Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

5月の 私の本棚 (5月に購入した書籍・CD・DVDなど)

2012-05-30 05:57:25 | 私の本棚

月の夜の笑い猫 超常小説ベストセレクションⅠ  椎名 誠  柏艪舎  12/05/05
水の上で火が踊る 超常小説ベストセレクションⅡ  椎名 誠  柏艪舎 12/05/05
岩下志麻という人生 いつまでも輝く、妥協はしない  立花珠樹  共同通信社  12/03/20
日本の医療 この人を見よ 「海堂ラボ」Nol.1  海堂 尊  PHP新書  12/05/01
日本は中国人の国になる  坂東忠信  徳間書店  12/03/31
これが結論!日本人と原発  竹田恒泰  小学館101新書  12/03/04
がん放置療法のすすめ  近藤 誠  文春新書  12/04/20
死ぬまでに絶対行きたい 世界の旅  小林克己  PHP研究所  12/01/10
腸マネジメント  松生恒夫  マイナビ新書  12/04/30
自衛する老後  河内 孝  新潮新書  12/05/20
超訳聖書 古代ユダヤ賢人の言葉  石井希尚  ディスカヴァー・トゥェンティワン  12/04/10  
ジジゴク 1  沖田次雄  双葉社  12/03/28


オーレ エスパーニャ8  旅のメモ帳 そのⅡ

2012-05-27 08:27:02 | ゆるゆる旅日記

第5日目 5月2日(水曜日)

グラナダでは 午前中はアルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ庭園を観光散策して 午後にはBUSでミハスへ向かう(約152Km)
◆アウハンブラ宮殿 PALACIO DE LA ALHAMBRA
イスラム芸術の最高傑作
街を見下ろす丘の上に建つアルハンブラ宮殿は 総面積1万4000㎡もの広さを誇り 城壁アルカサバ 王宮などイスラム建築の粋が
結集した建造物からなり 宮殿は13世紀前半 レコンキスタ(国土回復運動)により再度キリスト教徒の勢力が増し イスラム教徒の
支配がグラナダ王国のみとなっていた頃ナスル朝ムハンマド1世によって着工された
約170年にわたって建設された宮殿は イスラム建築の最高傑作といわれ 幾何学模様や精緻な透かし彫りなど見る者を魅了する
アラヤネスの中庭は 中庭の池が建物を鏡のように水面に映しだしており 宮殿が水に浮かんでいるようにみえるのです
ライオンの中庭は工事中でした
楽園を彷彿させる庭園が王族の夏の別荘であるヘネラリフェへ続いている
日差しが強い
◆ミハス Mijas
旅は後半戦に入った
今回の旅程のなかで ミハスは大きな関心を寄せていた処のひとつなのです
アンダルシア地方の山間には「ブエルボス・ブランコス」と呼ばれる白い村が散在しているのです
マラガ近くのミハスはミハス山脈山麓の高所にあり コスタデル・ソル(太陽海岸)の青い海が一望なのです
展望台からは おぉ!地中海だ!空も海も碧いのだ! 天気が良ければアフリカ大陸が見渡せるそうな そう言えばモロッコが見えた
 ような気がしましたよぉ(?)
夏の灼熱の太陽から家屋を守るために外壁に石灰を塗ってあるのですが これが「アンダルシアの白い家並み」として魅了している
白壁の民家 狭い路地 咲き乱れる花々が美しく “アンダルシアのエッセンス”と称されているのが納得できました
ゆっくり歩いても20~30分で周れる小さな街なのですが 心優しい気持ちになりました
ロバタクシーが何台も客待ちをしております ちょっと恥かしいのでやめましたがきっともっと心優しい乗り心地だったかも知れません
ミハスで今話題の(ガイドブックなどで)ブランドTシャツの店「エニェ」で買い求めました これも目的の一つなのでした
ところで ここで大失態です 命の次に大事なイヤ命よりも大事なパスポートを身から離していることに気がついてドッキリ
まぁBUSに乗って大事なきことを確認するも2年前のローマでの“事件”以来の青ざめた時間を過ごしました そろそろお疲れなのかも
ミハスからは BUSでマラガへ
マラガ空港からヘルシンキ航空でバルセロナ空港へ
Airbus機が水平飛行に入る頃 少し前席の非常用の酸素が天井から《ボコッ》と出てぶらさがる騒ぎが!
『おぉ~! こんな具合になっていたのか 案外ちゃちな構造なのだ』と写真を撮ったのはワシだけでしたが
誤作動とは言え滅多に見れるものではないのですよ
 夜遅くにバルセロナ着 H10 CASANOVA ホテル2連泊になります

