何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

心つなげ!

2016-04-19 19:33:11 | 
昨日の「龍の背を乗りこなせる火の国の人」で、「永遠をさがしに」(原田マハ)を手に取ったのは表紙に惹かれたからだと書いたが「優しい死神の飼い方」(知念実希人)を手に取ったのも同じ理由だ。
知念氏の作品を初めて知ったのは「天久鷹央の推理カルテ」だったが、そのときは表紙を見て読むのを躊躇ったので、本を選ぶとき、表紙が果たす役割は意外なほど大きいのかもしれないと今更ながらに感じている。

「優しい死神の飼い方」の内容については改めて書くつもりだが、今日は本書のなかの一文とあわせて書いておきたいニュースを見かけたので、それを優先しようと思う。

鯱を失った熊本城、全半壊している家屋、避難所に身を寄せておられる被災者の方々に追い打ちをかけるように続く余震のニュースを見ていると胸が締め付けられるように苦しくなるが、それでも発災以降あまり悲観的な論調で書いてこなかったのは、地球規模で地殻変動と異常気象がおこる時代に入り誰もが被災者となる覚悟を持たねばならないので、過剰な悲観論と自粛ばかりでは、そのうち神経がもたなくなるかもしれないと感じたからだ。

しかし、悲しく空しい現実を明らかにせねばならないほどに、心の荒廃は進んでいるのかもしれない。

<被災地で車に誘い込まれそうになる事件発生 熊本県警が注意を喚起>  2016年4月19日 1時38分 西日本新聞 より一部引用
熊本県警によると、地震で混乱が続く熊本県内の被災地で、避難先などから車の中に誘い込まれそうになったり、不審者につきまとわれるといった事件が起きており、同県警は「お子さん、女性を1人にせず、複数で行動する」「夜間の行動は避ける」「人通りの多いところを通行する」などを呼びかけている。
また、不審者や不審車両を目撃した場合は、ナンバーなどや車の特徴をメモし、最寄りの警察署などに通報するよう、協力を求めている。

<熊本地震 火事場泥棒許さない 被災地へ私服警察と覆面パトカー投入> 産経新聞 4月18日(月)16時32分配信より一部引用
警察庁によると、熊本県外の警察に指示し、私服捜査員と覆面パトカーを応援として投入する。熊本県警と協力し、被災地のパトロールを強化すると共に、不審な人物の職務質問などを進める。
熊本県では、14日に益城町で震度7、16日夜には熊本市で震度6強を観測するなど、大地震が相次いだ。各地では被災者らが次々と避難し、18日朝の時点で県内638カ所の避難所に、計10万4900人が身を寄せている。
こうした中、窃盗に気付いた住民らが被害を訴えるケースが増加。熊本市内を中心に、避難が本格化した16日から17日にかけて、空き巣や事務所荒らしなどに遭ったとする110番通報が、約20件入っている。
被災地では、建物の崩落や道路の損壊により地域ば分断され、住民らの避難で広域が「無人状態」となっている地区がある。
警察庁は、被害に遭っていても、被災者が避難していて被害に気付いていないケースがあるとみており、今後、被害が増加する恐れがあると判断。住民が不在の住宅街などでパトロール活動を強化するほか、移動交番などを配置して、警戒を強化する方針を決めていた。


東日本大震災の被災者の方が、遠方への避難が進まない理由として「盗難が多すぎるので、自宅から離れられない」と語っておられるのを聞いたことがあるが、「紙つなげ 彼らが本の紙を造っている」(佐々涼子)にはそれを窺わせる事例が多く書かれている。
被災者は語る。(「紙つなげ」より引用)
『報道では美談ばかり言われるけれど、そんなもんじゃない。人の汚いところをいっぱい見ました』

