禅の言葉らしい。
無一物中無尽蔵
~むいちぶつちゅうむじんぞう~
何もない中に、すべてがある、無限にある・・・という意味だ。
江宮隆之著:「朝鮮を愛し朝鮮に愛された日本人」
この本では、8人の日本人を紹介している。
曽田嘉伊智(そだかいち)の物語の一節で
この言葉が出てくる。
彼は日本植民地時代の朝鮮で、
私財をなげうち、
多くの孤児の父として生涯を終えた。
おそらく彼の頭の中では、
自分が何人で相手が何人かなど、
考えてはいないだろう。
人はみな、一個の人間なのだ。
生まれてくるときは裸だ。
金も持たないし、地位も見栄もない。
そして、死ぬ時も同じだ。
生きていくうちに、いろんな欲にとらわれるが、
年を重ねてくると・・・
自分のことしか考えない欲の深い人間は、
お金持ちでも地位が高い人でも、
貧しく見えてくる。
無一物中無尽蔵・・・何もない中にすべてがある。
まだ、この境地には到らないが・・・
大切にしたい心の風景だ。
無一物中無尽蔵
~むいちぶつちゅうむじんぞう~
何もない中に、すべてがある、無限にある・・・という意味だ。
江宮隆之著:「朝鮮を愛し朝鮮に愛された日本人」
この本では、8人の日本人を紹介している。
曽田嘉伊智(そだかいち)の物語の一節で
この言葉が出てくる。
彼は日本植民地時代の朝鮮で、
私財をなげうち、
多くの孤児の父として生涯を終えた。
おそらく彼の頭の中では、
自分が何人で相手が何人かなど、
考えてはいないだろう。
人はみな、一個の人間なのだ。
生まれてくるときは裸だ。
金も持たないし、地位も見栄もない。
そして、死ぬ時も同じだ。
生きていくうちに、いろんな欲にとらわれるが、
年を重ねてくると・・・
自分のことしか考えない欲の深い人間は、
お金持ちでも地位が高い人でも、
貧しく見えてくる。
無一物中無尽蔵・・・何もない中にすべてがある。
まだ、この境地には到らないが・・・
大切にしたい心の風景だ。
朝鮮を愛し、朝鮮に愛された日本人(祥伝社新書323) | |
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