NHK BSプレミアム「井上陽水のマニアックカタログ」
番組中、陽水が谷崎潤一郎の小説「刺青」(しせい)の冒頭文を取り上げ感想を語る。
「それはまだ人々が「愚」(おろか)という貴い徳を持っていて、
世の中が今のように軋み合わない時分であった。」
この作品が発表されたのは1910年(明治43年)というから
今から約100年前・・その時代からすでに"軋んでいた"のか?!
いや、その時代がというよりも
常に人の世というものは、喜怒哀楽、愛情と憎悪というものが入り乱れ、
軋み合いながら成立しているものなのかもしれない。
それにしても「愚という貴い徳」という表現は新鮮だ。
愚かさを許す社会・・いや、許すというよりも尊敬の念すら感じる。
愚かさを持つということは、人が機械ではなく人間であることの
重要な条件かもしれないと思った。
同じく明治の小説家 幸田露伴は次のように言っている。
「今の人ややもすれば益の道可なるを知って、損の道の妙を知らず。」
もちろん、この"今の人"とは明治の人々のことだ。
人生において、何度も遭遇する分岐点。
誰しも自分を利する道、さらに言えば楽な道を選択しがちだ。
露伴はそのような人生を、
深みのない、ある意味残念な生き方だと警鐘を鳴らしている。
100年前も今も、人の世の生き様は変わっていないということか・・・
"損の道の妙"・・これもまた、とても深い言葉だ。
番組中、陽水が谷崎潤一郎の小説「刺青」(しせい)の冒頭文を取り上げ感想を語る。
「それはまだ人々が「愚」(おろか)という貴い徳を持っていて、
世の中が今のように軋み合わない時分であった。」
この作品が発表されたのは1910年(明治43年)というから
今から約100年前・・その時代からすでに"軋んでいた"のか?!
いや、その時代がというよりも
常に人の世というものは、喜怒哀楽、愛情と憎悪というものが入り乱れ、
軋み合いながら成立しているものなのかもしれない。
それにしても「愚という貴い徳」という表現は新鮮だ。
愚かさを許す社会・・いや、許すというよりも尊敬の念すら感じる。
愚かさを持つということは、人が機械ではなく人間であることの
重要な条件かもしれないと思った。
同じく明治の小説家 幸田露伴は次のように言っている。
「今の人ややもすれば益の道可なるを知って、損の道の妙を知らず。」
もちろん、この"今の人"とは明治の人々のことだ。
人生において、何度も遭遇する分岐点。
誰しも自分を利する道、さらに言えば楽な道を選択しがちだ。
露伴はそのような人生を、
深みのない、ある意味残念な生き方だと警鐘を鳴らしている。
100年前も今も、人の世の生き様は変わっていないということか・・・
"損の道の妙"・・これもまた、とても深い言葉だ。