『商店街はしばしば強奪の標的となった。モラルを失った者たちが、バットやゴルフクラブを持って町を徘徊していた。』
『集団の力を借りて、男たちは(バットやゴルフクラブで)破ったガラス扉から侵入すると、次々と服を盗ってバタバタと逃げて行った』
『被災地は無法地帯だった。電気もつかず電話もつながらない。いくら大声で叫んでも警察が駆けつけてくれる気配はなかった。』
『近隣の住人であれば顔見知りだろうから、日和山あたりに逃れた住民だろうか。被災直後のこの地域は、外部から隔絶されており救援すら届かない。外から入ってくることは考えにくいが、普通に暮らしていた人間が悪い奴らになったのだろうか』
『自然災害で店が壊されてしまったなら、それは運命と諦めもつくかもしれない。だが、津波の被害は免れたのに、この店は人間の力で壊されたのだ。窃盗犯の顔を見れば、唇にうっすらと笑みすら浮かんでいる』

荒廃した人が破壊したのは、物ばかりではない。
『ゴルフ練習場があるんですよ。ネット立ってるでしょう?津波がザーッと来て、遺体がたくさんひっかかって見つかった。その指先が切り取られてたって。遺体は水で膨らむから、指から指輪は抜けなくなる。だから貴金属を盗りたい奴が、指切って持ってくっていうのよ。それは外国人だという噂だよ』

東日本大震災のときにも、治安の乱れはあったにせよ、美談でくるまれる余裕がまだしもあったのかもしれないが、あれから5年、人心は更に荒廃したのか、美談でくるむ余裕すらなく、発災4日後にして警察庁が覆面パトカーと私服捜査員の投入を決定せねばならない事態となっている。

「紙つなげ」はフィクションではない。
丹念な取材に基づいて書かれた実話だということを肝に銘じて、そこに記される被災者の言葉を、我々は心に刻まなければならない。
『自然災害で店が壊されてしまったなら、それは運命と諦めもつくかもしれない。
 だが、津波の被害は免れたのに、この店は人間の力で壊されたのだ。』

冒頭で書いた「優しい死神の飼い方」には自然災害で亡くなった方の魂について書かれている。
『人間という傲慢な生物は、まるで自分達が世界の中心であるかのように考えている一方で、思いのほか自然に敬意を払っている。自然災害で命を落とした者は、特に地縛霊化する確率が高いわけではない。寿命で死ぬのと思じように、自然災害によって命を失うのも、人間は「運命」として受け入れる性質があるのだ』

突然の大災害で尊い命を失なわれた方々は無念であるに違いないが、八百万の神々に敬意を払う日本人ならば自然の理には頭を垂れるものなのかもしれない。だが、神様のもとへ向かう途中ふと振り返り眼下に見たものが、被災した我が家が窃盗に荒らされる場面だったり、伴侶との思い出深い指輪をはめた薬指が切り落とされる場面だったりしたとき、心安らかに神様のもとへ向かえるはずがない。

誰もが被災者になりうる時代、災害への備えは生活必需品だけではなく、モラルの再構築こそ必要なのかもしれない。

ところで、「優しい死神の飼い方」を手に取ったのは、表紙に惹かれたからだと書いた。
表紙をブログに掲載することが、著作権法に触れかねないことは承知しているが、①表紙を掲載する理由が記されている事②掲載サイズの規定を満たしておれば、引用の類推として許されるという説があるそうだ。(判例が確立していないので確かなことではないと付記しておかねばならないが)
この表紙の絵がもつ優しさは、犬種が違うとはいえ我ワンコを思い出させてくれものであり、又それ故に「死神~」という題名にもかかわらず本書を手に取ることとなったのだ。
そして、読んでみると、本書の犬のツンデレぶりは我がワンコに通じるものがあり、この表紙のおかげで読むことができたことに心から感謝している。
表紙に心からの感謝を示すためにも、装幀と装画に携わられた方の御名前とともに表紙を掲載させて頂くことを許されたいと思っている。         http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334929145

