何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

真の仕合せとは

2016-01-15 01:17:15 | ニュース
<「人」お題に歌会始=皇居> 時事通信 1月14日(木)11時51分配信より一部引用
新年恒例の宮中行事「歌会始の儀」が14日午前、皇居・宮殿「松の間」で行われた。
今年のお題は「人」。天皇、皇后両陛下や皇族方のほか、天皇陛下から招かれた召人(めしうど)、選者、約1万9000首の一般応募の中から選ばれた入選者10人の歌が、古式にのっとった独特の節回しで披露された。


皇室の数ある伝統行事のなかでも、私は「歌会始の儀」が好きで、あの独特の節回しなら何時間でも聴いていたほどだ。
とは云っても、歌心などは皆無なのだが、毎年お題を頂戴すると「今年こそは」などと密かに胸に決め、指折り考えたりは、している。
それが今回は、お題「人」も歌会始の儀の日もすっかり失念していた。
ただ、昨日どうしようもなく落ち込む私の耳元に、ぼそぼそと聞こえてきた歌に「人」という言葉があり、その歌詞に励まされたばかりなので、今年のお題が「人」であったことに勝手に御縁を感じている。

『縦の糸はあなた 横の糸は私
 逢うべき糸に 出逢えることを
 人は 仕合わせと呼びます』 「糸」(作詞作曲 中島みゆき)より

普段は筋肉頭系の子が、「合うべきものに出会えることを仕合せ、って言うんだよ」と、わざわざ「仕合せ」という字を書いて説明してくれた。学年のせいか筋肉頭のせいか、はたまた歌詞を耳から覚えたせいか、「逢う」という字ではなく「合う」という字での説明だったが、その歌詞と説明は、落ち込むばかりの私に、ワンコに出会えて17年も共に過ごせたことを「仕合せ」と云わずして何と言うべきかと気づかせてくれたのだ。

今改めて「仕合せ」の意味を調べると、「①めぐりあわせがよい・こと(さま) ②めぐりあわせ、運命。 ③ことの次第、始末」とあり、別の資料によると昔は 『何か2つの動作などが「合う」こと、それが「しあわせ」だというのです。別のことばで言い換えれば、「めぐり合わせ」に近いでしょう。自分が置かれている状況に、たまたま、別の状況が重なって生じること、それが「しあわせ」だったのです。ですから昔は、「しあわせ」とはいい意味にも悪い意味にも用いたようです。偶然めぐり合った、よい運命も悪い運命も、「しあわせ」だったのです。』
(漢字文化資料館より URL http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0416/)

人の出会いは偶然に支配されるものなので、「逢う (筋肉頭的にはピッタリ)合う)」べきものに出会えることこそが、「仕合せ」なのだろう。
そして、その巡り合いには楽しい時間も悲しい別れもあるが、すべてひっくるめて「仕合せ」というのだと思う。
我が家にピッタリ「合う」ワンコに出会えたことの「仕合せ」をかみしめながら、その時間が続くことを心から祈っている。


ところで、昨年の「歌会始の儀」で皇太子様が詠われた小学校が、今年「金小(金山町金山小)歌会始」を開いたそうだ。
<金山小で初の「金小歌会始」視察の皇太子さま、昨年詠まれたことを記念>山形新聞 1月13日(水)17時0分配信より一部引用 
皇太子さまが昨年1月の「歌会始の儀」で、金山町金山小(須藤信一校長)を視察した印象を詠まれたことを記念し、同校で13日、初の「金小歌会始」が開かれた。5、6年生の代表14人が自作の短歌を発表した。
皇太子さまは2014年10月、全国育樹祭出席のため同町を訪問された際、地元の「おはなしサークル きつねのボタン」が児童に読み聞かせを行う様子を視察。15年1月14日に皇居で開かれた歌会始の儀で、「山あひの 紅葉深まる 学び舎に 本読み聞かす 声はさやけし」と詠まれた。
同校はこの喜ばしい出来事を、今後も長く語り継いでいこうと歌会始を企画。5年生40人、6年生42人は「本」「人」をお題に短歌を作った。新庄龍山短歌会(高山敏子会長)が会員投票で各学年7点ずつを 優秀作として選出。この日は4~6年生120人を前に、作者計14人が一人ずつ作品を堂々と発表した。
URL http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160113-00000232-yamagata-l06

