Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

2016 7月の 私の本棚

2016-07-27 06:09:25 | 私の本棚

2016 7月の 私の本棚(7月に購入した書籍・CD・DVDなど)

いまそこにいる君は 十字路が見える  北方謙三  新潮社  2016/06/30
不運と思うな。大人の流儀6  伊集院静  講談社  2016/07/04
帰郷  浅田次郎  集英社  2016/06/30
真贋  今野敏  双葉社  2016/06/25
マル暴甘糟  今野敏  実業之日本社  2014/12/15
受難  帚木蓬生  KADOKAWA  2016/06/30
老いてますます明るい不良  嵐山光三郎  新講社  2016/06/29
生涯現役という生き方  武藤敬司 蝶野正洋  KADOKAWA  2016/06/23
ロボット・イン・ザ・ガーデン  デボラ・インストール  小学館文庫  2016/06/12
医者を見たら死神と思え ④  近藤誠  小学館  2016/07/05


奥能登ぶらり旅 ~そのⅢ -追想ー

2016-07-08 06:06:27 | ゆるゆる旅日記

奥能登ぶらり旅2日間 ~ そのⅢ ― 追想として

思いつくままに
能登半島を周遊したことで ツアーコンダクターの話や見聞した記憶に残ったことなど

能登半島の能登の語源は種々あるようですが アイヌ語の「ノッツ」 = あご に由来していると言う説が多いようです
あるいは垂仁天皇の時代に 珠洲岬に天竺の仙人が住んでいて ある時天皇の皇子が言葉を発せないのを治して欲しいと頼まれ 石動山に向かい仙法を用いてこれを治すと「この世ですべきことは終わった」と天に登って行った とか
「能(よ)く(天に)登る」所 = 「能登」になった という説もあると言う これは夢がありますなぁ

古代の能登は日本の表玄関であったそうです
日本海を仲立ちに 能登と対岸の東アジアの新羅 高句麗 渤海とは長い交流の歴史があったそうな
ことに渤海との交流は来国35回 遣使14回にも及んでいるとされる 知識や技術 信仰などは人とともに大陸から能登に渡来したのでしょうか
世界逆さ地図で能登半島と朝鮮半島の距離感を見ると 確かにむべなるかなと思われますなぁ
能登半島には大陸系の神々の名前を冠した神社がいくつかあるのです 
七尾の久麻加夫都阿良加志比古神社(くまかぶとあらかしひこ)の社名や祭礼であるお熊甲祭りなどは そのことを表しているのかも知れない
猿田彦などはその説がもっともであると言えなくもない

輪島市の豪農と言われた家に残る文書や調査によると 百姓身分ではあったが農業の他に製塩業や廻船業など幅広い事業に取り組んでいた豪農であったらしい
とくに北海道の松前で昆布を買い付け京都や大阪まで運んでいたとされている
江戸時代の能登というと 都から遠く離れた辺境の半島であり田畑の少ない貧しい地域であったでしょうが北前船の寄港地として栄えたであろう海上交易の拠点であったのかも知れないのです

能登金剛で遊覧船に乗って巌門の周辺をぐるりと廻るのであるが 荒波で落ち着いてガイドのアナウンスがよく聴えません
私は船の揺れにはからきし弱いのですなぁ あぁはやく戻りたい!
言われてみれば旧福浦灯台が小さく見えます
もっとも言われなければ見落とすような可愛い大きさです
羽昨郡志賀町に在る日本最古の西洋式木造灯台「旧福浦灯台」なのだそうです
高さは約5mで内部は3層になっているそうです
起源は古く1608年(慶長13年)に夜間航行する船の安全のため篝火(かがりび)を焚いたのが始まりであるとされている

この地方の名産のひとつにノドグロ(喉黒)があります
アカムツ(赤?)とも称されており水深100~200mに生息 砂底を住居にしているそうな
近年は高級魚として人気があり とくに脂がのっていることから「白身のトロ」と言われているのです
確かにHOTELの夕食のノドグロのお寿司は美味なものであった 鮪のトロに勝ると思う
北海道や東北地方では「きんき」と言う紅い魚が脂のある高級魚として有名なのだそうです
東の横綱の「きんき」そして西の横綱「ノドグロ」でしょうか
もっとも私が幼少の秋田在住のころは「きんき」は決して高級魚ではなくて日常の家庭に並んだものでしたがね
現在ブームと言うことで 銀座三原橋近くに「のどぐろ専門 銀座 中俣」“ノドグロ尽くし”の料理店があるそうです
造りに始まって焼き物 揚げ物 飯に至るまでオンリーノドグロで攻めるのだとか
いつの日か行ってみたいものです メモをしておきましょう
そう言えばお土産にノドグロの一夜干しを買った輪島朝市の屋台と言うか露店の“麗子さんのお店”のおばちゃんはどうしているんでしょうか ずいぶんサービスしてくれましたが

