<「人」お題に歌会始=皇居> 時事通信 1月14日(木)11時51分配信より一部引用
新年恒例の宮中行事「歌会始の儀」が14日午前、皇居・宮殿「松の間」で行われた。
今年のお題は「人」。天皇、皇后両陛下や皇族方のほか、天皇陛下から招かれた召人(めしうど)、選者、約1万9000首の一般応募の中から選ばれた入選者10人の歌が、古式にのっとった独特の節回しで披露された。
皇室の数ある伝統行事のなかでも、私は「歌会始の儀」が好きで、あの独特の節回しなら何時間でも聴いていたほどだ。
とは云っても、歌心などは皆無なのだが、毎年お題を頂戴すると「今年こそは」などと密かに胸に決め、指折り考えたりは、している。
それが今回は、お題「人」も歌会始の儀の日もすっかり失念していた。
ただ、昨日どうしようもなく落ち込む私の耳元に、ぼそぼそと聞こえてきた歌に「人」という言葉があり、その歌詞に励まされたばかりなので、今年のお題が「人」であったことに勝手に御縁を感じている。
『縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます』 「糸」(作詞作曲 中島みゆき)より
普段は筋肉頭系の子が、「合うべきものに出会えることを仕合せ、って言うんだよ」と、わざわざ「仕合せ」という字を書いて説明してくれた。学年のせいか筋肉頭のせいか、はたまた歌詞を耳から覚えたせいか、「逢う」という字ではなく「合う」という字での説明だったが、その歌詞と説明は、落ち込むばかりの私に、ワンコに出会えて17年も共に過ごせたことを「仕合せ」と云わずして何と言うべきかと気づかせてくれたのだ。
今改めて「仕合せ」の意味を調べると、「①めぐりあわせがよい・こと(さま) ②めぐりあわせ、運命。 ③ことの次第、始末」とあり、別の資料によると昔は 『何か2つの動作などが「合う」こと、それが「しあわせ」だというのです。別のことばで言い換えれば、「めぐり合わせ」に近いでしょう。自分が置かれている状況に、たまたま、別の状況が重なって生じること、それが「しあわせ」だったのです。ですから昔は、「しあわせ」とはいい意味にも悪い意味にも用いたようです。偶然めぐり合った、よい運命も悪い運命も、「しあわせ」だったのです。』
(漢字文化資料館より URL http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0416/)
人の出会いは偶然に支配されるものなので、「逢う (筋肉頭的にはピッタリ)合う)」べきものに出会えることこそが、「仕合せ」なのだろう。
そして、その巡り合いには楽しい時間も悲しい別れもあるが、すべてひっくるめて「仕合せ」というのだと思う。
我が家にピッタリ「合う」ワンコに出会えたことの「仕合せ」をかみしめながら、その時間が続くことを心から祈っている。
ところで、昨年の「歌会始の儀」で皇太子様が詠われた小学校が、今年「金小(金山町金山小)歌会始」を開いたそうだ。
<金山小で初の「金小歌会始」視察の皇太子さま、昨年詠まれたことを記念>山形新聞 1月13日(水)17時0分配信より一部引用
皇太子さまが昨年1月の「歌会始の儀」で、金山町金山小(須藤信一校長)を視察した印象を詠まれたことを記念し、同校で13日、初の「金小歌会始」が開かれた。5、6年生の代表14人が自作の短歌を発表した。
皇太子さまは2014年10月、全国育樹祭出席のため同町を訪問された際、地元の「おはなしサークル きつねのボタン」が児童に読み聞かせを行う様子を視察。15年1月14日に皇居で開かれた歌会始の儀で、「山あひの 紅葉深まる 学び舎に 本読み聞かす 声はさやけし」と詠まれた。
同校はこの喜ばしい出来事を、今後も長く語り継いでいこうと歌会始を企画。5年生40人、6年生42人は「本」「人」をお題に短歌を作った。新庄龍山短歌会(高山敏子会長)が会員投票で各学年7点ずつを 優秀作として選出。この日は4~6年生120人を前に、作者計14人が一人ずつ作品を堂々と発表した。
URL http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160113-00000232-yamagata-l06
皇室と国民が出逢い、文化的に高め合えることの「仕合せ」を感じているが、今年の御歌にも、出会いと「仕合せ」を祈る御気持が溢れている。
皇太子殿下
スペインの小さき町に響きたる 人々の唱ふ復興の歌
雅子妃殿下
ふるさとの復興願ひて語りあふ 若人たちのまなざしは澄む
未曾有の大災害からたった五年で風化されてしまったかの感がある震災報道だが、新年最初の歌会始で、皇太子ご夫妻がともに東日本大震災の復興を願うお気持ちを込めて詠われたことで、復興を確かなものにしていかなければならないと、改めて思いを深くしている。
