Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

追憶のTAHILANADは  その後に

2013-01-28 13:09:31 | ゆるゆる旅日記

追憶のTHAILAND は  その後に

タイはこの時期 乾季であると言う
それでも少し郊外に出ると原色に近い花々が色鮮やかである ここは南国なのです
ブーゲンビリアが多いのかしら

タイ航空の尾翼には蘭の花がシンボルであることは今も変わっていない
ところでタイの花は  いわゆる国花は蘭( オーキッド )かと思いきや そうではないのです
タイの国花は
タイ語で  ドーク・チャプルック
英名は  ゴールデンシャワー
和名は  ナンバンサカイチ( マメ 科) である

満開の黄色い花が房のように垂れ下がっている
周囲に落ちた花びらが一面を黄色に染めるそうな
黄金の滝のような姿から ゴールデンシャワーと称されているのです
黄色は国王が誕生した月曜日を象徴する色で宗教にもまた関連が深いのだそうな
王室を大事にしているのです

以前 と言うよりも35年程前にTHAILAND の BANNGKOKを訪れた時の街の印象のひとつに 市街はオートバイが多くまるで群れを為しているよう その騒音と排気ガスがすごいものでした
そして信号待ちをしている自動車には花売りの子どもたちが押し寄せててくるのです
その花はまるで「 花の数珠 」のようでした
今は 物売りは市中では見かけませんでしたが 「 花の数珠 」は至るところで見られます
プアン・マーライと言う花飾りなのだそうです
花数珠というか花輪のような感じでしょうか
寺院や精霊を祀る祠には たくさんのプアン・マーライが供えられております
車の運転席にぶらさげているのも眼にしました
それにしてもアユタヤの祠には たくさんのプアン・マーライと「 どらえもん 」の人形が供えられておりましたが仔細は分からず仕舞いでした

人生易老天難老 の筈なのですがTHAILANDは追憶の街なのでした

なんどか海外への旅をして その「 記録方法 」として写真をたくさん撮ってくるのです
それでも振り返ってみると 記憶がすっかり抜けていることが多いことが驚きです
忘れないように しっかり焼き付けた筈なのに 「 忘れる 」ことは恐ろしいことなのです
そのときどきに おもいっきり感動して  おもいっきり楽しまないと ~

          

        黄金の滝のように                  果実は長~いのです                  祠には どらえもん


真夜中の訪問者は

2013-01-20 06:17:57 | のんびり歩いて

そいつは突然 真夜中にやって来た
しかも明日からは3連休だと云うのに

突然の嘔気に襲われ目覚めて 激しい嘔吐が数回続く
そして続いて 数回の下痢が続く
明け方まで 激しい消化器症状に悩まされ
身体中の水分が完全に排出されてしまったのだろう
明け方にはすっかり干乾びた『 スルメイカ 』状態になってしまった( ような気がする )

消化器症状はほぼ落ち着いたものの胃腸の不快感が残る
やられた!ナ と思ったのは 勤務先でノロウイルスNorovirusによる急性胃腸炎が勃発していたからである
臨床的にはまさしくその通りなのだが
その後は 発熱で如何ともし難い
絶食と安静です
しかし飲まず食わずというわけにもいかず 恐る恐る少量の“うどん” “そば” “うどん” “そば” “うどん” “そば” のサイクルメニューを摂る
まぁ 麺類は好物ですから~
微熱は3日間続いて ほぼ回復の兆しが
3連休は《 寝たきり 》状態で終わりです

そう言えば 明日からは3連休なのだぞぉ~!と前夜の過食過飲があったのかも
はたまたノロウイルスとインフルエンザウイルスの同時感染かとも
ノロウイルスの歴史は 1968年 アメリカ合衆国オハイオ州ノーウォークの小学校に於いて集団発生した急性胃腸炎患者の糞便から検出され 「 ノーウォークウイルスNorwalk virus 」と命名されたものである
いやぃゃ~この怠さは日頃酷使している《 肝の臓 》がいよいよ反乱を起こしたのか
急性胃腸炎は その原因も不明なことが少なくない
正直なところ劣化 後退 衰退を感じました
なにはともあれ今日も通勤電車に乗り遅れないように

