アントニオ猪木氏の訃報 享年79歳
幼いころテレビをつけるとプロレス中継をやっていた。
だが、当時はジャイアント馬場が中心で、
猪木の姿を見た記憶はない。
唯一記憶にあるのは、
モハメド・アリとの対戦(1976年)だ。
前評判と期待が大きかったこともあったが、
試合は、肩透かしだった。
私はこのとき、
プロレスは戦いではなく興行なのだと改めて認識した。
しかし、今改めて思えば、
猪木氏は興行主(事業主)として戦っていたのだと思える。
昭和18年生まれの猪木氏
戦中に生まれ、廃墟となった日本の戦後とともに
人生を歩んできた。
プロレスラーとしての猪木氏を私はほとんど知らないが、
政治家となり北朝鮮やイラクへ渡航し、
平和外交をしていたことには
人間としてのスケールの大きさを感じた。
一匹狼。
サラリーマンのような組織や派閥に従属し、
安住する政治家が多い中で
彼はひとりで闘っていた。
元気があれば、何でもできる!
多くの国民に元気を与え続けた猪木氏。
ひと月前、24時間テレビで拝見した姿が最後となった。
心からの感謝をお伝えするとともに
ご冥福をお祈りしたい
合掌
<アントニオ猪木さん死去 79歳「燃える闘魂」@JIJI.COM>
幼いころテレビをつけるとプロレス中継をやっていた。
だが、当時はジャイアント馬場が中心で、
猪木の姿を見た記憶はない。
唯一記憶にあるのは、
モハメド・アリとの対戦(1976年)だ。
前評判と期待が大きかったこともあったが、
試合は、肩透かしだった。
私はこのとき、
プロレスは戦いではなく興行なのだと改めて認識した。
しかし、今改めて思えば、
猪木氏は興行主(事業主)として戦っていたのだと思える。
昭和18年生まれの猪木氏
戦中に生まれ、廃墟となった日本の戦後とともに
人生を歩んできた。
プロレスラーとしての猪木氏を私はほとんど知らないが、
政治家となり北朝鮮やイラクへ渡航し、
平和外交をしていたことには
人間としてのスケールの大きさを感じた。
一匹狼。
サラリーマンのような組織や派閥に従属し、
安住する政治家が多い中で
彼はひとりで闘っていた。
元気があれば、何でもできる!
多くの国民に元気を与え続けた猪木氏。
ひと月前、24時間テレビで拝見した姿が最後となった。
心からの感謝をお伝えするとともに
ご冥福をお祈りしたい
合掌
<アントニオ猪木さん死去 79歳「燃える闘魂」@JIJI.COM>