何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

毬を禍にも毒にもせぬように

2016-04-13 21:07:48 | 
 「毬毬をまあるく収める為に」 「身を縁取る翠の時」のつづき

表題作の「まるまるの毬」について書いていなかったので、しつこく「まるまるの毬」(西條奈加)話。
表題作だから書いておかねばならないというものでもないが、この作品には、私が本を読むとき作者の視点として関心を寄せている「心の持ちよう」について書かれているので、その点に絞って記してみる。

元はお武家しかも前将軍の御落胤である治兵衛が菓子職人になり、娘お永と孫娘お君と切り盛りする南星屋は大看板を背負ってはいないが、美味しさと安さがウケて大繁盛してる。
平穏な暮らしのために出自を隠す治兵衛だが、忙しい日々に波風を立てないように、それぞれが胸に隠し持っている「屈託」があり、お永が父・治兵衛と娘お君に言えないままに元亭主に会っているというのも、その一つだった。
娘と孫娘を捨てて他所にこさえた女と出奔した娘婿を治兵衛は許す気はないし、お君も自分と母を捨てて出て行った父に怒りしかない。
それを知るお永は舞い戻ってきた亭主と会っていると言えないままに苦しんでしまうのだが、その苦しみを見た父が口にする言葉が印象に残ったのだ。

表題作になる団子の菓子をつくるとき、治兵衛は娘と孫に言い聞かせていた言葉がある。
『団子みたいに気持ちもまあるく。それがこいつのコツだからな』
この言葉を頑なまでに守り、娘お永は夫に裏切られた悔しさ悲しさ怒りも見せず、涙をのんで、まあるく捏ね続けた。
『丸くて白い団子のような、まあるい持ちでいて欲しいと、そう願ったのはおそらく俺だ。だからお永は毬を表に出すことができず、長いこと苦しんできたんだ。』
『他人の気持ちに聡い娘だ。お永は己を殺し、父の願った理想の娘を演じ続けてきた。治兵衛には、そう思えてならなかった。だからお永は己の毬を、外ではなく内に纏うしかなかったのだ。その毬はただ己だけを苛んで、お永はたった一人で苦しむより他なかった。』

誰かの理想に沿うため自分でない何かを黙って演じ続けることの苦悩や、心の奥底に溜まってくる膿を黙って一人で抱える苦悩については、これまでも書いてきた。
「闇医者おゑん 秘録帖」(あさのあつこ)にも「鬼はもとより」(青山文平)にも、黙って言葉を呑み込んでしまう危険は書かれている。
『言葉には外に出すべきものと、内に秘めたままにしておくべきものと二通りがあるのだそうです。
 秘めておくべきものを外に出せば禍となり、外に出すべきものを秘めておくと腐ります。』
『言葉には命がある。命あるものは生かされなければ腐り、腐れば毒を出すとね』 「闇医者おゑん 秘録帖」より

『體の深くに、無数の(精神的)疵を溜めこんでいく。いまは顎の震え程度で済んでいるが、遠からず、その疵は別の形で、清明を壊すかもしれなかった。内なる疵が重なれば、體の強い者は心を壊し、心の強い者は體を壊す。そうなる前に、いまの席から清明を離れさせなければならない』 「鬼はもとより」より

独り黙って思いを呑み込めば、心の奥底で膿重なった言の葉は、痛み疵・毬となって身の内を苛んでいくと、あらゆる本が語っている。

私が、心の病に関心を持ち、本の中の「心の持ちよう」についての記述に注意して読むようになったのは、日本の皇太子妃殿下が長く心の病を患われているからだ。

そのあたりについては、つづく

ところで、今回本文中で、屈託という言葉に「 」を付けたのは、「まるまるの毬」に「屈託がある」という表現が何度もでてくるからだ。「屈託がある」という用い方があるのは知ってはいるが、「屈託」のあとにつづくのは「ない」の方が自然に感じられるのは私の趣味というか言語感覚の問題だろうか。
「屈託がある」もそうだが、本を読んでいると、作者が多用する言葉遣いや文字があることに気が付くことがある。
例えば今読んでいる「すし そば てんぷら」(藤野千夜)では、やたらと「ひとりごちる」という言葉がでてくるが、本というのは元来主人公の思いを記しているという部分があるので、頻繁に「ひとりごちる」と書かれると、少々気になってしまうというのも、私の言語感覚がおかしいからだろうか。