      

          Norovirus                                     Influenza virus

 


追憶のTHAILANDは   そのⅢ

2013-01-13 11:26:11 | ゆるゆる旅日記

追憶の THAILAND は そのⅢ

旅程の最後の日は 寺院巡り WAtのなかでも著名な3大寺院です
ワットとは寺院のことです

※ ワット・ポー Wat Pho
家人が思わず“パチパチ”と拍手をしてしまった大きさです
悠然と横たわっている巨大な寝釈迦仏 全長が46m 高さが15m と言う巨大さなのです
その姿で涅槃に達し悟りを開いた釈迦を表現しているのだそうです
長さ5m 幅1.5m もある巨大な偏平の足の裏には バラモン教の宇宙観が108面の螺鈿細工画によって表現されているらしいのだが難解でしたなぁ
※ 王 宮 Grand Palace
ここは文字通りに歴代王の住まい
いまの王宮は1782年に建設された 
国王の宮殿 即位式の建物 王室守護寺院のエメラルド仏寺院 などの他 宮内庁や官庁などの建物が四方を1,900mの壁に囲まれた面積218,000㎡の敷地内に建てられているのです
1782年ラーマ一世は即位後 チャオプラー川の西側にあるトンブリーは王都として相応しくないと考え 対岸東側のBANGKOKへと遷都したと言う
国家行事や王室行事がある場合は 一般参観は中止される
お正月のせいか 人 ひと ヒトが行列でした
※ ワット・プラケオ Wat Phra Kaeo
タイでもっとも格式の高い寺院でしょう
巨大な本堂に祀られているのは ありがたいエメラルド仏です
この本尊はタイのみならず 隣国ラオスに於いても重要視されているのです
この仏像は16世紀の中頃から18世紀後半までの約200年間 ラオスの首都ヴィエンチャンにあるワット・プラオケの本尊とされていたのだ つまり1778年に当時のトンブリー朝王タクシンと後にラーマ1世となるチャクリー将軍率いる軍勢がラオス侵攻の際の戦利品として持ち帰り なんと!タイがそのまま国家の本尊として持ち続けているのだと言う
国家の守り本尊であるこのエメラルド仏を拝めば金運に恵まれ成功が約束されるのだ
ジパングから来ましたが願いが届きましたでしょうか
エメラルド寺院という外国人旅行者向けの通称はこの仏像の色にちなんでいるのだが 実際はヒスイでできているのです
※ ワット・アルン Wat Arun
ここのシンボルはチャオプラヤー川沿いにそびえ建つ大仏塔
タクシン王が建立したタクシン王朝の守護寺院なのです
仏塔の表面に無数に埋め込まれた陶片が強い日差しを受けてキラキラと輝いている
「 暁の寺院 」と称されている所以である
飾り付けられた無数の石像は インドラ神とその乗り物である3つの頭を持つエラワン象を筆頭に ガルーダ 悪魔 猿などである
仏塔の階段は急角度であり テラスからの雄大であろう眺望は断念! 老人なのです!
そう言えば 三島由紀夫の小説「 暁の寺 」の舞台でしたな 読んだっけかなぁ

ホテルに戻り充分過ぎる休息の時間をとって空港へ 
免税店でバーツを遣い果たしましょう
日付けが変わって深夜1:00 タイ航空TG8074 は福岡空港経由で復路は約6時間で広島空港へ 外気温は35℃から5℃の落差です
1977年 November 20-25  SEVENTH ASIAN CONGRESS OF OBSTETRICS AND GYNAECOLOGY  で IMMUNOREACTIVE SECRETIN IN PREGNANCY の演題で緊張のまま発表したこと BANGKOKU の蒸し暑さに閉口したこと 街中を知るバイクの群れと騒音 街角でランの花飾りを売る裸足の子どもたち 挨拶に手を合わせる笑顔の人達 それらは追憶となっているのだ

    

   