皇室と国民が出逢い、文化的に高め合えることの「仕合せ」を感じているが、今年の御歌にも、出会いと「仕合せ」を祈る御気持が溢れている。
皇太子殿下
スペインの小さき町に響きたる 人々の唱ふ復興の歌
雅子妃殿下
ふるさとの復興願ひて語りあふ 若人たちのまなざしは澄む

未曾有の大災害からたった五年で風化されてしまったかの感がある震災報道だが、新年最初の歌会始で、皇太子ご夫妻がともに東日本大震災の復興を願うお気持ちを込めて詠われたことで、復興を確かなものにしていかなければならないと、改めて思いを深くしている。
このような気付きを頂けることも、出逢いの「仕合せ」だと思っている。

ワンコ on my mind

2016-01-14 01:08:55 | ひとりごと
九日、「口内炎」の診断とともに点滴をして頂いた直後は、自力でチッチをし起き上がろうとする気力が出てきたので、少し安心していたが、12日から食べるということを拒否する。
水分は美味しそうに摂るのだが、ペースト状にしたフードを拒否するのは勿論、大好きなチーズやササミまでも拒否する。
口内炎の腫れは格段に良くなっているのに、これでは体力がもたないと、今日13日、点滴のためワンコ病院に。
・・・・・。
目頭が熱くなり、胸が痛くなり、頭が真っ白になり、どう帰宅したのか、分からない。

午後から、何が何だか分からないまま茫然と仕事をしていたが、帰宅直前に上司から声をかけられ、事情を説明した。
数年前に18歳の愛犬を見送り、今現在100歳のおばあ様を介護されている上司。

17歳をこえると、動物愛護協会?から表彰されるほどなのだから、ワンコも家族も立派で幸せなのだ、と。
生あるものの定めは誰にでも訪れるけれど、それを受け入れる時間を与えてくれるワンコは偉い、と。
一日一日を大切に過ごすように、と。
でも、諦めてしまわないように、と。
上司の100歳のおばあ様、寝返りを打っただけで骨折となり手術された直後に、今度は腸閉塞に、腸閉塞の治療も成功したが、意識は朦朧とし飲み食い一切を受け付けない状態になられ、余命1週間の宣告とともに退院を迫られたのが年末も押し迫った頃。帰宅後、こうなれば何でも好きな物を胃に納めてもらって見送ろうと、おばあ様好みの食事を液状になるまで煮込み、それにトロミをつけたものを口に近づけたところ、一口また一口と喉を通り、今では食欲も出て回復傾向にある、と。
だから、心の準備をしながら、でも諦めずに出来ることは全てしてあげるように、と。

覚悟と少しの勇気をもらい帰宅すると、昨日は拒否していたチーズだけでなくプリンも数口食べたという。
ワンコは水分は上手に摂るので、フードの原型がなくなるまでカボチャとササミの煮汁で煮込んだ液体を作ってみた。
美味しそうに飲んでくれた。

まだ、何の心の準備もできてない不甲斐ない私だよ、ワンコ。
笑いの真ん中にはいつもワンコがいて、哀しみの時には傍らにそっと寄り添ってくれるワンコ。

ワンコ 頼むよワンコ

未来に間に合うための責任

2016-01-12 01:11:33 | 
「今を生きる人間の義務」からのつづき

「和僑」(楡周平)は、日本が未だかつて経験したことのない人口減少社会という難題に立ち向かう手法と精神論を説いている。
資産とリスクを分散するための華僑に対し、国家蒼茫の危機であっても国を捨てることなく、国に殉じるであろう日本人の気質から、「和僑」の山崎と時田は、日本国内にあって海外展開できる企業を興すことで、人口減用と地方再生のモデルケースを作ろうと考える。

だからと云って、海外留学や海外勤務を敬遠する傾向にある内向き志向の若者が漫然と真似できるものでは、もちろん、ない。
この案を考えリードするのが、裸一貫アメリカに渡り大成功した時田と、商社マンとして海外勤務を経験した山崎であることを忘れてはならない。