身を縁取る翠の時

2016-04-12 19:15:21 | 
「毬毬をまあるく収める為に」で、定型化している時代小説について書いたが、そう書いたからといえ、それが決して嫌いなわけではない。

「胃袋は昭和」を自認している私としては、捕物・人情話に美味しいものが絡むのは大歓迎で、「みをつくし料理帖シリーズ」(高田郁)「料理人季蔵捕物控シリーズ」「口中医者桂助事件帖シリーズ」(和田はつ子)は全巻読んでいるので、武家出身の和菓子職人・治兵衛が娘と孫娘の三人で切り盛りする南星屋を舞台にした「まるまるの毬」(西條奈加)も楽しく読んだ。

七編の短編からなる本書は、一編ごとに一つの和菓子とそれにまつわる話で上手い具合に構成されているが、時節柄というべきか「若みどり」が印象に残った。

武家の嫡男といえども、まだ十ほどの少年・翠之介が弟子入りしたいと南星屋にやってくるという「若みどり」という話。
食べたい盛りの甘いもの好きなだけの少年かと思いきや、幼い妹に食べさせたいという武家の子息に、治兵衛は我が身を重ね可愛がるが、案の定、「菓子屋で修業とは何事か」と親父殿が怒鳴り込んでくる。
治兵衛を前に、「武家の嫡男だ帰って来い」「いや武士にはなりたくない」と激しく思いをぶつけあう父と息子。
遂には「甲斐性の無い自分のような武士に嫌気がさしたのか」とまで問う父に、翠之介は「貧しい武家が嫌なのではなく、貧しいこと浮かばれぬことを嘆いてばかりいる父のような武士にはなりたくないのだ」と言い放つ。
武家の内証の厳しさも、それにもかかわらず体面を保たねばならない苦労も知る治兵衛は、翠之介の名の一文字が謂れの一つでもある「若みどり」という菓子になぞらえ説得する。

''かりんとう''を思い浮かべれば分かりやすいが、「若みどり」とは『粉と砂糖を水で固めにこねて、一寸ほどの長さに細く切り、鍋で炒る。これを銅の平鍋で弱火にかけ、煮詰めた砂糖を幾度もかけまわしながら、砂糖衣を纏わせた』菓子をいう。
「みどり」という名には相応しくない色の菓子の名前には諸説あり、その形が「松の翠」つまり松葉に似ているからだという説もあるが、別の謂れもあるという。
『別の謂れがありましてね。松の翠ではなく、身を縁取るということからその名がついたと、そういう説もあるんですよ』
『砂糖を幾度もかけて、衣を纏わせることが名前の由来だ、というものもあった』
『翠坊ちゃんも、今は身を縁取る時だと思いますよ。手習や剣術もそのためのもので、己のすべきことをきちんと修めて、それでも菓子屋になりてえと言うなら、相談に乗りやしょう。それまでは、決してここへ来てはなりやせん』

「身を縁取る時」という言葉に強く反応したのは、春休みに子供たちが話していたことが気にかかっていたからだ。
優秀な女の子が「私は絶対に医者になる」とちょっと必死な感じで言っているのに、うちの筋肉頭がポヤーンとしているので私が「偉いね。今年受験生になるお兄ちゃんも医学部志望なのかい」と話を向けると、「お兄ちゃんは偏差値75あるけど、どうしたらいいか分からないって悩んでる・・・・・どんなに頑張っても、自分のせいじゃないことで、上手くいかないことがあるから」と悲しそうに言う。
そうなのだ。
この優秀な兄妹の両親はやはり共に非常に優秀で、年明けから買収だの身売りだのと世間を賑わせた企業のエンジニアだったことを思い出した。
金銭的な問題ももちろん小さくないだろうが、自分の与り知らぬ理由で道が閉ざされうるという世間の厳しさを、まだ早い段階で知ることになった優秀な兄妹に胸が痛くなったので、「身を縁取る時」という言葉が印象に残ったのだ。