いしる鍋は大きめのホタテ貝の殻に具をのせて魚醤“いしる”で味付けをしたものなのだが 能登地方でも奥能登に特有なものであるらしい
私には臭いがきつ過ぎて箸が進みませんでしたなぁ
魚醤と言えば私が幼少の秋田在住の頃 しょっつる鍋が冬場の鍋料理の定番のひとつでした 魚醤で味付けをしたものです
ちょうど寒風の荒波にのって男鹿半島沖に産卵のために卵をいっぱい抱えた鰰(はたはた)の大群が押し寄せしょっつる鍋に供されたものです その隠し味となったのが魚醤のしょっつるでした
やはり私はあまり箸が進みませんでしたが
それに比して同じ時期には新米の収穫があったわけで きりたんぽ鍋が冬場の食卓によく出てきました 比内鳥と舞茸(当時は天然ものしかありませんでしたよ)の出汁がよく効いて私は好きでしたなぁ
家庭料理でしたが今ではどうでしょうか

ところで君は「旅の味わい」とは何だと思いますか
たくさんの名所旧跡や自然美を観て新たな知識を得ることも魅力ではあるが 私が海外旅行を好きな理由のひとつが 多少なりとも時差と気候の変化があるということです
そして言語 習慣が異なることです
目的地の空港に降りた時 異次元空間を超えて非日常の物語が始まるであろうトキメキがたまらないのですなぁ
ただし疲れますがね!

     
                  気多神社「入らずの森」                                    見附島「幸せの鐘」

     


奥能登ぶらり旅2日間 ~ そのⅡ

2016-07-02 15:20:09 | ゆるゆる旅日記

《 6月某日 》
奥能登ぶらり旅の2日目 今日は輪島朝市の散策からスタートです

■輪島朝市
“輪島”と言えば2015年上半期にNHK総合TVで放送された朝ドラ『 まれ 』は
輪島市と隣接珠洲市がするロケ地であったことが記憶に新しい
能登地方に家族と移住し育ったヒロイン津村希(土屋太鳳)がパティシェを目指して成長していく物語でした
セットの一部が残されており観光客が訪れているそうです
『 まれ 』の記念館を覘いてみましょう
そして“輪島”と言えば輪島朝市が知られております
千葉県の勝浦朝市 岐阜県の高山朝市と並ぶ日本三大朝市のひとつに数えられるそうな
平安時代から続く朝市で神社の例祭日などに生産物を持ち寄って物々交換しあっていたのが始まりだといわれております
朝市通りと呼ばれる約360mの商店街で毎朝行われていて約200以上の露店がならんでおります
数ある露店の一軒(?)の‘麗子さんの店’で“のどくろ”の一夜干しを買い求めました クール宅急便で明日には届くでしょう

♪♪♪ おとのみち ♪♪♪
 七尾市と穴水町にまたがる別所岳SAから輪島方面へ向かう腰の原ICの間の1.2Kmでは制限速度の時速70Kmで走行すると1分間余り NHK朝ドラ「まれ」のオープニングテーマ曲『 希 空~まれぞら~ 』が聴こえてくるのでした
この“おとのみち”は 路面に細かい溝を平行に刻み 車のタイヤとの摩擦で音を発生させる仕組みなのだ 一定の速度で走ると音楽が流れるように聴こえるのだ 
洒落た制限速度の順守の呼びかけですなぁ

■禄剛崎 ■のろし灯台
禄剛崎(ろっこうさき)は能登半島の最先端の珠洲市狼煙町に位置しており日本海に面する能登半島さいはての岬です
古くから日本海航路の要所であり航路を照らすのろしが古くから上げられていたそうです
珠洲という地名は“すすみ(古訓でのろしのこと)”に因んでいるともいわれているとか
能登半島の外浦と内浦の接点で双方にまたがっていることから朝日と夕日が同じ場所で見られることでも知られております
見渡す限り遮るものが何もない ということでしょう
 せっかく能登半島の先端のさいはての岬までたどり着いたのに 昨日の巌門観光で足腰が未だヨレヨレしているため灯台までの1.5Kmの坂道登坂は途中でリタイァー(笑)!

