Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

2017 11月の 私の本棚(11月に購入した書籍・CD・DVDなど)

2017-11-25 08:38:08 | 私の本棚

2017 11月の 私の本棚(11月に購入した書籍・CD・DVDなど)

北の空と雲と  椎名誠  PHP研究所  2017/12/01
アイスランド  椎名誠  日経ナショナルジオグラフィック社  2015/01/28
焼き鳥の丸かじり  東海林さだお  朝日新聞出版  2017/11/30
変見自在 トランプ、ウソつかない  髙山正之  新潮社  2017/11/15
京都 知られざる歴史探検 上  山田邦和  新泉社  2017/10/25
京都 知られざる歴史探検 下  山田邦和  新泉社  2017/10/25
アンネ・フランク  早乙女勝元  新日本出版社  2017/10/30
新しい人体の教科書 下  山科正平  講談社  2017/10/20
知的な老い方  外山滋比古  だいわ文庫  2017/04/10
百歳まで歩く  田中尚樹  幻冬舎文庫  2017/10/15
ブヒ道  小泉吉弘  ポプラ社  2017/10/12
そば屋 幻庵 ⑮  かどたひろし  リイド社  2017/11/27


❝ 聴いて ❞ ❝ 観た ❞ ムーンライトセレナーデ

2017-11-23 15:45:46 | のんびり歩いて

“ 聴いて 観た ムーンライトセレナーデ ”

【 ザ・グレン・ミラーオーケストラ
         Japan Tour 2017 】
霜月土曜日の午後に はつかいち文化ホールさくらぴあ 家人と出掛けました
懐かしい音を求めての2時間でした
Glenn Millerは アメリカのジャズミュージシャン
ベニー・グッドマンと共に“スウィングの王様”と称されトロンボーンを優雅に吹きこなし1930年代後半~1940年代前半のジャズシーンに旋風を巻き起こしたことはよく知られております
忘れ得ぬ名曲の数々と共に 伝説に生きる不滅のグレン・ミラーサウウンドを堪能しました

CONCERT PROGRAM
☆FIRST HALF
オープニングテーマ ムーンライト・セレナーデ
カリビアン・クリッパー      カラマズーの娘
ブルーベリー・ヒル        真珠の首飾り
恋したみたい           アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー
タキシード・ジャンクション    夕暮れ
フォーリング・リーブズ      アット・ロング・ラスト・ラブ
アメリカン・パトロール      川の流れのように
サンバレーの出来事        リンゴの木陰で
☆SECOND HALF
スカイライナー          アイム・オールド・ファッションド
ペンシルベニア6-5000       ルンバ・ジャンプ
ラブ・ミー・オア・リーブ・ミー  茶色の小瓶
スランバー・ソング        チャタヌーガ・チュー・チュー
マイ・ウェイ           イン・ザ・ムード
クロージングテーマ ムーンライト・セレナーデ

グレン・ミラー自身が作曲したバンド・テーマ曲がムーンライト・セレナーデです
原曲はオーケストラ結成前の1935年に「 Now I Lay Me Down to Weep 」のタイトルで書いていたが19391年にミッチェル・パリッシュの歌詞がついてレコードが録音され大ヒットしたスウィング・ジャズの代表曲でしょう

男性ヴォーカルはNICK HILSCHER が女性ヴォーカルは MARIA SCHAFER グループヴォーカルは MOONLIGHT SERENADERS が担当
ザ・グレン・ミラーオーケストラならではの楽しみと言えば“聴く”だけではなく“観る”楽しみがあるでしょうか
結成当時はナイトクラブでの演奏が多く観客は夜な夜な曲に合わせて踊り明かしたそうな
現在のオーケストラに於いても曲に合わせたポージングやアクションを取り入れた演奏スタイルは受け継がれているようです
NICK が「川の流れのように LIKE THE FLOW OF THE RIVER」を
日本語で熱唱したのが印象的でした

「 川の流れのように 」は 秋元康作詞 見岳章作曲
美空ひばり 1989年の生前最後のシングル作品です
日本でも多くの歌手がカヴァーしているのですが外国人が流暢な日本語で切々と歌い上げました