子供というのは、意外に、親や大人や社会の事情を察している、察しているから「身を縁取る時」をどのように過ごすべきかと悩んでしまう。
ここで一つ、素晴らしい作文を思い出す。

私はどういうめぐり合わせか高貴な家に生まれた。私は絶えず世間の注視の中にある。いつどこにおいてもわたしは優れていなければならない。私は皇室を背負っている。私の言動は直ちに皇室にひびいてくる。どうして安閑としていられよう。
高い木には風が当たり易い。それなのに高きにありながら多くの弱点をもつ自分をみるときこの地位にいる資格があるかどうか恐ろしくなる。自分の能力は誰よりも自分で一番よくわかっている。ともかく私は自分で自分を育て築きあげていかなければならない。
この炭鉱の奥深くで、来る日も来る日も働き続け世間から忘れ去られそして人知れず死に行く運命をもった人々の前に立った時、護衛の警官やおおぜいのお供をひきつれている自分の姿にいたたまれぬ申し訳なさを感じた。

これは、照宮成子内親王殿下 女子学習院中等科5年生17歳の頃の作文だ。

戦時下に神格化された御家庭に育ちながら、炭鉱の奥深くで働く人々の運命に申し訳なさを感じ、自分で自分を築きあげねばならないと決意される作文からは、成子内親王の類まれなる素晴らしさが伝わるのは勿論だが、子供が社会や大人の事情を察し身の振り方について悩むのは、立場の違いこそあれどの時代でも同じなのだと、今更ながら気付かされたのだ。

今、ただ年だけを食って、ビミョウな感じを子供に察してもらうことが多い自分を強く強く反省し、せめて真面目に頑張っている人たち特に真面目に頑張っている子供たちを、心を込めて応援しようと思っている。

毬毬をまあるく収める為に

2016-04-11 12:55:15 | 自然
今年の春は辛いものになると覚悟を決めていた家族が、少しでも楽しみを作るために思いついたのが、ジャガイモ種芋とブルーベリーの苗木を植えることだった。

例年なら、今時分から園芸店をのぞいて夏野菜の苗などを見るのを楽しみにしているのだが、ワンコがいない早春の庭はあまりに寂しいので、二月末にはジャガイモ種芋を、三月初めにはブルベリーの苗木を植えたのだ。

ブルーベリーは早速蕾が膨らみこちらの心を大いに弾ませてくれたが、ジャガイモの芽がでない。
二週間たっても、三週間たっても、芽が出ない。
これは土の中で種芋が腐ったのかもしれないと、せっかちで心配性な私は一つ掘り返してみたのだが、多少萎びてはいるものの、変わったところはない。
あれこれ本を読みネットで検索し、一つのアドバイスに行き当たり、それを拠り処に、その時を待っていた。
「ジャガイモの芽がでるのは、植えてから二週間目とか三週間目というのではなく、桜が満開を迎える頃である」

半信半疑で待つこと一月以上たった今月8日。
満開の桜に追い打ちをかけるような花散らしの雨が止んだと思ったら、一斉に芽が出て、瞬く間に10cmにも成長した。

何事にも時がある、という言葉を思い出す。  「和睦の時」
『天の下のすべての事には季節があり、すべての業には時がある
 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
 殺すに時があり、癒すに時があり ~泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり ~
 愛するに時があり、憎むに時があり、
 戦うに時があり、和睦するに時がある~』(コレヘントの言葉より)

あれこれ調べたので、「ジャガイモの芽が出る時期を、桜が満開を迎える頃」と表現したのが何であったかは分からないが、その時が来れば芽が出ると云う季節の巡りにも、その時が桜が咲く頃であることにも、何ともいえない感慨がある。

