京都 歴史の残香と初詣
幕末の風の音を聴いて そしてもういちど初詣をと 数年に一度の大寒波が来ると言うのに家人と京都へ出掛けました
【 ほんまもんの京都 [ 睦 月 ]
明治維新150年記念 幕末の京都と伏見稲荷大社の初詣 】
ひろでん中国新聞旅行 の企画のツアーです
コースは
JR広島駅8:35 = JR京都駅10:16 = 寺田屋 = 大黒寺(薩摩寺) = (昼食)京料理 清和荘 = 伏見稲荷大社初詣 = JR京都駅18:10 = JR広島駅19:55
JR京都駅八条口から帝産観光BUSに乗り込み約20~30分程で伏見の寺田屋へ着きます
■ 寺田屋
京都府京都市伏見区南浜町263
攘夷派の薩摩藩士が討幕に反対する同藩藩士と乱闘となった“寺田屋騒動”で知られております
所謂寺田屋事件は江戸時代末期の山城国紀伊郡伏見の旅館寺田屋で発生した事件である
・文久2年(1862年)に発生した薩摩藩の尊王派志士の鎮撫事件
・慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本竜馬襲撃事件 の2つを言います
寺田屋は古くから続く船宿で幕末の風雲児と言われている坂本竜馬の定宿でもあった
現在も旅籠として営業しており内部の見学もできるのです
参観券いわゆる入場券は土佐国銀札の藩札をイメージしたもので遊び心がありますな
寺田屋では坂本竜馬が幕府方に包囲された際に後の妻となるお龍の機転により難を逃れたと言うエピソードもまたよく知られております
坂本竜馬や長州の三吉慎蔵らは深夜の2時に幕府伏見奉行の捕り方30人ほどに囲まれ いち早く気付いたお龍は風呂から裸のまま裏階段を2階に駆け上がり投宿していた坂本竜馬らに危機を知らせたのである
坂本竜馬がお龍を女将のお登勢に預けたのもこの場所です
当時の様子を伝える写真などが展示されており多くの坂本竜馬ファンが訪れております
事件当時の「弾痕」「刀傷」と称するものや「お龍が入っていた風呂」なるものがあります
当時そのままの建物であるかのような説明がされているのですが真偽の程は定かではありません でもまぁいいでしょうかね
坂本竜馬襲撃事件に新撰組が関わったとの説もあるが定かではないようです
寺田屋の近くの商店街は“竜馬通り”と称しておりますが 昭和の商店街のような郷愁を感じさせるものがありました
坂本竜馬が愛した寺田屋そして彼を好んだ宿の女将のお登勢は多くの勤王家を世話したとして死後に贈位を受けた
そしてお登勢の養女のお龍は坂本竜馬の死後に放浪の末には人の妾になるなどして明治39年に66歳で生涯を閉じたそうな
坂本竜馬が没して150年 日本国が無事にながらえば先々1,000年後にも青年坂本竜馬の存在は語り継がれるであろう
『泣き虫ではいかんきい』と実姉から鍛えられた少年が僅か32年の生涯で人間業とは思えない程の“歴史の要”の役を果たしていることを思う時 その生きざまを垣間見たような気がした
この旅籠の前を流れる川のように年月はやって来てはただ過ぎ去っていくのでしょう
その中に生きる我々人間は死して後世に名を残し歴史と言う物語は紡がれていくのでしょう
■ 大黒寺(薩摩寺)
京都市伏見区鷹匠町4
大黒寺(だいこくじ)は京都府京都市伏見区鷹匠町のある真言宗東寺派の寺院である
通称は“薩摩寺” 元は“長福寺”と言われておりました
元和元年(1615年)に薩摩藩主島津義弘の守り本尊「出生大黒天」に因み薩摩藩の祈祷所として大黒天を本尊に寺名とした
西郷隆盛 大久保利通の会談の部屋 ゆかりの書や歌 肖像なども保存されております
寺田屋事件で命を落とした薩摩九烈士の墓があり西郷隆盛筆の墓碑が立っております
たとえ僅かな時間でもその地に足を踏み入れたもののみが歴史の真実を知ることができるのでしょう
結果としての歴史を知ることのみならず純粋な愉しみをも感じとれるのが旅物語でしょう
さいわいにも京の都には150年経っても京の都の残香の風が吹いているような気がするのです
◎昼食 清和荘
京都伏見の料亭の清和荘では数寄屋造りの部屋で日本庭園を眺めながらの昼食です
BUSは伏見に向かいます
京都の南に位置する伏見は豊臣秀吉の時代には伏見城の城下町として栄えました
1625年(寛永2年)江戸幕府によって伏見城は解体された
“安土桃山時代”の“桃山”とは 豊臣秀吉が晩年に住んでいた伏見城のことです
そのあたりに桃林があったことから“桃山”と呼ぶのだそうです
江戸時代には高瀬川による船運で京都中心部につながり そしてまた淀川を通う三十石船が大阪との間を結んでいたそうな
京都伏見は歴史にも度々登場する人の往来と交通の要衛だったそうです
良質な軟水を湧出し兵庫県の灘と並ぶ酒造地として知られ今でも古い酒蔵が立ち並ぶ
さて初詣です!