装幀 谷口博俊(next door design)  装画 くまおり純




参照、「紙つなげ」「神つなげ!「てんでんこ」の悲痛」 「祈り つなげ!」) 「愛つなげ!」

龍の背を乗りこなせる火の国の人

2016-04-18 19:50:25 | ひとりごと
<熊本地震 余震、南西方向へ拡大> 産経新聞 4月18日(月)7時55分配信より一部引用
熊本県益城町などで14日以降相次いだ熊本地震で、気象庁は17日、熊本県熊本地方でのマグニチュード(M)3・5以上の地震回数が同日午後1時半までに165回に上り、平成7年以降の内陸地震としては16年の新潟県中越地震を超え、最多になったことを明らかにした。熊本地方では余震が南西方向へ広がっており、同庁は今後1週間程度は震度6弱程度の余震が発生する恐れがあるとして警戒を呼びかけている。

「頑張れ 肥後もっこす」でも書いたように、素人目にも明確に分かるほどの16日未明の本震以降の震源域の拡大だが、震源域の変動というのは実は専門家ですら経験がなく、気象庁が会見で「予測がつかない」と発表せざるをえない事態なのだそうだ。こうなってくると俄然喧しくなるのがウォッチャーを名乗る人たちだが、専門家が匙を投げているのだから、今回ばかりはウオッチャーの言にも耳を傾けようかと、いろいろ検索したりしていた。
キーワードは、中央構造線?

震源が九州のみならず伊予にまで広がるに至り、中央構造線という文字が脳裏をよぎったので、そのラインを調べてみた。
日本を縦断している中央構造線上には、神々が宿っている。
西から阿蘇神社や高天原神話発祥の神宮といわれる幣立神宮、伊予灘をわたると山岳信仰で知られる石鎚山、四国を縦断し本州にはいると高野山、更に東に歩を進めた先にある伊勢神宮、伊勢神宮を急激に北上すると諏訪大社があり、東の最終地点には地震をおこすナマズを抑えつける要石を祀る鹿島神宮がある。

この壮大な中央構造線は「龍脈」とも云われ近年流行りのパワースポット的には「ゼロ磁場」「良い気が集まる気場」として人気が高いそうだが、地質学にもパワースポットにも不案内な私には、そのあたりのことは分からない。
ただ、龍脈を見ていると、「時間を超越して生きている自然は美しい」という言葉が思い出された。
昨年夏登った「涸沢」は、太古の時代氷河が山を削ってできたカールと呼ばれる氷河圏谷と雪渓で有名だ。
氷河圏谷の雪渓に積もっては消え積もっては消える雪に映える朝日は美しいし、雪の隙間からわずかに顔をだす高山植物は可憐だ。だが、雪渓に重なる豪雪はカール底のヒュッテを押しつぶすこともあるし、一たび大雨になれば濁流となり木々を押し流す様は恐ろしいという。
それでも涸沢が美しいのは、太古の時代から続く自然が今も生きているからだと熱心に語っておられる山人がいた。

中央構造線とは、7000万年ほど前に既にアジア大陸の東の端にできていた日本列島の大陸側半分に、南からやって来きた太平洋側の半分がくっ付いて日本列島が完成した、その接合面のことをいうという。
伊勢神宮から諏訪大社へ北上するラインの向こうに広がる地帯 ―1450万年ほど前に日本海ができ日本列島が大陸から離れた時に、糸魚川・静岡構造線の東側が陥没した― そこをフォッサマグナという。

7000万年やら1450万年やらという時間に思いを馳せるには、私はあまりにも想像力が乏しいが、中央構造線が永遠にも思える時間とエネルギーをためながら生きていることは感じられる。
生きているから美しくもあり、生きているから時にとんでもないエネルギーを放出せねばならなくなる。
人間ではどうしようもない力を秘める場所が美しければ、そこに人が神を見出すのは当然のことにように思える。

