Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

蕎麦屋酒 蕎麦の薫りの夕暮れ時に

2016-06-04 15:02:04 | 蕎麦道中

 久々の上京です
学会は春のもっとも気候のよいときに行われることが多い
今回の会場は「東京国際フォーラム」です
会期は4日間なのですが私の業務の都合上 週末の休日2日間の参加しましょう
最新の情報を学習すること そして若い研究者の息吹に触れることは 年を経た今でも心躍るものがあります

 そして このようなときにいつも思うことは
手塚治虫の「ブラック ジャック」に出てくる 天才無免許医師 ブラック・ジャック。
「生きる」と向き合いつづける 彼とその仲間の言葉を読めば、
あなたの「生きる」を見直す きっかけのひとことが 見つかるかもしれません。…… と
あります

『これだけは きみも
キモにめいじておきたまえ
医者は 人をなおすんじゃない
人をなおす手伝いを
するだけだ
なおすのは 本人なんだ
本人の気力なんだぞ!』

久々に“ 江戸の街 ”に出向いたということで 夕刻には盟友H氏がHOTELまで訪ねて来てくれた
盟友とは固い約束を交わした同志とされているのだが まぁそれはそれとしてH氏とは旧くからの友人でありそしてまた飲み友達でありそして蕎麦友達でもある
時は夕刻 あたりが薄暗くなりかけた頃 蕎麦屋に出掛けましょうと
今回は 『 三田綱町に 蕎麦切宮下 粋ル。』と唄う蕎麦屋を楽しみました
三田 芝の周辺は江戸の頃には 増上寺の門前 おひざ元として大変に栄えていたところだそうな
綱町の辺りは松平隠岐守などのお屋敷があり閑静なお屋敷街であったと思われます
往時が偲ばれるような佇まいの地に目指す「 蕎麦切宮下 三田綱町 」がありました
伊太利亜大使館の向かいになります
いわゆる喬悦コースを頼みましたが酒肴には申し分なし
この店にも蕎麦の産地の地酒や和酒が何種類かありますが  二人とも加齢とともに酒量がおとなしくなりましたなぁ
ゆっくりと江戸情緒でもあった“ 粋 ”に拘り“ 粋 ”を感じましょう
それにしても 蕎麦屋で飲む和酒 “ 蕎麦屋酒 ”はなぜ旨いのだろうか
店内には 『 北海道上川町のキタワセそばが届きました 』と 掲示してあります
江戸前の辛口だれで“ 粋 ”にいただきましょうと
蕎麦の“ 薫り ”をも味わいましたなぁ!
都会の繊細な味を楽しみました

ところで“ 私の蕎麦道中 ”の豆知識です
《 キタワセソバ 》とは:
キタワセソバの母体は北海道 富良野の牡丹そばです
早生そして多収量化を目的に牡丹そばから個体系統選抜を繰り返し 特性の向上を図ってきたものだとされている
北海道でのキタワセソバの作付面積は およそ9割であり道内一円で栽培されており北海道の代表的な蕎麦の品種なのです
福島県及び茨城県の一部でも「 夏新そば 」として栽培されているそうな
いずれにしても当節怪しい外国産の食材が多いなかで 国内産の蕎麦を食することができるのは嬉しいことである…

 

     

              

     

 

 


たかが蕎麦と言う

2010-01-10 16:40:15 | 蕎麦道中
蕎麦が好きな人は誰でも知っている「名人・高橋邦弘」さんは、2001年に北広島の豊平で“達磨”をスタートした。ご当地とはいうものの豊平は殆ど県境といえるいささか辺鄙な場所に位置している。以前、偶然にも知友の車で訪れて、やっと念願が叶ったものと歓喜したことがある。
 たまたま広島市内のイベントで“達磨”が出張 営業、いそいそと出掛けましたが現地での感動ほどではないにしてもなかなか唸らせるものがありました。
やはりここでも、「もりそば」のみの品目です。1枚735円也、2枚いただきました。
久々の多幸感の休日でした、感動の受け方は人によって異なることで宜しいでしょう。

感涙!です……ついに行って来ました“達磨”へ

2009-04-12 08:12:18 | 蕎麦道中
それは思いがけない出来事でもありました、と言うのも生来出不精なせいもあり未だに広島の地理に疎く退屈な時間を持て余しているのを見かねた知友夫妻が、近郊の「ウッドワン美術館」へのドライブに誘ってくれたことが始まりでした。春の蔵出しベストコレクション展で岸田劉生「毛糸肩掛せる麗子肖像」、ルノワール「婦人習作」「花かごを持つ女」、ファン・ゴッホ「農婦」の鑑賞であり、どうしてこんな田舎にこれらの名作があるのか不思議でもありました。
折角遠出したのだから日本一の蕎麦打ち名人のところで昼食を、と言われたときには驚きました。なんと憧れの“蕎麦大好き人間の憧れのメッカ”の「達磨」へ行ってきたのですよぉ~。
“達磨”の高橋邦弘氏は、1944年新潟生まれ。1972年「一茶庵」で知られる蕎麦打ち名人の片倉康雄氏の蕎麦教室を受講したことがきっかけで蕎麦打ちの道を志す。1975年東京・南長崎に蕎麦屋「翁」を開く。自家製粉を求めて転居、2001年山梨「翁」を弟子に譲り、広島・豊平に移り「達磨」で蕎麦打ちに専念。
我が家から車で約2時間の山奥である。看板はないのでたどり着くまでが不安ですがのぉ~んびりした風情の良い環境に位置しております。品書きはなく“もりそば”のみ。2枚いただきました。
ところで『肝心の味はどうだったのかい』と聴いてくださるな、憧れの蕎麦をいただいたのですから暫く余韻を楽しみたいのです。
たかが蕎麦、されど蕎麦、です。