宴席での会話からです:
つい先頃までは『 DR.は もっともっと いつまでも活躍してください 』と言う世辞に似た檄の声が殆んどであったような気がする、ところがここのところ『 DR.は あと何年間 仕事をするのですかぁ 』と言う憐れみにも似た声がとんと多くなってきているような気がするのです いや気がするのではなく そうなのです。
答えはいつも決まって『 ウゥ~ム! 』である。
『 それはネ! 』と言える ほぼ私と同年代の作者の本を読破したことがヒントとなり少しだけ答えが見えてきました。
それは:
【イタリア式老楽術】(佐山 透 2010)、サブタイトルは 「 遊びに追いつく老いはない 」 である。なんと心地よい響きであろうか。“ やがて70歳のお兄さんにして 老後の達人が 生きるアクティブシニアライフ ”とある、なになに“ なにがイタリア式かって?好きなことだけをして、決して我慢はしない、イタリアかぶれなだけです ”と、そして“ 遊びをせんとて老いにけり ”と結ぶ のです。
次いで:
【イタリア式 リタイア術】(佐山 透 2009)、サブタイトルは 「 世界は好きなことばかり 」 である。これまたなんと興味をそそる響きであろうか。“ 残りの人生、我慢するほど長くない ”うぅ~んフムフムと頷いてしまう、“ オペラに歌舞伎に モーツアルにダ・ヴィンチに 観て聴いて、走って飛んで 飲んで食べて、笑って驚いて おしゃれなイタリアライフに 世界は狭い!! ”と結ぶのです。
筆者はDR.ではありません。1940年東京生まれ、フィクション、ノンフィクション、エッセイ等を数多く執筆してはいるが作家と言うわけでもないらしい。ほぼ私と同年代であるのことから その背景を知りたくなりました。彼の人生の軌跡を知ることで 少しだけ納得出来たような気がしております。そうなのです、長年考えていた 謎 が説けるのかも と。
それを知る手掛かりとなる2部作は:
【ぶなの森の 葉がくれに】(佐山 透 2007)、“ 夏が来れば思い出す 60年前、日本は灼熱の太陽に灼けていた ” そうなのです あの頃はきっと私も同じ世界にいたはずなのです。そしてまた タイトルの ぶなの森の葉がくれに を引用したフレーズ ≪ 流浪の民 ≫の詩 の時代の幕開けだったのでしょうか。
そして続編の:
【想い出だけが 通りすぎてゆく】(佐山 透 2007)、“ 激動の昭和を駆け抜けた青春 ”そうだ!まさしく青春だったのだろう、そして“ 昭和27年、昭和32年、昭和35年 あなたはなにをしていましたか なにを考え、なにを夢見て、なにを悩んでいましたか ”と問うているのです。 < 雪の降る街を 雪の降る街を 想い出だけが通りすぎてゆく … > は 忘れられない詩です。中学時代にK君と口ずさんだ秋田の雪道の景色が見えてくる。
「 昭和の旅路 」と 単純に解読してはいけないのです。
解説者が指摘している本篇の13の小見出しを並べると、憂鬱は/ただ流れゆく/まぼろしか 狂おしく/そして悲しく/生きるとき むなしくて/過ぎた日々への/ノスタルジー 寂しさに/ただ寂しさに/明日の涙を/抱きしめる
ヴェルレーヌを彷彿させる 遊び心に酔いしれて 妙に納得してしまいました。
そして 上記近作の「あとがきの代わりに」で、永遠のミンミンよ では、16年間一緒に暮らしたネコのミンミンを失い 傷心と喪心の章が胸を打つ、次作をどうしても書いてもらわなくてはなるまい。
そして 私も“ CHIBI ”のことを想う。
宴席での会話、『 イャイャァ DR. とてもとても加齢を感じさせませんよぉ お元気でぇ … ! 』などと 大お世辞をほざいて 喜ばせてくださるお方はおられまいかのぉ。