7000万年もの時は、私には永遠のように思えるが、永遠と云うものが単に過去の時間の積み重ねに過ぎないのなら、それはさほど美しくはないのかもしれない。
永遠にも思える時間が今という新しい時を重ね続けているからこそ美しい未来に繋がるのかもしれない等と屁理屈をこねるのは、分かりもしないくせに西田幾多郎の云う「永遠の今」を考えたりするのが好きな私の悪い癖だとは思っているが、「永遠の今」という言葉が好きな私に打って付けの題名の本を読んだ。
「永遠をさがしに」(原田マハ)
この本を思わず手に取ったのは、題名よりも表紙の絵に惹かれたからだし、この本について書こうと思ったのは、昨日(17日)演奏会のニュースを拝見したからだが、そのあたりについては又いずれ。
参照、http://t2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcS9yjQ5omnueBqhpg8hxcMgKRnUwo1vvKh_z0L9l9pcxzuyxkWy


最新のニュースによると、負傷者の生存率が下がるという72時間を目前にして小雨のなか懸命の捜索が続いているというし、大打撃を受けた農業や酪農家には不安が広がっているというので、永遠の今を感じさせる地は神聖で美しいなどと今書くのは不謹慎であるとは承知しているが、神武東征が九州のカルデラ破局噴火を受けてのことだったという説(「死都日本」石黒耀) まであることを考えると、大自然がもつ永遠ともいえる時間に刻々と今を刻む人間の営みも力強いと思っている。
西洋には自然(森林)の荒廃とともに古代文明が廃れた地もあるが、日本は龍脈に畏敬の念を抱きながら又パワースポットと呼び親しみながら共存している。

今は苦しくとも必ず人の叡智はそれに勝り、上手い具合に乗り越えていけると信じている。

その叡智と力が火(肥)の国にはあると信じている。

頑張れ 火の国
頑張れ 肥の国
頑張れ 日本

参照、神武東征とカルデラ破局噴火について
「神坐す山の怒りの火」 「破局に終わらせない知恵を」 「つよっしーを信条に」 「伝承は神の教え其の壱」 「伝承は神の教え其の弐」 「神の教えを継ぐ皇太子様」

頑張れ!肥後もっこす・九州

2016-04-17 01:24:55 | ニュース
「災害と戦しちょるごたる 銀杏城・肥後もっこすは勝つ」を書いたときは、生後間もない赤ちゃんが救出されたニュースを見た後だったこともあり、「光と影」の影に呑み込まれず、災害に立ち向かい勝って欲しいという願いをこめ、激励の気持ちを認めたつもりだが、今はそれを申し訳なく思っている。

昨夜眠れないままにラジオのニュースを聞いているところに飛び込んできた、16日AM1時25分マグネチュード7.1(後に7.3へ訂正)震度6強と津波注意報。
被災地から遠く離れた地で、緊急地震速報の音を聞くだけでも胸がふさがれる思いがするのに、間断なく大地が揺れる恐怖に見舞われている被災者の方に今、「事実に’’影’’の色付けをせぬように」などとよくも言えたものだと、我ながら嫌になってしまい、「災害と戦しちょるごたる」を消してしまおうかと思ったが、浅はかな自分を反省するためにも残したうえで、これを書いている。

1時25分のマグネチュード7.1震度6強の地震は、後に7.3に改められたうえで是を本震とすると発表されることになるのだが、これをリアルタイムで聞いていてすぐに気が付いたのが、この地震を境に、震源地に変化が生じたことだった。それまで熊本地方一か所だった震源地に、大分や阿蘇地方も含まれ始めたのだ。
阿蘇といえばカルデラが有名で、それは「死都日本」(石黒耀)を読んでいる私には恐怖を呼び起こさせるものがあるが、その一方で阿蘇は、三好達治「大阿蘇」をかいているように、素晴らしい自然も有している、その阿蘇に今、雨が降っている。

  大阿蘇  三好達治

雨の中に馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭々と降つてゐる
馬は草をたべてゐる
尻尾も背中も鬣も ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
草をたべてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる
瀟々と降つてゐる 山は煙をあげてゐる
中嶽の頂きから うすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濠々とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草をたべてゐる
草千里浜のとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は瀟々と降つてゐる