第6日目 5月3日(木曜日)

午前中はバルセロナBarcelonaの市内観光です 聖家族教会 グエル公園 などの定番コースです
◆サグラダ・ファミリアTemple Expiatori de la Sagrada Familia
バルセロナが生んだ天才建築家アントニ・ガウディ(1852~1926)はカタルーニャ南部レウス郊外にある銅板器職人の家庭に育ち16歳で
建築家を目指してバルセロナへ移住したという
パリ万博で脚光を浴び 以降数多くの傑作を世に送り出したのだ バルセロナは“ガウディ”で溢れているのです
聖堂内部は十字架の形になっており ゴシック様式の厳格な雰囲気を取り除くため 全体を森に見立てている 全36本ある柱はドーム型
の天井を支えられるように枝分かれをした木をモチーフにしているのだ
2010年に内部の天井が完成し ローマ法王を招いたのです
建設は 今も寄付金と入場料のみで進められており 2026年に完成する!のかしら
◆グエル公園
1900~1914年 ガウディが独自の建築様式を完成させた頃の作品なのです
ガウディのパトロンであるグエル氏の依頼で田園住宅街として建設されたもの
柱廊 列柱ホール そしてガイドブックには決まってでてくるホールの前にある公園のシンボルの“ドラゴン” ここでは人だかりが多く
写真が撮れませんでした まぁガウディは奇才と言うべきなのでしょう
ゆったりとしたよい公園ですよ

第7日目 5月4日(金曜日)

「いよいよ…」と言うべきか「もう…」と言うべきか帰路になります
バルセロナ空港 10:15 発 AY3270 ヘルシンキ空港 15:10 着
この空港の喫煙室は外にあります 外と言っても中庭の空間をあてているのです ハーゲンダッツの店があり当然なことに灰皿を置いて
あります シェイクを注文しましたね フィンランドでアメリカのアイスクリームなのですが美味しかった!
フィンランドも訪れてみたい処なのです
ヘルシンキ空港 17:20 発 AY0070 機種はすべてAirbus なのです

第8日目 5月5日(土曜日)

8:55 関西国際空港着 定刻です フィンランド航空航空(Finnair フインナイル)は時間が正確なのです
 と言うことにしてくださいナ 結構気に入った飛行機の旅でしたのですから
そう言えば 1963年ヘルシンキからトゥルクを経由してマリエハムンみ向かっていたアエロ217便(DC-3)が墜落 機体は大破 しかし乗員乗客22人は
全員無事だったそうな フインランド航空は この1963年の事故以来現在まで一度も航空事故を起こしていない この為『世界的にも最
も安全な航空会社』と言われる稀有な航空会社なのです そしてフライトスケジュールも余裕を持たせてあるので遅延も少ないのです
関西空港で スーツケースは宅配便として身軽に「はるか」と「のぞみ」で広島着
Adios!

  感動を知ったことで 未だ未だ旅のメモ帳に書き足していかなければならないのだと思う

   

  

  

 


オーレ エスパーニャ 旅のメモ帳Ⅰ

2012-05-27 07:02:40 | ゆるゆる旅日記

2012年のG.W.は『世界の歴史と文化を知るためにはなんと言ってもSPAINなのです』 と決めつけてお休みをたくさんいただいて行って来ましたSPAIN!
【 オーレ エスパーニャ8 】旅のメモ帳です

第1日目 4月28日(土曜日)

関西国際空港は 久々である イタリア以来なのです
フィンドランド航空(FINNAIR) AY 0078 10:45発
最も安全な航空会社と言われている飛行機である 事故が極めて少ないと言うことであろう
そのせいかクルーがみな穏やかな感じがするのは気のせいかしら
約10時間のフライトでヘルシンキ空港です 
北廻りですので眼下の河が凍りついていました
ヘルシンキ空港で乗り継ぎです フィンランド航空 AY 3183 でバラハス空港へ
約5時間でマドリードのバラハス空港着 現地時間で20:25 時差は6時間です
おぉ!Spainです Hola! いやぁ~長かったですよぉ
 ホテルは MELIA MADRID PRINCESA 泊 

第2日目 4月29日(日曜日)