つい先頃までは『 DR.は もっともっと いつまでも活躍してください 』と言う世辞に似た檄の声が殆んどであったような気がする、ところがここのところ『 DR.は あと何年間 仕事をするのですかぁ 』と言う憐れみにも似た声がとんと多くなってきているような気がするのです いや気がするのではなく そうなのです。
答えはいつも決まって『 ウゥ~ム! 』である。
『 それはネ! 』と言える ほぼ私と同年代の作者の本を読破したことがヒントとなり少しだけ答えが見えてきました。
それは:
【イタリア式老楽術】(佐山 透 2010)、サブタイトルは 「 遊びに追いつく老いはない 」 である。なんと心地よい響きであろうか。“ やがて70歳のお兄さんにして 老後の達人が 生きるアクティブシニアライフ ”とある、なになに“ なにがイタリア式かって?好きなことだけをして、決して我慢はしない、イタリアかぶれなだけです ”と、そして“ 遊びをせんとて老いにけり ”と結ぶ のです。
次いで:
【イタリア式 リタイア術】(佐山 透 2009)、サブタイトルは 「 世界は好きなことばかり 」 である。これまたなんと興味をそそる響きであろうか。“ 残りの人生、我慢するほど長くない ”うぅ~んフムフムと頷いてしまう、“ オペラに歌舞伎に モーツアルにダ・ヴィンチに 観て聴いて、走って飛んで 飲んで食べて、笑って驚いて おしゃれなイタリアライフに 世界は狭い!! ”と結ぶのです。
筆者はDR.ではありません。1940年東京生まれ、フィクション、ノンフィクション、エッセイ等を数多く執筆してはいるが作家と言うわけでもないらしい。ほぼ私と同年代であるのことから その背景を知りたくなりました。彼の人生の軌跡を知ることで 少しだけ納得出来たような気がしております。そうなのです、長年考えていた 謎 が説けるのかも と。
それを知る手掛かりとなる2部作は:
【ぶなの森の 葉がくれに】(佐山 透 2007)、“ 夏が来れば思い出す 60年前、日本は灼熱の太陽に灼けていた ” そうなのです あの頃はきっと私も同じ世界にいたはずなのです。そしてまた タイトルの ぶなの森の葉がくれに を引用したフレーズ ≪ 流浪の民 ≫の詩 の時代の幕開けだったのでしょうか。
そして続編の:
【想い出だけが 通りすぎてゆく】(佐山 透 2007)、“ 激動の昭和を駆け抜けた青春 ”そうだ!まさしく青春だったのだろう、そして“ 昭和27年、昭和32年、昭和35年 あなたはなにをしていましたか なにを考え、なにを夢見て、なにを悩んでいましたか ”と問うているのです。 < 雪の降る街を 雪の降る街を 想い出だけが通りすぎてゆく … > は 忘れられない詩です。中学時代にK君と口ずさんだ秋田の雪道の景色が見えてくる。
「 昭和の旅路 」と 単純に解読してはいけないのです。
解説者が指摘している本篇の13の小見出しを並べると、憂鬱は/ただ流れゆく/まぼろしか 狂おしく/そして悲しく/生きるとき むなしくて/過ぎた日々への/ノスタルジー 寂しさに/ただ寂しさに/明日の涙を/抱きしめる
ヴェルレーヌを彷彿させる 遊び心に酔いしれて 妙に納得してしまいました。
そして 上記近作の「あとがきの代わりに」で、永遠のミンミンよ では、16年間一緒に暮らしたネコのミンミンを失い 傷心と喪心の章が胸を打つ、次作をどうしても書いてもらわなくてはなるまい。
そして 私も“ CHIBI ”のことを想う。
宴席での会話、『 イャイャァ DR. とてもとても加齢を感じさせませんよぉ お元気でぇ … ! 』などと 大お世辞をほざいて 喜ばせてくださるお方はおられまいかのぉ。