だが、一か所だけ芽が出なかった場所がある。
猫の額の庭菜園なので、細々と数か所に分けて植え付けをしたのだが、一番ジャガイモ生育には適しているだろうと思われ、それ故に一番 ''力'' を入れていた場所のジャガイモの芽がでなかった。
一番日当たりがよく、一番土を耕し、一番堆肥の混ぜ加減にも気を配った場所のジャガイモだけ、芽が出なかった。
掘り返してみると、腐っているもの、何に食われたのか内側が空洞になっているもの、干からびているものなどがあり、種芋の残骸からは、発芽しなかった統一的な原因が見出せそうにない。

殺処分の理不尽を書いた本(参照、「神聖な御力とともに」 「夢が生き 夢で生かされる」 「ワンコと人の絆は永遠」)を読んだばかりなので、特にそう思うのかもしれないが、’’置かれた場所で咲きなさい’’と云われても、自分の努力ではどうにもならないこともあると思いながら、種芋の残骸の後片付けをしていていて、ふと思い浮んだことがある。     
’’置かれた場所で生きなさい’’は積極思考なのかマイナス思考なのか?ということだ。
「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子)を私は読んだことがないので、この本については何も書けないが、それでもこの言葉はあまりに有名になったし、それが意図するところは何となく、分かる。
この言葉は、一見ポジティブシンキングに見えるが、そもそも置かれた場所が自分の身の丈に合っていると考えている人には、この言葉は不要だと思われる。つまり、(自分が)置かれている場所は不当だと考えている人の心にこそ、この言葉が響くのだとしたら、その土壌は究極のマイナス思考なのかもしれないと思ったのだ。

こんなことをつらつら考えたのは、最近「まるまるの毬」(西條奈加)を読み、「まるまるの毬さん、お前もか」と思わず感じたからだ。
私が、高田郁氏の「みをつくし料理帖シリーズ」和田はつ子氏の「口中医者桂助事件帖シリーズ」「料理人季蔵捕物控シリーズ」を読んでいるのを知っている本仲間が、勧めてくれたのが「まるまるの毬」だったのだが、これらの本にはある共通点がある。

みをつくしし料理帖シリーズはともかく、和田氏の二作の主人公は口中医や料理人ではあるが、本当は前将軍の御落胤とか理不尽に立場を追われた元お武家さんという設定であり、素直に只の一介の口中医や料理人としての日々の悲喜交々を書いているのではない。
そして、「まるまるの毬」の主人公も菓子職人ではあるが、育ての親は500石の旗本であるだけでなく、実は前将軍の御落胤という捻りようである。

元の出自をめぐって起る事件と現在の生業を絡めて書けば物語に深みがでるし、厳然たる身分社会を乗り越えるストーリー展開は読む者の心を掴みやすいのだろうが、身分を乗り越え二つの立場を生きる話を書くのなら、ただの料理人や口中医がひょんなことから将軍様になったりお武家さんになったりする話があってもおかしくないが、「王子と乞食」(マーク・トウェイン)のトムの視点ははあまり、ない。

「本当は高い身分だが、本人の与り知らぬ理由で身を落とすことにことに相成った。だが、つましく真面目に頑張っている」
この手の話を我々は好きで、この延長線上に''置かれた場所で咲きなさい''があるのなら、その根っこにあるのは、ここは自分がいるには不当な場所だという思いであり、土壌としては究極のマイナス思考なのではないか。だが、それは存外、誰しも持っている毬毬をまあるく収める方法かもしれないと、上手くいかなかった種芋を片付けながら考えていた。

それでも、別の場所ででも、自分で咲く努力をする機会があるだけ人間はまだしもましで、それすら奪われ殺処分される命もあるのだと胸を痛めながら、庭に咲くフリージアをワンコ聖地に届けた日曜の午後であった。

ワンコと人の絆は永遠

2016-04-08 21:33:31 | 
忠・命(倫理)絆一合 
4月8日、今日は何の日と問われれば「お釈迦様の誕生を祝う花祭り」と答えるのが正解なのだろうが、犬好きの自分としては「忠犬ハチ公の日」もあげたい。何故に4月8日が「忠犬ハチ公の日...



グーグルさんは一年前の文を届けてくれる。
日頃は、振り返ることも少ないのだが、今回は''ワンコ繋がり''ということで、振り返ってみた。
時代を超えて ワンコは永遠に不滅です!