■珠洲市
珠洲市(すずし)は 石川県の北東部 能登半島の先端に位置している
“スズ”の地名は:
「須須神社社伝縁起 第一」に高倉宮・金分宮の2社からなることが出ており高倉宮主神のニニギノミコトが来臨した折に鈴をもってこの地を鎮める とあるそうです
鈴の万葉仮名が須須・須受でその佳名が珠洲で スズの地名はそこからとったもの
金分宮の主神が美穂須須見命(ミ・ホ・スス・ミ・ノ・ミコト)で稲穂で稲穂の豊かな実りを象徴している 豊かな稲穂を振って音をたてる様子が鈴である
大伴家持が天平21年に都の妻に贈る為の真珠を願う歌を詠むが 「珠洲の海人の沖つに渡りて ~ 」とあり 半島先端部の広い範囲が珠洲(真珠のような洲)と意識していたとか

昼食は レストラン浜中 で“いしる鍋”である
■いしる
“いしる”とは能登半島北部で古くから作られているイワシやイカの内臓や頭 骨を塩漬けにして発酵させた魚醤油のことです
“いしる”の呼称は「いを(魚)じる(汁)」の転訛だとされる
日本の魚醤には秋田名物の“しょっつる” 新潟の“しょっからいわし” 香川では“いかなご醤油”などがありますなぁ
東南アジアではタイのナンプラーなど


■見附島
見附島(みつけじま)は珠洲市(すずし)に位置している
見附島という島名は 空海(弘法大師)が佐渡島からこの地方に渡った際に最初に見つけた島であることに由来していると言われる
また島の形状が軍艦に似ていることから軍艦島とも呼ばれているのです
見附島から昇る朝日は絶景だとか
浜辺には縁結びの鐘があり その名も「えんむすびーち」と呼ばれているとか
それで見附島と呼称するわけではないのですが 縁結びの鐘を鳴らして予定していた観光が終わります

BUSは能登里山海道/能越道を走り JR新高岡駅へ
新高田駅から北陸新幹線つるぎ号で金沢駅へ
ひと駅ですのでわずか13分間のいわば北陸新幹線の発体験です
往路と同じようにサンダーバードと山陽新幹線を乗り継いで深夜に帰還しました

    

    


奥能登ぶらり旅2日間 ~ そのⅠ

2016-07-01 07:20:37 | ゆるゆる旅日記

奥能登ぶらり旅2日間

 先月G.W.に金沢~福井を探訪したばかりだと言うのに 今月も金沢です
と 言っても今回は金沢を起点に能登半島を一周します
サブタイトルは「能登半島の豊かな自然が育んだ秘境の絶景にご案内」となります

行程は
【第1日目】
JR広島駅(のぞみ118号) → JR新大阪駅(サンダーバード13号) → J R金沢駅
= 金沢市内 =のと里山海道 = 千里浜なぎさドライブウェイ = 気多大社 = 能登金剛・巌門 = 能登羽昨・志賀の郷温泉
【第2日目】
のと里山道路 = 輪島朝市 = 白米の千枚田 = 禄剛崎 = いしる鍋の昼食 = 見附島 = のと里山海道 = JR新高岡駅(つるぎ725号) → JR金沢駅(サンダーバード42号) → J R新大阪駅(のぞみ123号) → JR広島駅

《 6月某日 》
 特急サンダーバードの車窓からは 京都山科のサントリー そして京都鉄道博物館などが懐かしく過ぎてJR金沢駅に定刻着
早速BUSは金沢市内を走ります
駅前の鼓門 尾山神社の神門 玉泉院丸庭園 成巽閣 そしてひがし茶屋街 などが記憶に新しい
垣間見た旧制第四高等学校の四高記念文化交流館は 次回にはじっくりと見学したいものです
BUSは のと里山海道を走り千里浜なぎさドライブウェイへ向かいます 
高速道路ですが現在は全線無料なのだそうです