熊本は夏目漱石「草枕」の舞台でもあるが、「草枕」に、こんな一節がある。
『世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。
 二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。
 三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いいよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。
 これを切り放そうとすると身が持てぬ』

明暗、光と影、自然の恵みと脅威は表裏一体だと感じさせるものが、熊本・阿蘇にはあるのかもしれない。

明暗といえば、結局眠れぬまま夜明けまで聞いてしまったラジオで、心に引っ掛かることを言っていた。
アナウンサーがしきりに「今日4月16日の熊本の夜明け・日の出は、5時46分です。夜があければ明るくなります。それまで頑張ってください」と語りかけていたが、被災者を励ます「夜明けの5時46分」の言葉は、阪神淡路大震災の発災時刻を生々しく覚えている私には、なんとも皮肉で物悲しく感じられた。

ここにも、光と影はあるのかもしれない。

けれども、光は必ずや影に勝つ!

頑張れ 熊本!
頑張れ 九州!
頑張れ 日本!


辛いけれど参照 「神坐す山の怒りの火」 「破局に終わらせない知恵を」 「つよっしーを信条に」 
「伝承は神の教え其の壱」 「伝承は神の教え其の弐」 「神の教えを継ぐ皇太子様」

災害と戦しちょるごたる   銀杏城・肥後もっこすは勝つ

2016-04-15 12:51:55 | ニュース
余震が続いている。
一夜明け、被害状況が明らかになるにつれ、震度7の大きさ恐さを改めて感じている。
<長周期地震動の「階級4」を国内初観測 震度6強の余震で> 産経新聞2016.4.15 05:42配信より一部引用
熊本県益城町で14日夜に発生した震度7の地震で、気象庁は15日、同県宇城市で発生した震度6強の余震で、長周期地震動の「階級4」を観測したことを明らかにした。平成25年3月に長周期地震動の観測が試行されて以来、国内初。
気象庁によると、15日午前3時までに発生した余震は計75回。うち午前0時3分に宇城市で発生した震源の深さ約10キロ、推定マグニチュード(M)6・4の最大余震は、同市内の地震計で長周期地震動が4段階中最大の階級4を観測した。
長周期地震動は、大規模な地震で発生する周期の長い揺れで、高層ビルなどの高い建物に大きな揺れを生じさせる。


阪神淡路大震災を目の当たりにしたとき、「これほどの災害を目にすることは、自分が生きている間には二度とないだろう」と思ったが、あれから何度同じように酷く辛い災害に日本は襲われてきたことだろうか。
何時頃からか、災害を伝えるテレビ画面を見るのが本当に本当に辛くなり、何か心が沈み込むような感じをもつようになってきている。
だからこそ、自分に言い聞かせるためにも書いておかねばならないと思うことが、ある。

人生のあれやこれやに翻弄され、今は今でワンコをうしなった悲しみから立ち直れていないような私が、災害があったばかりの今書くべきことでもないかもしれないが、災害列島に住む者として明日は我が身との覚悟をもつため、あえて書いておこうと思っている。

それは、絶え間なく余震に見舞われる被災地がかつて銃弾が雨あられと降った激戦の地であったことから、西南戦争に続く人生模様を書いた「光と影」(渡辺淳一)を思い出したことに、ある。