スペイン紀行の始まりハジマリです ここで時差は7時間なるのですが長旅にしては疲れを感じておりません
マドリッド MADRIDからスタートです
◆スペイン広場 PLAZA DE ESPANA
1930年にセルバンテスを記念して造られた広場 
さして広くない広場であるが 中央にはセルバンテス像が ドン・キホーテとサンチョ・パンサ像を見下ろすように立っているのです
◆王宮 PALACIO REAL
フランスのヴェルサイユ宮殿で生まれ育ったブルボン王朝第1代の国王フェリペ5世は フランス・イタリア風の王宮の建設を命じ1764年に完成
150m四方の建物の中には 2700を超える部屋があり 現在も公式行事に使われているそうである
◆国立ソフィア王妃芸術センター
おもに20世紀の現代アートを所蔵する美術館である
ピカソ ダリ ミロ タピエスなど教科書や美術全集で観た“本物”に圧巻
戦争の悲惨さを描いたと思われる(?)ピカソの大作「ゲルニカ」Guernica の展示室は警備が厳重なのです
◆プラド美術館 MUSEO NACIONAL DEL PRADO
スペイン王室の美術コレクションを中心として1819年に開館
エル・グレコ ベラスケス ゴヤの3大巨匠に眼を奪われた感がしました
ゴヤのミステリアスな微笑みを浮かべた同じポーズの2枚の絵画「着衣のマハ La Maja Vestida 」と「裸のマハ La MAja Desnuda」 を
楽しみにしていたのであるが 裸のマハ は“出張”中で残念
「マハ Maja」とは流行の先端をいく伊達女と言うマドリード方言 モデルが誰なのかは今も謎のままであるが セクシーな肢体や謎めいた
微笑から様々な憶測が絶えないのです ウゥ~ム!
名画と言われている絵画は 美術誌で知識を得ることはできるが その真価は眼の前で鑑賞しなければわからないのだなぁと思う
 午後は トレド TOLEDO へ
三方をタホ川に囲まれ ギリシャ生まれの画家エル・グレコが後半生を送った頃のたたずまいを今も残す街
1561年に首都がマドリッドに移るまで政治・経済の拠点として繁栄し『16世紀で歩みを止めた町』と言われるがその通りだと実感
キリスト ユダヤ イスラム の3つの文化なくしてこの町は語れない
ホタ川の南側の高台からトレドの街を望む あぁ来てよかった!町の頂きにそびえる城アルカサルは11世紀に始まる
BUSは街へおりて 大聖堂 Catedral とサント・トメ教会 lglesia de Santo Tome を見物
トレドはオプションだったのであるが参加してよかった スペインの旅はワクワクして始まったのでした
 MELIA MADRID PRINCESA で2連泊です

第3日目 4月30日(月曜日)

マドリードから AVE新幹線で約2時間 アンダルシア第3の都市のコルドバへ
ホームに降りる前に手荷物検査があります 家人はコートをも脱いで機械に通されました 安全を思えば本来そうあるべきですかな
ここでは ホームでのアナウンスがいっさいありません もちろん発車の合図のベルもなりません
時間になったら音も立てず静かに走り出します
何処ぞの国の駅のアナウンスと車内の案内はうるさ過ぎなのです
 コルドバでは メスキータ そしてユダヤ人街を散策します
そして午後は BUSでセビリアへ向かいます(約139km)
そうです セビリアへ来ましたので夜は“フラメンコディナーショー”でしたなぁ
◆メスキータ MEZQUITA
785年に建設が始められコルドバの発展と歩調を合わせるように3回にわたって拡張されついには2万5000人を収容する大モスクが完成
内部は 大理石と楔形の赤レンガを交互に組み合わせたアーチが限りなく広がり眼がくらんでしまう程
「円柱の森」と呼ばれるのです かっては1000本以上の柱があったが現存するのは約850本とガイドの説明 それだけでもすごいのだ
コルドバを再征服したカトリック教徒による改造で 入口は5つの門を残してすべてふさがれてしまっている
イスラム教とキリスト教が共存しているのです
◆ユダヤ人街 LA JUDERIA
メスキータの北側に広がる 迷路のように道が入り組んだ地域
かって西カリフ帝国の経済を支える存在として歴代カリフに厚遇されたユダヤ人はレコンキスタ終了後の1492年に布告されたユダヤ
人追放令によってこの街から姿を消したのだと言う
小道ごとに様相を変える白壁の街並みには花々の小鉢が飾られております 窓々に飾られているのはゼラニウムでしょうか
 各家々にはアンダルシアの暑い夏を快適に過ごすための“パティオ”が設けられている ブーゲンビリアが零れるように花をつけている
「花の小道 Calleja de las Flores」写真スポットして名高いのです もちろん撮りましたですよ
細い路地の終点には小さな広場 振り向くとメスキータの尖塔が見えました
路地を曲がると若いギタリストが「アルハンブラの想い出」を奏でるのでした
 セビリアの宿は GRAN MELIA COLON