■千里浜なぎさドライブウェイ(ちりはまなぎさドライブウェイ)
石川県羽昨郡宝達志水町今浜から千里浜町に至る約8kmの砂浜を自動車で走る自然の観光“道路”である
日本で唯一 一般の自動車やBUSでも海岸線の砂浜の波打ち際を走ることができる“道路”なのです
このような“道路”は世界的にも珍しくアメリカのディトナビーチ ニュージーランドのワイタレレビーチを含めて3ヶ所だけだそうな
一般的な海岸の砂の粒径は0.5mmから1mmくらいであるが千里浜の砂は細粒で4分の1mm程度しかなくしかも一様であるのが特徴なのだとされる
海水を吸って舗装道路のように固くなるため自動車や大型車が走行できるということである
近年は日本中の他の砂浜と同様に周辺の河川の護岸工事などにより堆積する砂の量が減少し砂浜の浸食が深刻な問題となっているのを聴くと悲しくなるのですなぁ
砂浜のハマナスやハマヒルガオなどの海浜植物そして砂丘のクロマツ林など ぜひ残しておきたいものなのですが
そう言えば『懐かしい想い出』の千葉の九十九里浜海岸のことが浮かびました
防砂林の松林のなかに 高村光太郎や伊藤左千夫の詩碑があったのですが どうなっているのでしょうか
九十九里海岸と並行して「波乗り道路」ができてからは便利にはなったが景観は激変しました
日本の海岸線は総延長が約5,000Kmであることが知られているが護岸工事などで約3分の1が人工海岸へと姿を変え景観のみならず生態系への影響が大きい

■気多大社(けたたいしゃ)
能登半島の付け根 羽昨市の日本海に面して鎮座している
祭神の大己貴命(おおなむちのみこと)は出雲から舟で能登に入り国土を開拓した後に守護神としてこの地に鎮まったとされる
若い巫女さんの説明でした
古くから北陸の大社として知られ中世・近世には歴代の領主から手厚い保護を受けた
そして境内裏手には原生林の社叢が広がっております
「入らずの森」として立ち入りは禁止されているのです
社叢内は一般の参拝はできないが奥宮が安置されていると言う
これを神秘的と言うのでしょう
思わずお守りを求めてしまいました 病気平癒!

■能登金剛(のとこんごう) ■巌門(がんもん)
石川県羽昨郡志賀町に位置している景勝地である
約30kmにわたって奇岩 奇勝 断崖が連続している海岸である
一帯の海岸は日本海の荒波によって浸食されたもので 名称は朝鮮半島有数の景勝地である金剛山(現在の北朝鮮)に因みそれに匹敵する景観とされているそうです
巌門 関野鼻 機具岩(はたごいわ) ヤセの断崖 碁盤島 吹上滝 増穂浦 玄徳岬など
断崖の下まで急な階段を下りて遊覧船でこれらを巡りました 
さすがに日本海の荒波は豪快に揺らしてくれます また階段を上って戻りましょう 
いやぁ~下りで足がヨロヨロ 上りでは息切れゼェーゼェー 足がガクガク なんとも情けないことです
巌門は波食によって形成された天然の洞門です
高さ15m 幅6m 奥行き60mの穴があいており遊歩道があり近くまで行くことができます 
松本清張の小説 映画「ゼロの焦点」のロケ地として記念碑が立っております
歌川広重は六十余州各所図会の「能登・滝之浦」に巌門 不動の滝 鷹ノ巣岩を描いております

■白米千枚田
白米千枚田(しろよねせんまいだ)は輪島市白米町の棚田です
数が多いので千枚田と呼ばれておりますが“狭い田”から転じたものでもあるようです
田植えそして稲刈り時には広くボランティアを募って作業をしている
日本海に向かってなだれ落ちるような美しい景観は能登の観光スポットでしょう
“日本の原風景”ともいわれるのですなぁ
季節ごとにTVや雑誌で紹介されますが 絵になる風景です
売店でこの千枚田で収穫したコメを用いたソフトクリームをいただきましょう
なかなか美味しいのです もっとも予想気温30℃の夏日ですから

■揚浜塩田
  揚浜式製法とは平安時代の終わりから江戸時代にかけて行われた製円塩方法
当時土木技術が未発達であったため塩田は海岸より高い所にしか作れなかった
塩田の表面に粘土を敷き詰めその上に砂を撒く 海岸で桶に海水を汲んで塩田まで運び撒布し蒸発を促進させるため撒布撹拌を繰り返し風と太陽の力で砂を乾燥させ砂の表面の塩分を洗い流して濃い海水が出来 塩を結晶させるという労苦の多いものであったでしょう
重要無形民俗文化財に指定されており この地では観光客が製塩を体験できるイベントが毎年夏に開催されているようです
珠洲市清水町の揚浜塩田は『まれ』のロケ地でもありました

== 能登羽昨・志賀の郷温泉の能登ロイヤルホテルで一泊します