Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

夢賛歌 雪の降る街を

2010-07-26 06:46:55 | のんびり歩いて
宴席での会話からです:
つい先頃までは『 DR.は もっともっと いつまでも活躍してください 』と言う世辞に似た檄の声が殆んどであったような気がする、ところがここのところ『 DR.は あと何年間 仕事をするのですかぁ 』と言う憐れみにも似た声がとんと多くなってきているような気がするのです いや気がするのではなく そうなのです。
答えはいつも決まって『 ウゥ~ム! 』である。
 『 それはネ! 』と言える ほぼ私と同年代の作者の本を読破したことがヒントとなり少しだけ答えが見えてきました。
それは:
 【イタリア式老楽術】(佐山 透 2010)、サブタイトルは 「 遊びに追いつく老いはない 」 である。なんと心地よい響きであろうか。“ やがて70歳のお兄さんにして 老後の達人が 生きるアクティブシニアライフ ”とある、なになに“ なにがイタリア式かって?好きなことだけをして、決して我慢はしない、イタリアかぶれなだけです ”と、そして“ 遊びをせんとて老いにけり ”と結ぶ のです。
次いで:
 【イタリア式 リタイア術】(佐山 透 2009)、サブタイトルは 「 世界は好きなことばかり 」 である。これまたなんと興味をそそる響きであろうか。“ 残りの人生、我慢するほど長くない ”うぅ~んフムフムと頷いてしまう、“ オペラに歌舞伎に モーツアルにダ・ヴィンチに 観て聴いて、走って飛んで 飲んで食べて、笑って驚いて おしゃれなイタリアライフに 世界は狭い!! ”と結ぶのです。
筆者はDR.ではありません。1940年東京生まれ、フィクション、ノンフィクション、エッセイ等を数多く執筆してはいるが作家と言うわけでもないらしい。ほぼ私と同年代であるのことから その背景を知りたくなりました。彼の人生の軌跡を知ることで 少しだけ納得出来たような気がしております。そうなのです、長年考えていた 謎 が説けるのかも と。
それを知る手掛かりとなる2部作は: 
 【ぶなの森の 葉がくれに】(佐山 透 2007)、“ 夏が来れば思い出す 60年前、日本は灼熱の太陽に灼けていた ” そうなのです あの頃はきっと私も同じ世界にいたはずなのです。そしてまた タイトルの ぶなの森の葉がくれに を引用したフレーズ ≪ 流浪の民 ≫の詩 の時代の幕開けだったのでしょうか。
そして続編の:
 【想い出だけが 通りすぎてゆく】(佐山 透 2007)、“ 激動の昭和を駆け抜けた青春 ”そうだ!まさしく青春だったのだろう、そして“ 昭和27年、昭和32年、昭和35年 あなたはなにをしていましたか なにを考え、なにを夢見て、なにを悩んでいましたか ”と問うているのです。 < 雪の降る街を 雪の降る街を 想い出だけが通りすぎてゆく … > は 忘れられない詩です。中学時代にK君と口ずさんだ秋田の雪道の景色が見えてくる。
「 昭和の旅路 」と 単純に解読してはいけないのです。
解説者が指摘している本篇の13の小見出しを並べると、憂鬱は/ただ流れゆく/まぼろしか  狂おしく/そして悲しく/生きるとき むなしくて/過ぎた日々への/ノスタルジー  寂しさに/ただ寂しさに/明日の涙を/抱きしめる
ヴェルレーヌを彷彿させる 遊び心に酔いしれて 妙に納得してしまいました。
そして 上記近作の「あとがきの代わりに」で、永遠のミンミンよ では、16年間一緒に暮らしたネコのミンミンを失い 傷心と喪心の章が胸を打つ、次作をどうしても書いてもらわなくてはなるまい。
そして 私も“ CHIBI ”のことを想う。
宴席での会話、『 イャイャァ DR. とてもとても加齢を感じさせませんよぉ お元気でぇ … ! 』などと 大お世辞をほざいて 喜ばせてくださるお方はおられまいかのぉ。