知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川のながれのように とめどなく
空が黄昏に 染まるだけ

生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢 探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかは また 晴れる日が来るから
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように 移り行く
季節 雪どけを待ちながら

ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら

この曲の『 川 』とは ニューヨークのイースト川のことである
当時作詞者の秋元はニューヨークに在住しており 現地のカフェ「 カフェ・ランターナ 」で作詞したのだそうな

GLORY TO SWING の響きの中で日本語の歌謡曲に あぁ歌はいいもんだなぁと思う

    

 


いつのときも 優しさのとき

2017-11-16 13:54:31 | のんびり歩いて

いつのときも 優しさのとき

 “大安”文化の日の休日 孫の七五三のお祝いに家人と出掛けました
まだ夜が明けきらない時間に始発電車に乗って新幹線は定刻にJR東京駅に着いた
東京駅から霞が関周辺は5日に来日するドナルド・トランプ米国大統領に対する警備で警察官などの姿で溢れておりました
きょうはANAインターコンチネンタルHOTELで写真撮影 赤坂の日枝神社でお宮詣で 芝の「うかい」で祝い膳と言う忙しいスケジュールである
どこもかしこも混みあっているため移動せざるを得ないようなのですなぁ
もはや年中行事とも云える七五三 私の時代には少なくとも地方都市では無かったように思えます

さて 七五三とは:
七五三(しちごさん)とは 7歳 5歳 3歳の子供の成長を祝う日本の年中行事であり 神社などで“七五三詣で”を行い成長の報告 感謝 祈願を行う奉告祭
その由来は 天和元年11月15日(1681年12月24日)に江戸幕府第5代将軍の徳川綱吉の長男である舘林城主の徳川徳松の健康を祈って始まった とされる説が最も有力であるとされている

何故11月15日なのか:
旧暦の15日は かっては二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)にあたり何事をするにも吉であるとされた
旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり その月の満月の日である15日に氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し加護を祈るようになったそうです

何故3歳 5歳 7歳なのか:
・数え年3歳(満年齢が2歳になる年)を“髪置きの儀”とし おもに女の子が行う
 江戸時代には3歳までは髪を剃る習慣があった為 それを終了する儀
・数え年5歳(満年齢が4歳になる年)を“袴儀”とし男の子が行う
 男子が袴を着用し始める儀
・数え年7歳(満年齢が6歳になる年)を“帯解きの儀”とし 女の子が行う
 女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀

 上方発祥の風俗としては「十三詣り」がありますな

何故千歳飴なのか:
七五三では 親が自らの子に長寿の願いを込めた“千歳飴”を与えて食べて祝う
千歳飴と言う名称は「千年」つまり「長い」「長生き」と言う良い意味があると共に細く長くなっており縁起が良いとされる紅白の色で着色されているのです
千歳飴は江戸時代の元禄宝永の頃に浅草の飴売り七兵衛が売り出して流行した“千年飴”から始まったそうな

お宮詣でをする日枝神社の境内は祈願する子供たちとその関係者でいっぱいです
お祝い事なので人混みもまた楽しい賑わいなのです
■ 日枝神社とは
日枝神社(ひえじんじゃ)は 大山咋神(おおやまくひのかみ)を主祭神とし 相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ) 伊弉冉神(いざなみのかみ) 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る
江戸三大祭りのひとつの山王祭が行われる
創建の年代は不詳である
文明10年(1478年)大田道灌が江戸城の築城にあたり川越の無量寿寺の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという
徳川家康が江戸に移封したときに城内の紅葉山に遷座し江戸城の鎮守としたそうな
城内鎮守の杜 徳川歴朝の産神 また江戸市民からは江戸郷の総氏神 江戸の産神として崇敬されたそうな

 日枝神社には“お宮詣り”の為に ついつい最近詣でたばかりだというのに早くも3年が経過しているのだ
日枝神社で授かった千歳飴を持った孫は女の子である 私を見て笑顔をつくるようになった
もの心がついたら抒情詩のいくつかを読み聞かせてあげたい
流れる日々は過ぎて行き じぃじぃの老いが残るだけなのかも知れないのだが

東京日帰りは大忙しです
気がつけば夕暮れ
それは いつのときも優しさのとき