真の「和僑」となるためには、海外文化にも言語にも精通している、もしくは、吸収する努力を怠らない姿勢が必要とされると思われる。

日本の底力を世界に見せるためには、まず日本人自らが日本文化の底力を理解し、それを外国人に説得するだけの語学力が必要であり、海外で十分やってゆける国際人であって初めて、国内にいながら海外と伍して戦えるのかもしれない。
だが、この厳しい条件を楽々とクリアしているにもかかわらず、日本の為に働きたいと考え日本に戻り、更には日本の真ん中の畏きあたりで生きる決意をした女性の報われない20年を思う時、「和僑」が日本を救う日が訪れるのか、不安にかられる。

ハーバードをマグナクムラウデで卒業した雅子さんは、世界の並み居る一流企業から、条約局長を務める父よりも高額の給与を提示され就職を乞われたという。
しかし、「根無し草になりたくない」「日本の為に働きたい」という強い希望をもった雅子さんは、帰国し薄給の公務員の道を選ぶ。
その雅子さんは、さらに新しい道を選び、決意を語っておられる。((1月19日婚約会見より)
『今、私の果たすべき役割というのは、殿下からのお申し出をお受けして、皇室という新しい道で自分を役立てることではないかと、そのように考えましたので、決心したわけですから今、悔いはございません』

この殿下からのお申し出のなかに、「外交官として日本のために働くことも、皇太子妃として日本のために働くことも、日本のために働くという意味で同じではないですか」というお言葉があったと、伝えらている。
しかし、「自身の特性を活かして日本の為に働く、そのために皇室という新しい道で自分を役立てたい」という雅子妃殿下の願いは、木端微塵に打ち砕かれてしまう。

世継ぎの重みは理解しているし、当時として男児誕生が望まれたことも理解している。
しかし、御懐妊に向けた準備と同時に、雅子妃殿下の能力が活かされる御活動が認められておれば、事態は今とは大きく違っていたはずだ。
そして、雅子妃殿下が活躍される姿が国民に示されておれば、その御姿は、楡氏が提示する「和僑」の文化面での体現となり、若者の内向き志向などという傾向も、なかったかもしれない。

日本にいながらにして、海外と伍してやっていくことが出来る一つの答えが、ある。
失った長い時間は日本の損失であり、奪われた時間は雅子妃殿下を苦しめ続けた。
だが、遅過ぎたとはいえ、何か出来るはずだし、まだ間に合うと思いたい。
今年こそ、その想いと願いをこめて、祈っている。

もう一つ、間に合わせねばならない事、次の世代に先送りできない事がある。
「和僑」が懸念する人口減少問題は、2040年、地方自治体の半数が消滅するという可能性を示しているが、その理由は出産可能な20~39歳までの女性が激減することだという。
敬宮様が2040年まさにその年齢となられることから考えると、これは待ったなしの先送りできない問題であることは確かであるし、そもそも大身宝を産む性を軽んじたままで解決できる問題ではない。

『やがて直面することが分かってる問題を先送りすりゃ、解決を困難にするだけだ』

日本の未来のために、間に合って欲しいと痛切に祈っている。


<間に合ったワンコ>
「わが心の ワンコ」でワンコの口内炎について書いた。
一時はどうなるかと思われたワンコだが、口内炎の塗り薬が効果覿面だったようで、みるみる口内炎は小さくなり口臭も消え、おまけに「男前ワンコは歯が命」とばかりに、白い歯が輝いている。
咀嚼力の低下と消化力を助けるために、ササミや野菜の煮汁でフードをペースト状にしていたが、それが歯茎に長くとどまり雑菌となっていたかもしれないと、久々の白い歯を見て気が付いた。
とは云え、食欲が戻ったわけではないし、ペースト状ではない固いフードが食べられるとも思えないことから、今膝上で夜鳴きしている、この夜鳴き同様に、これから食事が大きな難題となってきそうだ。
ともあれ、例の恥ずかしそうな鳴き声と前足で我々にそれと知らせ、再び自力で立ってチッチができるようになったことが、嬉しい。
間に合った、ワンコ








わが心の ワンコ

2016-01-10 22:17:55 | ひとりごと
題名の「わが心の ワンコ」は、「わが心のジェニファー」(浅田次郎)のもじり。

いつもの本仲間から勧められて手にとったものの、七日からワンコの体調が芳しくなく、新しい本を読む気分ではなかった。

後ろ足に踏ん張る力がなくウンチポーズがとれないため、ウンチ介助をするようになって数か月たつが、チッチは自分で頑張っていた。
チッチ前には、恥ずかしそうな声で鳴き前足を人の腕にかけ、それと知らせる、ワンコ。
ワンコを庭の定位置に連れて行くと、自力で立って用を足す、ワンコ。
自分でチッチができることが、ワンコ自身の’’支え’’だったのかもしれない。
それが、七日から粗相をするようになり、自力で立ってチッチをすることが難しくなってしまった。
食欲もない。
夜鳴きどころか、のべつ幕なく吠え立てる。