第4日目 5月1日(火曜日)

午前中は セビリアの市内観光です カテドラル アルカサール スペイン広場 マリア・ルイサ公園と廻ります
セビリアは セビーリャ Sevilla なのですなぁ
午後はBUSで いよいよグラナダへ(約245Km)
◆アルカサル REALES ALCAZARES
荘厳なイスラム風の宮殿です
◆カテドラル Catedral
「後世の人々が我々を正気の沙汰ではないと思うほど巨大な聖堂を建てよう」1401年にモスクの跡地に建設を開始 約1世紀後の
1519年に完成
内部は聖霊の降臨を表すステンドグラスが眩い
4人の王が棺を担いでいるコロンブスの墓がありました
モスクのミナレットとキリスト教の鐘楼が融合したヒラルダ(風見)の塔は高さが97m 登りましたよハイ “心の臓”が爆発寸前でした
『アルカサルで 歩かされーる』と親父ギャグを一発 家人の失笑をかいましたが
◆スペイン広場 PLAZA DE ESPANA
かってサン・テルモ宮殿の一部だったマリア・ルイサ公園内に位置する
1929年に開かれたイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られたと言う
広場を囲む柱廊がある半円形の建物の下には歴史的場面をタイルで描いたベンチが置かれて寛げる
水路に架かる橋の欄干や建物に使用されている陶器が綺麗なアクセントとなっているのです
 セビーリャのCoria del Rio と言う小さな町に約600人のハポン(日本)姓を持つスペイン人がくらしているとガイドの説明
その由来は17世紀の慶長遣欧使節にさかのぼり 1614年伊達政宗の命を受けた一行30名の日本人の子孫なのです
 グラナダでのホテルは SARAY
夜ご飯の席に ギターのトリオがやって来て LA PALOMA  BESAME MUCHO そしてRECUERDOS D LA ALHAMGRA を唄って奏でる
いやぁ~盛り上がりますねぇ アンダルシアに来ているのです
ご祝儀です CDを買い求めました

   

  

  

  

 

 


月刊誌の良さを思う

2012-05-14 09:41:13 | のんびり歩いて

雑誌の特集のタイトルにひかれて 久々に月刊雑誌を購入 ナント万年筆の附録がついているのだ まぁ高級万年筆の謳い文句は些かおおげさとは思うが購読者の増加を狙うのであろうか
ところで消えてしまった雑誌に記憶に残る雑誌がある
○ SINRA(シンラ)
新潮社のグラフィックマガジンで文字通り写真が豊富で綺麗であった
森羅万象をテーマにスタートしただけあって 内容は多岐に渡り写真も楽しみであったが読み応え十分 高級感さえありました 
2000年6月を以って休刊となる
椎名 誠の連載が待ち遠しかったものである
○ Lapita(ラピタ)
小学館の“大人としての遊びを楽しみ 人生を楽しむ”と言うコンセプトで 写真 オーディオ 鉄道模型や乗り物 フッアッションから時計まで趣味をメインとして1994年に男性ライフスタイル誌として創刊
目次の扉に 「この本は40歳以下の読者を想定していませんので 若者に意味不明な言葉があります」と言う言葉がこの雑誌の特質を表わしていたのです
「オヤジ」を楽しませてくれた雑誌でしたでしょう
日暮修一の表紙から最後まで統一されたコンセプトで編集されていました
2008年1月剛号を最終号として休刊
ラピタの語源は 人類史上初めて遠洋航海を実践し 太平洋の島々に住み着いたと思われる民族「ラピタ人」に由来 ラピタ人の起源は謎が深い

月刊誌は 毎月定期的に“心地よい刺激”を与えてくれるのが良い
雑誌は時代を反映しているのだろう そしてその時代の記憶もまた楽しい