「光と影」は、陸軍将校として西南戦争で戦い共に銃弾の貫通により右腕の関節上部の紛糾骨折という怪我をおった小武と寺内の人生を書いている。
政府は医薬物資を九州まで運べず又抗生物質などもなかった時代、小武と寺内はお互い励まし合いながら、治療を受けるため船で大阪に向かう。二人の傷はひどく化膿し切断は免れないという状況のなか、同じ病院で同じ日に切断の手術を受けることになったのだが、二人はその運命を受け入れていた。
だが、日に二度までも有能な若者の腕を切り落とすことに辟易とした軍医はふと、切り落とさねばどうなるか試してみたくなる。
軍医のふとした一瞬のひらめきで、先に手術した小武の腕は切断され、後に手術することになっていた寺内の腕は残された。
これが後々人生を大きく分けることになる。
腐った腕を切り落とされた小武が早々に退院し社会復帰を果たすのに対し、膿んだ腕を残したままの寺内はいつまでたっても膿と熱がひかず長く闘病生活を送ることになる。
だが、膿と熱がおさまり、さほど使い物にはならないとはいえ、ともかく両腕が残った寺内が軍にもどり出世階段を上りはじめた頃から、同期で一番優秀だったと云われた小武の苦悩は始まる。
片腕ゆえに陸軍友好クラブの管理人でしかない小武と、最終的には陸軍大臣から総理大臣にまで上り詰める寺内。

腕をなくした不自由とそれによって失ったものを嘆きながら、腕が残った寺内を羨み、人を羨み妬んでいる自分に自己嫌悪を覚えて更に苦しむという長い年月が老いとともに終わろうとしていた頃、小武は二人の人生を分けた手術の事実を知ってしまう。

小武は、同じ右上腕部の紛糾骨折ではあったが医学的理由があり二人の治療法が異なったのだと思っていたが、そうではなかった。
二人はまったく同じ状態ではあったが、単にカルテがおかれていた順番という違いだけで、腕を切り落とすか残すかが決まったのだと知り、発狂してしまうのだ。

腕を失ったとはいえ膿や痛みから早く解放され、名誉の負傷を理解しあえる人のなかで早期に社会復帰できたという事実と、腕が残されたために膿と熱がひかず「腕を切り落としてくれ」と叫びのた打ち回りながら長く苦しだという事実は見落とされがちで、その後の経歴だけで「光」と「影」の烙印が貼られてしまう。
一見すると、小武は「影」で寺内が「光」にも思えるが、同じ一人の人生のなかにも「光」と「影」があるのは、私程度の年齢を生きてくれば誰しも身に沁みて感じている。
あの時あの道を選ばなければ・・・という後悔の念をもつ事柄も一つや二つではない。
まして、それがカルテの順番、突然に襲ってくる災害であれば、何にその怒りをぶつけていいのか分からない。
だが、「光と影」を読んだとき、中学生の頃に部活の先輩から借りて読んだ「エースをねらえ!」(山本鈴美香)のなかの宗方コーチの言葉が浮かんだのだ。
たしか、この世に起る出来事にもともと幸・不幸はないのだと、それを決めるのは人間なんだ、というニュアンスの言葉だったと思う。

あの頃あの言葉に甚く心を打たれはしたが、その後に降りかかる人生のあれこれに盛大に右往左往し、宗方コーチの境地には至れない私なので、災害に苦しむ方々に「この世におこる出来事にもともと幸・不幸はないのだと、それを決めるのは人間なんだ」などとは言えるはずもない。

だが、災害列島日本に住む者として、明日は我が身と云う覚悟をもたねばならないとき、国も個人も、起っている事実以上の「影」をまとわりつかせないように心せねばならないとは思っている。

速報・余震つづく 頑張れ肥後もっこす

2016-04-15 00:46:05 | ニュース
熊本益城町で震度7=倒壊10棟以上、負傷者12人―火災も、強い余震続く時事通信 4月14日(木)21時34分配信
14日午後9時26分ごろ、九州地方を震源とする地震があり、熊本県益城町で震度7の揺れを観測した。
気象庁によると、震源の深さは約10キロ、地震の規模(マグニチュード)は6.4と推定される。警察庁によると、この地震で12人が負傷した。震度7の揺れが記録されたのは2011年3月の東日本大震災以来。


また日本に一つ、被災地と呼ばれる場所ができてしまった。
夜間であるため被害の状況は明らかになっていないが、テレビに映し出される地震直後の各局報道フロアの様子を見れば、震度7の大きさは十分伝わってくる。
何時ごろからか災害のニュース映像を見ると、胸が締め付けられ息苦しくなるような感じがする。