元日の京都はあまりにも混雑で お願い事が不十分(?)だったような気がしますのであらためての初詣なのです
■ 伏見稲荷大社
京都府京都市伏見区深草藪之内町68
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区深草にある神社
旧称は“稲荷神社” 稲荷山全体が神域なのです 本殿右には稲荷神名水がある
全国に約30,000社あると言われる稲荷神社の総本社である
初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集めるそうです(国内では4番目です)
眼にも鮮やかな朱塗りの稲荷造りの荘厳な社殿は室町時代の建造
大鳥居をくぐった先に在る桜門は 天正17(1589)年に豊臣秀吉が寄進したもと伝わる
本来は農耕の神様なのですが 家内安全 商売繁盛などなんでも叶えてくれるそうで庶民の人気を集めているのでしょうか
平日なのに参拝者が多い 観光の外国人も多く眼につきます
桜門から徒歩直ぐに本殿があります
食べ物を司る宇迦之御魂大神を中心に5柱の神様・稲荷大神を祀っております
本殿から千本鳥居を通り奥社奉拝所までは徒歩10分くらいでしょうか
ここには「おもかる石」があります
叶えたい願いを頭に思い浮かべながら石を持ち上げて 軽いと感じたら願いは叶うと言うものです
そしてまた「キツネの絵馬」が並んでおります
伏見稲荷大社の狐が銜えているものは?
伏見稲荷大社の境内には狐がたくさんおりますな
狐と言っても生きているキツネではなく狛狐ですぞ
狛狐は眷属(けんぞく)または白狐(びゃっこ)と言うのだそうです
様々な狐が色々な物を銜えているようです
・玉(宝球) : 稲荷大社の霊徳の象徴とされている球鍵信仰に由来
また 玉を穀物の倉庫とする説もある
・鍵 : そのみたま(玉=霊徳)を身につけようとする願望の象徴とされている
玉鍵信仰に由来
また鍵を倉庫の鍵とする説もある
・稲穂 ・ 稲荷神が五穀豊穣の神である食糧神に由来するためと言われている
・巻物 : 知恵を象徴していると言われている
の4種類なのだそうですが由来の本当のところはよくわからないのでしょう
伏見稲荷大社の本殿の背後にある稲荷山への頂きへと数千基の鳥居が連なっております
“千本鳥居”と呼ばれその幻想的とも云える朱色のトンネルが観光客にも人気なのです
この鳥居は 願い事が「通りますように」 または「通りました」と言う祈願と感謝の証として江戸時代から鳥居を奉納する習慣が始まり広がっていったものだそうです
そしてまた稲荷社の鳥居は何故に朱色なのか
山に隠れ森に宿っていた神々が大陸伝来の金銅仏の輝きに刺激されて自らの存在を証明しようと選んだ色が朱色であったとか
神々の激情がその理由であるとするならば漲る力にも得心するであろう
初詣には定められた規定はとくにはないようです
年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事 であることから年内ならばいつ参拝に行ってもよいらしい
一般的には正月三が日に参拝することを初詣と言っているのですが1月中の参拝も初詣とする考え方もあるようです
回数に関する規定もとくにはないのです
多数の神社仏閣に参拝すれば色々なご利益があると言う説すらあるのだ
その場合神社仏閣をとくに問わないのだそうです
“三社参り”と言って正月三が日のうちに複数の神社に参拝するのが習慣になっている地方もあるのです
なんと今年は“三社参り”をしてしまいましたかな
それではあらためて新年の抱負New Year’s resolutionを!
ところで君の新年の抱負はなにかな