このような気付きを頂けることも、出逢いの「仕合せ」だと思っている。
新年恒例の宮中行事「歌会始の儀」が14日午前、皇居・宮殿「松の間」で行われた。
今年のお題は「人」。天皇、皇后両陛下や皇族方のほか、天皇陛下から招かれた召人(めしうど)、選者、約1万9000首の一般応募の中から選ばれた入選者10人の歌が、古式にのっとった独特の節回しで披露された。
皇室の数ある伝統行事のなかでも、私は「歌会始の儀」が好きで、あの独特の節回しなら何時間でも聴いていたほどだ。
とは云っても、歌心などは皆無なのだが、毎年お題を頂戴すると「今年こそは」などと密かに胸に決め、指折り考えたりは、している。
それが今回は、お題「人」も歌会始の儀の日もすっかり失念していた。
ただ、昨日どうしようもなく落ち込む私の耳元に、ぼそぼそと聞こえてきた歌に「人」という言葉があり、その歌詞に励まされたばかりなので、今年のお題が「人」であったことに勝手に御縁を感じている。
『縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます』 「糸」(作詞作曲 中島みゆき)より
普段は筋肉頭系の子が、「合うべきものに出会えることを仕合せ、って言うんだよ」と、わざわざ「仕合せ」という字を書いて説明してくれた。学年のせいか筋肉頭のせいか、はたまた歌詞を耳から覚えたせいか、「逢う」という字ではなく「合う」という字での説明だったが、その歌詞と説明は、落ち込むばかりの私に、ワンコに出会えて17年も共に過ごせたことを「仕合せ」と云わずして何と言うべきかと気づかせてくれたのだ。
今改めて「仕合せ」の意味を調べると、「①めぐりあわせがよい・こと(さま) ②めぐりあわせ、運命。 ③ことの次第、始末」とあり、別の資料によると昔は 『何か2つの動作などが「合う」こと、それが「しあわせ」だというのです。別のことばで言い換えれば、「めぐり合わせ」に近いでしょう。自分が置かれている状況に、たまたま、別の状況が重なって生じること、それが「しあわせ」だったのです。ですから昔は、「しあわせ」とはいい意味にも悪い意味にも用いたようです。偶然めぐり合った、よい運命も悪い運命も、「しあわせ」だったのです。』
(漢字文化資料館より URL http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0416/)
人の出会いは偶然に支配されるものなので、「逢う (筋肉頭的にはピッタリ)合う)」べきものに出会えることこそが、「仕合せ」なのだろう。
そして、その巡り合いには楽しい時間も悲しい別れもあるが、すべてひっくるめて「仕合せ」というのだと思う。
我が家にピッタリ「合う」ワンコに出会えたことの「仕合せ」をかみしめながら、その時間が続くことを心から祈っている。
ところで、昨年の「歌会始の儀」で皇太子様が詠われた小学校が、今年「金小(金山町金山小)歌会始」を開いたそうだ。
<金山小で初の「金小歌会始」視察の皇太子さま、昨年詠まれたことを記念>山形新聞 1月13日(水)17時0分配信より一部引用
皇太子さまが昨年1月の「歌会始の儀」で、金山町金山小(須藤信一校長)を視察した印象を詠まれたことを記念し、同校で13日、初の「金小歌会始」が開かれた。5、6年生の代表14人が自作の短歌を発表した。
皇太子さまは2014年10月、全国育樹祭出席のため同町を訪問された際、地元の「おはなしサークル きつねのボタン」が児童に読み聞かせを行う様子を視察。15年1月14日に皇居で開かれた歌会始の儀で、「山あひの 紅葉深まる 学び舎に 本読み聞かす 声はさやけし」と詠まれた。
同校はこの喜ばしい出来事を、今後も長く語り継いでいこうと歌会始を企画。5年生40人、6年生42人は「本」「人」をお題に短歌を作った。新庄龍山短歌会(高山敏子会長)が会員投票で各学年7点ずつを 優秀作として選出。この日は4~6年生120人を前に、作者計14人が一人ずつ作品を堂々と発表した。
URL http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160113-00000232-yamagata-l06
皇室と国民が出逢い、文化的に高め合えることの「仕合せ」を感じているが、今年の御歌にも、出会いと「仕合せ」を祈る御気持が溢れている。
皇太子殿下
スペインの小さき町に響きたる 人々の唱ふ復興の歌
雅子妃殿下
ふるさとの復興願ひて語りあふ 若人たちのまなざしは澄む
未曾有の大災害からたった五年で風化されてしまったかの感がある震災報道だが、新年最初の歌会始で、皇太子ご夫妻がともに東日本大震災の復興を願うお気持ちを込めて詠われたことで、復興を確かなものにしていかなければならないと、改めて思いを深くしている。
このような気付きを頂けることも、出逢いの「仕合せ」だと思っている。