「夢が生き 夢で生きる」より  
 『 』 「命を救われた捨て犬 夢之丞~災害救助 泥まみれの一歩」(著・今西乃子 写真・浜田一男)より引用

動物愛護センターで殺処分になるところ、その日の処分犬が多すぎて処分機が一杯になったために、とりあえず生き残った子犬。
次の処分日には命が無くなっていたであろう子犬。
その子犬はNPOに救われ災害救助のための訓練を受けるようになるが、広島豪雨災害やネパール大地震の被災地で活躍できるようになるまでは、困難の連続であった。

捨て犬として殺処分となるのを目前としていた夢之丞は、おそらく激しい人間不信に陥っていたものと思われるが、それは災害救助犬になるには致命的な問題点だった。
夢之丞の訓練にあたった動物専門学校を出たばかりのトレーナー・浩之さんは、初めて夢之丞を任された時は『夢之丞と一緒に、自分もトレーナーとして成長していこう』と決意する。
しかし、その決意はしょっぱなから揺るいでしまう。

センターから連れてこられた夢之丞は、まるで 『僕はここにいません。お願いだから見ないで下さい。僕は「壁」になりました』 と言わんばかりに自らの気配を消しブルブル震えるばかりで、フードも食べない。
人の気配がある限りクレートの奥に体をピッタリ押し付け身を縮めること一週間、ようやっと固まるという行為が和らいでも、人間が誰も見ていないすきを見計らってしか食事はできなかった。
それから更に一週間が過ぎた頃、ようやく人間の気配があっても食事ができるようになるが、ようやく慣れた家が安心できると分かると、今度は家に執着するようになり、家から外に出ても一歩たりとも足を前に進めることは出来なかった。

『普通の子犬がゼロからのスタートなら、夢之丞はマイナス、しかも大きなマイナスからのスタートといえた』

我慢強く接し続けた結果、三か月が過ぎた頃、ようやく浩之さんと一緒に近所を歩けるようにはなったが、少しでも道路に段差があれば立ち止まり固まってしまうし、側溝の上のステンレス製の格子目の蓋も恐がり飛び越えることなど出来ない夢之丞なので、階段の上り下りでは断崖絶壁を前にしたかのように怯え固まってしまう。
『災害救助犬には、場に対する適応力とどんな状況でも屈することなく挑む勇気が必要だ。
 足場の悪い、危険ながれきの上や、流木や泥の上を歩かなくてはならないからだ。』
しかし、夢之丞にはそれが難しい。
『災害救助犬に必要と言われるその正反対の素質「災害救助犬にふさわしくない性質」を100%持っていると言っていい』

外を歩くだけで世紀の大冒険の夢之丞を、トレーナーの浩之はやがて『ダメな犬だ』と思い始めるが、ある時、健丞氏の言葉が思い浮ぶ。
『命をどこまで輝かすことができるのか、その可能性は犬ではなく、人間次第だ』

「ダメな犬」と言っている自分こそが「ダメ」なのではないかと考えを改め、更にトレーニングに励むようになり、何とか家庭犬のレベルをクリアできた頃、夢之丞にライバルが現れたのだ。
一般に災害救助犬が一人前になるには2~3年かかると言われているが、2,3歳になった夢之丞に素質がないと分かれば無理強いはできない。だが、それが判明した時点から新たな救助犬を育成するのでは、頻発する災害に間に合わないので、’’それなりの血統’’の犬を求めたのだ。
それが、警察犬訓練センターにいた、ゴールデン・レトリバーの「ハルク」だった。

おおらかで絶えず人間の動きを優しく見守る「ハルク」に対して、見知らぬ人は大の苦手で相変わらず誰かに見られることも触られることも嫌いな夢之丞
隠れている人を探す訓練、何かを発見したら吠える訓練、災害現場に見立てた場所での訓練と進み、ハルクは国際救助犬試験のがれき捜索部門の検定試験で見事に一位をとるまでになるが、夢之丞の訓練は難しく、ハルクより遙かに遅れながら一歩一歩進んでいくというものだった。

