから、梓はミズメという通説と、皇太子同妃両殿下の御成婚を祝うコインに記された御印はキササゲと見受けられること、キササゲこそ百木の長と尊ばれることからキササゲ説を推す人もいるようだ。
この曖昧な感じが良い。
諸説あり曖昧であっても、いずれにせよ公約数的に 梓 は木王。
皇太子様のお誕生日を前に出た雑誌では、皇太子様の御言葉を公約数的だという批判もあったようだが、公約数の何が悪いのか。
世の中には、さまざまな考えがあり、ある時代で正しいとされたことも時が移ろえば違う評価となり得るが、間違いないのは、公約数的考えは限りなく普遍的価値を有しているということ。
皇太子様の御印に諸説あっても、公約数的に木の王であるように、
皇太子様のお考えが、きっぱりハッキリ明確でなくとも、だからこそ普遍的真理に通じる王道だと信じている。
皇太子様 お誕生日 おめでとうございます