あの緊急地震速報の音を聞くと、それだけで胸がふさがれる感じがする。

本震の震度7だけでも恐ろしい思いをされただろうに、これだけ余震が続くとおちおち後片付けもしておれず、不安な夜を迎えておられることだと思う。

発生時刻         情報発表時刻     震源地  マグニチュード  最大震度
2016年4月15日 0時34分ごろ 2016年4月15日 0時38分 熊本県熊本地方 4.5    4
2016年4月15日 0時26分ごろ 2016年4月15日 0時29分 駿河湾南方沖 4.8      2
2016年4月15日 0時20分ごろ 2016年4月15日 0時23分 熊本県熊本地方 4.0    3
2016年4月15日 0時13分ごろ 2016年4月15日 0時17分 熊本県熊本地方 3.9    3
2016年4月15日 0時03分ごろ 2016年4月15日 0時07分 熊本県熊本地方 6.4    6強
2016年4月14日 23時43分ごろ 2016年4月14日 23時48分 熊本県熊本地方 5.0   4
2016年4月14日 23時28分ごろ 2016年4月14日 23時32分 熊本県熊本地方 4.4   4
2016年4月14日 23時00分ごろ 2016年4月14日 23時04分 熊本県熊本地方 3.3   3
2016年4月14日 22時51分ごろ 2016年4月14日 22時54分 熊本県熊本地方 3.5   3
2016年4月14日 22時47分ごろ 2016年4月14日 22時51分 熊本県熊本地方 3.5   3
2016年4月14日 22時43分ごろ 2016年4月14日 22時46分 熊本県熊本地方 4.3   4
2016年4月14日 22時38分ごろ 2016年4月14日 22時43分 熊本県熊本地方 5.0   5弱
2016年4月14日 22時31分ごろ 2016年4月14日 22時35分 熊本県熊本地方 3.3   3
2016年4月14日 22時26分ごろ 2016年4月14日 22時30分 熊本県熊本地方 3.6   3
2016年4月14日 22時22分ごろ 2016年4月14日 22時27分 熊本県熊本地方 4.6   4
2016年4月14日 22時19分ごろ 2016年4月14日 22時23分 熊本県熊本地方 3.3   3
2016年4月14日 22時16分ごろ 2016年4月14日 22時20分 熊本県熊本地方 4.2   4
2016年4月14日 22時09分ごろ 2016年4月14日 22時15分 熊本県熊本地方 4.3   4
2016年4月14日 22時07分ごろ 2016年4月14日 22時12分 熊本県熊本地方 5.7   6弱
2016年4月14日 22時06分ごろ 2016年4月14日 22時09分 --- --- 6弱
2016年4月14日 22時03分ごろ 2016年4月14日 22時07分 熊本県熊本地方 3.3   2
2016年4月14日 22時00分ごろ 2016年4月14日 22時04分 熊本県熊本地方 3.0   2
2016年4月14日 21時53分ごろ 2016年4月14日 21時58分 熊本県熊本地方 4.0   4
2016年4月14日 21時42分ごろ 2016年4月14日 21時48分 熊本県熊本地方 4.9   4
2016年4月14日 21時37分ごろ 2016年4月14日 21時44分 熊本県熊本地方 3.9   4
2016年4月14日 21時26分ごろ 2016年4月14日 21時36分 熊本県熊本地方 6.4   7


熊本城をバックに、頻繁に流れる地震速報を見ていると、何故だか銃弾が雨あられと飛び交った「田原坂」が浮かんだ。
一の坂、二の坂、三の坂の両側の土砂は崩れてはいないだろうか。

雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂
春は桜 秋ならもみじ
夢も田原の草枕

かつて激戦地となったことが嘘のように今はのどかだという田原坂周辺がまた突然の難に見舞われている。

余震が鎮まるように
被害が最小限でおさまるように

頑張れ 肥後もっこす