ところが、ある日、驚くべきことが起こるのだ。
災害現場が孤立しヘリコプターでしか救助に向かえないという訓練の時、それは起る。
ヘリに乗ったハルクは恐怖のあまり身動き一つできず、その後一週間は食事すらできないというショック状態に陥ったのに対し、夢之丞はヘリの乗っても恐がりもしなければ食欲すら旺盛だったのだ。
人を見ただけでも怖くて尻尾を下げ、車や物が倒れる音にも体をびくつかせる夢之丞が、ヘリには平気な顔で乗っている。
『何が災いして、何が幸いするのか分からん。
 だから、チャンスをあげることが必要なんだ。
 なかなかのもんだぞ!夢之丞は!』

そして、初陣の日がくる、2014年8月20日 広島県土砂災害
周囲一面の泥でまともに歩くこともできず犬を捜索させるにはあまりに危険な状況のなか、並み居る警察・消防隊・自衛隊の人達をものともせず堂々と足を速めた夢之丞
30キロの体重のせいで体の半分が泥に沈み込み動きがとれないハルクに対して、10キロほどの小柄な夢之丞は軽やかに前進できる。
夢之丞の可能性が本番で次々と見えてきたとき、健丞の言葉が再び心に浮かんでくる。

『生きていればそれでいい』 その言葉に浩之さんの想いも重なる。
『生きている限りは可能性は無限大だ。
 今日出来なくても、明日できなくても、生きている間にいつかできるようになればいい。
 しかし、今できることでも、死んでしまえば出来なくなってしまう。可能性はゼロとなってしまうのだ。
 生きていることが大切―。』

捜索を開始して一時間、夢之丞が浩之さんを見つめ、何かを知らせた、男性のご遺体だった。
命を助けることは出来ずとも、損傷が少ない早い段階でご遺体が発見されることは、残された家族にとって重要なことだった。

人間に捨てられ、人間により殺処分されようとしていた犬が、その人間の役に立った瞬間だった。

その後、ネパール大地震でも活動した夢之丞は、今日この時も、人を助けるために訓練を積んでいるのだと思う。

ワンコと人の絆は永遠に不滅だ!

夢が生き 夢で生かされる

2016-04-07 00:57:03 | 
「神聖な御力とともに」のつづき

「神聖な御力とともに」で、<犬の「殺処分ゼロ」にふるさと納税殺到4億円、対象犬全引き取り実現へ 広島のNPO>のニュースについて書いたが、そのニュースにあるNPO法人「ピースウィンズ・ジャパン」(PWJ・大西健丞代表理事)の取材協力を得て書かれた本を読んだ。

「命を救われた捨て犬 夢之丞~災害救助 泥まみれの一歩」(著・今西乃子 写真・浜田一男)

ネパール大地震の災害救助に駆けつけたことで広くその名を知られるようになった「夢之丞」は、多くの人に夢と力を与えているが、それは海外で日本の犬が活躍したという誇らしさだけが理由ではない。
捨て犬として動物収容所でまさに明日をも知れぬ命だったところを救われ、災害救助犬として世界で活躍するまでになった、そこにこそ多くの人が感動するのだと思う。

大西健丞夫妻が災害救助犬育成のための犬を探すために動物愛護センターを訪問した、2010年11月24日。
その日の殺処分が多すぎたため処分機に入りきらずに一匹取り残されブルブル震えていたのが、後に夢之丞と名付けられる、子犬だった。

日本各地にある動物愛護センターは、大西夫妻が訪問したものと同様のシステムだと思うので、一般にはあまり知られていないセンターの様子を書いてみる。(『 』は「命を救われた捨て犬 夢之丞~災害救助 泥まみれの一歩」より引用)
『動物愛護センターは、行政施設で主に二つの業務を行っている。
一つは、動物と人間とが幸せに共生できるようアドバイスや相談を受けたり、行き先のない犬や猫の飼い主探しやしつけ教室を開催したりすることで、これを主に愛護業務という。
もう一つは、野犬の捕獲や飼い主から不要とされた飼い犬・猫の引き取りや殺処分で、これを管理業務と呼んでいる』