追憶のTHAILANDは   そのⅡ

2013-01-12 16:41:32 | ゆるゆる旅日記

早い時間からバスでアユタヤへ
BANGKOKU の北に約80kmに位置する遺跡の町 アユタヤー Ayutthaya は 1350年から417年にわたり5つの王朝 35人の王が君臨したと言うタイの古都です
そしてユネスコの世界文化遺産にも登録された遺跡の町 観光客が大勢でした

※アユタヤー王宮跡
1767年のビルマの侵略のため徹底的に破壊されて 廃墟が残るのみ
それでもアユタヤー中期(15世紀)に建てられた3基のセイロン様式の塔に3人の王の遺骨が納められている この3基の塔が一直線に並んでいるのが美しい
※ワット・プラ・マハタート
ここには多くの仏塔があったと言われているのだが やはりビルマ軍によって破壊された
頭部だけ切り取られた仏像 苔むしたレンガ積みの仏塔が並んでいる
アユタヤーのイメージの象徴ともなっている木の根に取り込まれてしまっている仏頭は大切に祀られているようです
あまりにも小さいのでがっかりしたような驚いたような 家人と写真を撮ってもらいました
遺跡群は カンボジア・アンコールワットのそれと比べると規模は小さいが 小さいだけに神々しいのかも
※バーン・パイン宮殿
アユタヤーから南に50km 広い庭園の中にさまざまな建物が点在している
約400年にわたって栄華を極めた世界各地の建築様式を取り入れた離宮です
小川にはワニが泳いで 芝生の向こうには大きなトカゲがノソノソと
マンゴーの樹には青い実がなっておりました 
菩提樹の大木が南国らしいですよぉ
ゆったりとした南の国の時間が過ぎてゆく~
名も知らぬ鳥のさえずり 突然ホーホケキョ! コケコッコー! と
日本語ガイドの声帯模写 上手なのですが宮殿の庭園に鶏は居ないだろうに

   

    


追憶のTHAILANDOは   そのⅠ

2013-01-08 22:18:29 | ゆるゆる旅日記

1977年 ですから もう35年も前になります
SEVENTH ASIAN CONGRESS OF OBSTETRICS AND GYNAECOLOY に参加するために THAILAND を訪れ感動の嵐であったことが その後の人生の原点でもあったことは間違いがないのです
初めての国際学会での発表と言うことで 家人が息子を抱いて“羽田”まで見送りに来てくれたことをも思いだします
当時は羽田空港 ~ ドン・ムアン空港でした

年末年始の休暇はTHAI へ行ってみよう!と思ったのは追憶でもあり憧れに近いものがありましたでしょうか 広島空港からの直行便のチャーター便があったことも決め手になりました
タイ航空TG8073で往路は約7時間でスワンナプーム国際空港(バンコク国際空港)へ
24時間のハブ空港で やたらに広いのですが かってカンボジアへ乗り継ぎをした際に右往左往したので今回はあまり迷わずに BANGKOKU の地を踏めたような気がする

翌日はバンコクの南西約30kmのレジャーランド  ローズ・ガーデン Rose Garden へ
この時期はバラが咲き乱れているはずなのに やや殺風景でした
タイビレッジ カルチャーショーが呼び物らしい
タイの歴史や文化を 音楽と踊りで表現していて 観ていても飽きなかった
最後は観客をも交えてのランウオンダンス(いわゆるタイの盆踊り)どうやらボンダンスの原点はこの地域なのだろう
伴奏するタイ音楽の楽器は マリンバのような独特の音色が楽しい ラナート・エーク ラナート・トゥム と称するものだろうか
開演の演奏が 「 守るも攻めるも黒鉄(くろがね)の 浮かべる城ぞ頼みなる 浮かべるその城日の本の 皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし 真鉄(まがね)のその艦(ふね)日の本に 仇なす国を攻めよかし … 」の「 軍艦行進曲 」である 
驚きましたねぇ
まぁ 確かに日本を代表する行進曲であり 名曲として世界の国々の軍楽隊から評価を得ているとは言え
そしてまたフィナーレは世界のディズニーランドのアトラクションである イッツ・ア・スモールワールドIt’s a Small World なのでした
なんだかなぁ~