伝統のグループ “ フォークル ” は やはり懐かしいのだ

2010-07-20 13:12:37 | のんびり歩いて
今も歌い継がれる名曲の数々を残した、伝統のグループ “ フォークル ” を久々に聴いた。
1960年代、「帰って来たヨッパライ」が大ヒット関西フォークの人気バンド、≪ ザ・フォーク・クルセダーズ ≫の解散コンサートを収録した未発表の録音テープが見つかり、CD発売されたことが叔父さんたちのちょっとした話題でもあるとの報道、「京都フォーク・ディズ」ネットなどで販売されている。
そこで取りあえず「メモリアル・フォーク・クルセザーズ」のCDを求めてきたのでした。
『帰って来たヨッパライ』は、67年12月25日に発売され、日本中をパニックに陥れと言っても過言ではなく280万枚を記録。制作時のメンバーは、加藤和彦 北山修 平沼義男でプロ活動を契機に端田宣彦が参加したそうである。結成当時は、O大学医学部の学生であったことが鮮烈な記憶として残っている。
こちらはまだまだ【医学】の医の字も見えない時でしたが…。
『悲しくてやりきれない』は、『イムジン河』の発売中止から僅か1月で制作発売。加藤和彦が『イムジン河』の譜面を逆にたどっていって2時間でモチーフを作り上げ、サトー・ハチローがこれまた2時間で詞をつけたと言うエピソードがある。発売中止に対して、このことこそがフォークの“真髄”と言ってよいであろうと。
『青年は荒野をめざす』は、五木寛之の佳作である同名小説の作品化である。などなど…
 ~あぁ!、まさしく青春の暗ぁいけれども未だ怖さを知らない輝きの眼(まなこ)の年代にいたのだなぁ と思う。
どうやら懐かしさを追い求めているこの頃です ここのところ弱気になっているのか と。

耐えること やはり辛い

2010-07-05 16:07:50 | のんびり歩いて
6月15日 ちょうど私の誕生日の日に 義父はやっと手術を受けることができた。
右膝の関節内の骨折に対してはセメントを注入して固定、 右脛骨と腓骨骨折に対しては骨を直接展開して整復した後に金属のplateとscrewで内固定したと言う。乗用車に跳ねられた際の外傷時の外力があまりにも強かったために皮膚縫合が出来るか否かが危惧されていたが どうにかクリァー出来たようである。執刀医は「60歳代の骨ですねぇ」と言ってくれたが まぁ多分にご愛敬だろうに。腕の優れた臨床医と診ました。
固定されて身動きの出来ない ベット上での生活?がもう1カ月を超えている、その間のストレスは まさしく“耐えること”であろう。戦争を体験した強固な意志がなければ出来ないことだ、と大げさではなく思う。
『オ~イ 上海万博はいつまでだっけ 間に合うかのう!』、『年末には運転免許の更新じゃけん 間に合うのかのう!』、オイオイ“米寿”であることを忘れているのかい、やはり どうにかしてまた独歩まで回復してもらいたい。

7月の 私の本棚 (今月購入した書籍 CDなど)

2010-07-04 08:45:15 | ワン子の名前は、チビ
蕎麦手帳 その魅力のすべて  太野祺郎  東京書籍  10/07/02
そばもん ニッポン蕎麦行脚4  山本おさむ  小学館  10/07/05
神の手 上  久坂部 羊  NHK出版  10/05/25
神の手 下  久坂部 羊  NHK出版  10/05/25
イタリア式老楽術 遊びに追いつく老はない  佐山 透  展望社  10/06/24
イタリア式リタイア術 世界は好きなことばかり  佐山 透  展望社  09/06/29
ぶなの森の葉がくれに  佐山 透  展望社  07/08/17
想い出だけが通りすぎてゆく  佐山 透  展望社  07/12/25
タナボタ!  高嶋哲夫  幻冬舎  10/07/10
リアル・シンデレラ  姫野カオルコ  光文社  10/03/25
車窓の風景  外山滋比古  展望社  10/06/21
日本人へ 国家と歴史篇  塩野七生  文春新書  10/06/20

CDアルバム メモリアル・フォーク・クルセダーズ  東芝EMIレコード

不運は、いつも突然に

2010-07-04 08:29:47 | のんびり歩いて
それは 朝の電話のベルで始まった。
久々に遠出の散策に出掛けようと身支度を始めた頃 知人から義父が乗用車に跳ねられたので直ぐに現場まで来てほしいと言う、近所の高台の閑静な住宅団地の横断歩道に義父は横たわり救急車と事故処理の警察の車が数台周りを囲んでいる、明らかに加害者の責が問われるとのことだが、それどころではあるまいに。意識は清明だが明らかに下肢の骨折が疑われた、思わず救急隊に指示をだしてしまっていることに気ずいたが止むを得ない、久々に救急車に同乗したことが妙な気持でした。搬送先のJ総合病院の都合で、隣接する広島市内のM病院に転院となる。
“右脛腓骨骨幹部骨折”と“右脛骨外側高原骨折”の診断で、手術の適応である。圧挫が激しいのでしばらく牽引をしてからの手術だと言う。
直立不動のまま横になって殆ど身動き出来ないのは、難行苦行としか言いようがない。
義父は88歳 この1月には「米寿」の誕生日を迎えた、まだまだ元気でいてもらわなくては困る事情がある、私は当地に居住してちょうど2年になったばかりだから。