つまり、譲渡用犬舎の犬たちと、一定期間が過ぎたら二酸化炭素ガスで殺処分される収容室の犬では、同じ捨て犬でも天国と地獄ほど違う運命となるのだ。
畳二畳ほどのステンレスの箱 『殺処分は、この箱の中に犬たちを追い込み、扉を閉めて、二酸化炭素ガスを流して行われる。その間、数分から十数分と言われるが、犬たちはもがき苦しみ最後は窒息して息絶える』 

その一歩手前で、大西夫妻の目にとまった夢之丞は救われるのだが、捨て犬という経験のみならず殺処分を知った犬は一般論としては、災害救助犬には向かない。
厳しい訓練を要しハンドラーと一体になり活動する救助犬は、人間と強い信頼関係を築けることが重要な条件だが、夢之丞のような犬には、それが難しいのだ。
殺処分を伝える報道によると、先に殺処分された犬の断末魔の苦しみの気配を感じ取った犬たちは、次に自分の身に起ることを知り、その時を待つことになるので、激しい人間不信に陥っているという。
つまり、夢之丞ほど救助犬に向かない犬は、いないかもしれない。
だが、大西夫妻とくに健丞氏が夢之丞を選んだのには理由がある。

健丞氏は国内外で災害紛争の緊急人道支援や復興開発支援を続けるNPOの代表を務めているが、彼が数多くの紛争・災害地で活動するなかで行きついた結論が 『命があればそれでいい』という思いだった。
『命があればそれでいい』
『死ぬ以上の「リスク」は、この世に存在しない。
 命があれば、どんな状況であれ、人はまた希望に向かって前に進むことができる、
 死んだら終わりだ。だから救える命は、何としても救いたい』
 
この精神が、殺処分から夢之丞を救ったのだ。

夢之丞の訓練と広島・ネパールでの活躍については、またつづく

ところで昨日(5日)、「ペットにも忌引制度を適用する会社」という記事を読んだ、と聞いた。
早速検索してみると、朝日新聞2016年4月4日16時30分配信の「(へぇな会社)日本ヒルズ・コルゲート ペットに不幸、忌引休暇」を指しているようだ。
記事によると、身内に不幸があった時に取る忌引休暇制度がペットにも使えたらという期待に応えて、日本ヒルズ・コルゲートは2005年11月、就業規則に「扶養ペット慶弔規程」を定めたという。
アメリカではペットのための忌引制度はかなり広がっているらしく、記事の日本ヒルズ・コルゲートはアメリカに本社をおく会社である、という側面もさることながら、ヒルズ社はワンコが17年2か月食べ続けたあのサイエンス・ダイエットの会社でもあるので、この制度を取り入れているのも納得だ。

自分勝手な都合でペットを殺処分に追い込む人間がいる一方で、忌引制度が導入されるほどにペットとの別れに心を痛める人もいる。
ペット忌引きが制度として認知されればそれにこしたことはないが、ペットを家族とする者同士の優しい気遣いこそが、心を痛める者を慰めるのだとも思っている。
我家も、学校や職場を早退・遅刻して、皆で見送った。
家人に早退や遅刻を勧めてくれたのは上司・同僚だというし、私も介護や最期の別れについての上司の理解とアドバイスが支えとなったし、クラスには「魔女犬ボンボン」を貸してくれた子もいる。
ペットは、内にあっては家族の潤滑油になってくれるが、外での関係性でも潤滑油となってくれる。
これが人間のことなら聞き苦しいような自慢話でも、ペットだと皆が笑顔で聞いているし、介護や病の相談もペットのことなら突っ込んだ情報交換が行われ、それを切っ掛けに話の輪が広がっていくのだ。
ペットは、家だけでなく外でも、話題の中心ヒーローだよ
ワンコ
だが、
ワンコよ 
今年は君が旅に出てしまって
一緒に桜を見ることができない
ワンコよ ワンコよ
君が地上で遊ばなくなり
星のなかで暮らし始めて まもなく
桜は満開を迎えたのだよ
ワンコよ ワンコよ
今年は君が旅に出てしまって
一緒に桜を見ることができない

寂しい