以前、「老化は徐々の進むのではなく階段状に進む」と教えられていたので、一気に一段階進んでしまったのかと落ち込んでいたが、それにしても、鳴き方が凄まじい。
今までにない口臭もある。

くちびるをめくると、2.5㎝ほどの腫物がある。
五日の夜確認した時にはなかったはずの腫物が、たった二日で2.5㎝にもなっている。

もはや覚悟を決めねばならないのか。

ワンコと過ごした17年の日々が走馬灯のように頭を駆け巡り、恐ろしい宣告を受けるかもしれない覚悟を持つことが出来ず、ワンコ病院に行く勇気が持てないでいたが、ワンコの鳴き声が一刻の猶予も許さないような悲痛なものを帯びていた。

ワンコだけが知っている、私の心の痛み。
おそらくワンコだけが知っている、家族それぞれの痛みがあったにちがいない。

今、これ以上ワンコを苦しめてはならない。
せめて痛みだけは取り払わなくては。

おそろしい宣告を受ける覚悟で胸が潰れ、震える腕でハンドルを握り、ワンコ病院へ。

休日だが運よくワンコが大好きな美人先生がいてくださった。
この美人先生は、むやみと検査はされないが、科学的検査と同じほどの精度で、的確な診断をしてくださるので、ワンコともども心から信頼してきた。
その美人先生は一目患部を見るなり・・・・・

「口内炎です、塗り薬をぬっておきましょう」と。

あぁーーーーーーーーーー良かった、胸を撫で下ろす、私。

いや、口内炎だからといえ、良くはないのだ。

また体重が少し減っていた。

口内炎で口から栄養が摂りにくい日が続けば、さらに減る。
それは、そのまま生命の危機にも繋がりかねない。

当分の間、点滴に通うことになったが、最悪の事態を想定してのたうち回っていた我が家は、ほんの少しだけホッとした空気に包まれている。

今、初等科卒業文集で「生き物の命」について書かれた敬宮様の優しさを思い出しながら、「愛子の海の上の診療所」を読み返している。(参照、「受け継がれる命を育む御心」 「海の如く広い愛と創造の翼」

敬宮様が生き物を手当てされたならば、ワンコの美人先生のように、患ワンコから全幅の信頼をおかれる素晴らしい獣医さんになられることだろう、そんなことを思い浮かべる余裕ができたことが、今は有難い。



今を生きる人間の義務

2016-01-09 00:08:37 | 
「Lucyはそう言うけれど」からのつづき

農業と畜産業で安定的な雇用を生み出せれば、若者の流出を食い止め人口増加に転じることができるのではないかと悩んでいた山崎町長に、アメリカで裸一貫から出発し次々と外食産業を成功させた時田はアドバイスする。
それは、日本食で世界に打って出る、緑原の農畜産物を使った日本食をアメリカに売り出すということ。
どこかで聞いたことのことのあるような案で、思わずlucyなら『理解できるような助言はきかないこと・・・ぜんぜん役に立たないにきまってるわ!』「スヌーピーたちの人生案内 」(チャールズ・M・シュルツ著 谷川 俊太郎 ・訳より) と言うだろうと厳しいことを書いてしまったが、単に日本食を売り込むだけでなく、それを日本で冷凍食品に加工して輸出するという手段をとるところが、アメリカで成功した時田と商社マンとしてアメリカに赴任したこともある山崎町長らしい案であり、外資系企業での勤務経験のある作者ならではの発想なのだと思われる。

農畜産物は天候や季節性の問題があり安定的な出荷という点で難点を抱えているし、最高の日本食を届けることに拘りすぎれば鮮度という問題も生じてくる。そのうえ、日米ではそもそも味覚に違いがある。(参照、「開花不進我が家」
そのあたりの問題を一気に解決できる案として時田と山崎が考えたのが、日本食の冷凍食品だ。
冷凍食品なら季節性や鮮度の問題は解消されるし、船便を使えば輸送費も格段に安くあげられるので、十分競争力があるというコスト面からの利点以上に、山崎と時田が重視する点がある。
農畜産業者にとっては、日本の食材を安定的に供給できる先が確保でき収入の安定を見込めるだけでも朗報だろうが、それだけでは農畜産業者の数が維持できるにすぎない。だが、日本の食材を日本で冷凍して出荷できれば、冷凍加工工場という新たな職場が生まれ、雇用も増える。
これこそが人口減少に危機感を持っていた山崎の目指すところだった。

単純に利潤だけを追及するのであれば、いずれ追随者が出て競争力が落ちることは、時田も山崎町長も覚悟している。が、人口減少・地方再生といった点でのモデルケースを模索するからこそ、敢えて打って出ようとする、その心意気に大いに感ずるところがあった。

アメリカで一旗揚げた時田は、「和僑を目指せ」という。
世界中どこの国に行っても中国人がいることにつ いて「中国人が外に出ていくのは、国なんか信用していないからだ」と時田は言う。
『幾づもの王朝が現れては消え、離合集散を繰り返してきた国だもの。それも、その度に国が乱れ、大変な血が流れだ。近代だって、毛沢東の時代だけでも、文化大革命二千万人、大躍進三千万人だよ。中国の赤は血の赤だと、中国人自身が語っからね』
『実際、アメリカさいっとよぐわがんのっさ。俺も中国人の身内に集まりっつうのさ呼ばれだごがあんだげんども、兄弟親戚が世界中さちらばってんだよな。中国本土、台湾、日本、ヨーロッパ。オーストラリアー。なしてだべと思ってだら、どごの国だって、今は良くとも、いづれどうなっか分がんねえ。一族郎党が一つの国さ固まってだら、どごさも逃げ場がねえど 語んだよ。万が一の場合は、その時に一番状況のいい国さ住んでる身内を頼ればいいど・・・・・。』
『資産も分散されているわけだす、移り住んだどすても、身内がいればゼロがらやるわけでねえがらね。生活の目処も立てやすがすべ』

『ところが、日本人は滅多なことでは国を捨てようとしない。土地を離れるといっても、都市部に出るのが精々。国が沈没すれば、一族郎党運命を共にする―』

この日本人の性質を熟知したうえで、資産もリスクも分散するという手法を考える、それこそが時田と山崎が目指す「和僑」なのだ。
『~略~日本はもうすぐ超高齢化、人口減少社会を迎えるのはさけられねえ。いつか人口が回復するにすても、苦しい時代を耐えしのばねばなんねえ。問題は、本当に日本 がそれを乗り越えられるかだ。万が一にでも どぼん  するようなことがあれば、緑原の人だづはどうすんだ。皆が皆助かるわけではねえにしろ、少しでも逃げ場のある人間を作っておく。それも、いまを生きる人間が考えでおかねえどなんねえことでねえのが』
・・・と語る時田に対し、山崎は言う。
『本気で緑原を和僑の町にするつもりなんですね』

緑原を和僑の町にする、日本国内にあって海外展開できる企業を興す、この心意気と手法に私は打たれた。
それは、物語の最後、山崎が初めて故郷の言葉で誓いを立てる場面に象徴的に表れている。

『僕はやりますよ。
 何が何でもこの事業を成功させて、日本の農畜産業復活、地方再生のモデルケースを作り上げて見せますよ』
『日本の底力を見せでやっぺ』
『「やってやっぺ」緑原に帰ってから も 出なかった故郷の言葉が、なぜか自然に湧いてきた。
 山崎は、和僑になった』

今改めて「和僑」という言葉を調べると、「僑」の文字が「外地に仮住まいをする人」を意味することからも分かるように、「和僑」とはやはり''海外''で活動する邦人を指している。
しかし、楡周平氏が書く「和僑」は、日本国内にあって海外展開できる企業を興すところが、目新しく素晴らしい。

だからと云って、海外留学や海外勤務を敬遠する傾向にある内向き志向の若者が漫然と真似できるものでは、もちろん、ない。
この案を考えリードするのが、裸一貫アメリカに渡り大成功した時田と、商社マンとして海外勤務を経験した山崎であることを忘れてはならない。

真の「和僑」となるためには、海外文化にも言語にも精通している、もしくは、吸収する努力を怠らない姿勢が必要とされると思われる。
そのあたりについては、つづく