Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

2017 12月の 私の本棚(12月に購入した書籍・CD・DVDなど)

2017-12-24 09:00:28 | 私の本棚

2017  12月の 私の本棚(12月に購入した書籍・CD・DVDなど)

TOKYO海月通信  中野翠  毎日新聞出版  2017/12/15
ざんねんないきもの事典  今泉忠明  高橋書店  2017/10/20
カネと共に去りぬ  久坂部羊  新潮社  2017/11/20
覆面作家  大沢在昌  講談社  2017/10/17
京都ぎらい 官能篇  井上章一  朝日新書  2017/12/30
ウソだらけの健康常識  奥村康  WAC  2017/11/25
捨ててこそ空也  梓澤要  新潮文庫  2017/12/01
赤狩り 1  山本おさむ  小学館  2017/12/05


❝忘却とは忘れ去ること❞かな

2017-12-21 15:37:21 | のんびり歩いて

“ 忘却とは忘れ去ること ”

「忘却とは 忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
1952年-1954年にNHKラジオ連続放送劇『君の名は』(原作 菊田一夫)で放送されたラジオドラマの番組の冒頭で来宮良子のナレーションで一世を風靡したものでした
映画化もされ 氏家真知子は岸恵子 後宮春樹は佐田啓二 石川綾は淡島千景 後宮悠起枝は月丘夢路が演じました

必要に迫られて家の床の板張り つまり木製フローリングの工事をした
この際 生活環境が乱雑過ぎた私の居住環境も整理整頓をしなくてはならないのだ
要らないものを処分するようにとの厳命(!)で もう読み返すことはないだろうと思う書籍の処分から始める まぁこれが処分の対象の大部分であった
そしてもう二度と手を通さないであろうと思われる衣類が多い これも処分の対象の大部分ですな
捨てきれずに最後まで手付かずで残ったのが“アルバム”なのでした
昔のアルバムは結構頑丈に出来ていて重く分厚いのが特徴です
昔のアルバムを覗くとついつい時間が経ってしまいます
我が写真を見ると現在の状況から余りにもかけ離れていて我ながら当惑してしまいます
結局は大きな段ボール3個にそのまま詰め込んで収納することになってしまいましたが

デジタル化は写真をそのままパソコンに閉まっておくことができるので収納スペースの心配は要らないのだろう
デジタルカメラだとフィルム代がかからないから 撮った写真の枚数は従来の何倍にもなる
知友のH氏は撮った映像をすべてPCに保存して 折に触れて想い出に浸るのだと言う
このことは氏が機器に習熟していることと氏の几帳面さを物語るものであり その域に達したいと常々思うのですが
私の場合は どうしても“紙文化”から抜け切れずPCと印画紙にプリントアウトして保存してあるのだ 所詮アナログ人間なのですなぁ
本棚にあるアルバムが何気なく手を伸ばして開いて見たりすることがあるが パソコンに閉まってある大量の写真データから探すためには幾つもの手順が必要であり気軽に手を伸ばすと言う訳にはいかないのですなぁ
愉しかったあの時々 心和むあの笑顔はいつでも見たいものです
機械の中の写真は アルバムの中のものに比べて遥かに遠い存在になってしまうような気がするのだが 見えなくなれば忘れられてしまうのでしょうか
PCで懐かしく見ることが出来るのはH氏のように所謂マメな人だからできることなのだろう

時間の経過とともに忘却によって美化されてきているのでしょうか

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころまて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや
有名なこの詩は 室生犀星の「小景異情」の一節です
忘却の彼方にあるものは みなおしなべて哀切で美しいのでしょう
忘却と記憶が過去を構築しているのだろう

分厚いアルバムを開いていると時が流れていくのは あっと言う間なのだなぁ
時が過ぎて 老いだけが残るのだろうか
とくに幼い頃のセピア色の想い出と言うものは甘くて酸っぱく そしてまたどことなく儚いものだと思う
君には そんな想い出はあるか
いつの日か きっと思いだすのだろうな

時として頭が停電しているような気がするが
脳細胞が流れ落ちて ひとつ忘却しても ふたつ新しいことを覚えてみたい
いつの日か輝きを手にしてみよう

酉年が暮れて行く
ところで君は年末のあと片づけは出来たかな


艶やかな秋色に染まる時間を ~ その2

2017-12-10 06:45:15 | ゆるゆる旅日記

“ 艶やかな秋色に染まる時間を ~ そのⅡ ”

きょうは 京都定期観光BUSの一日観光です
【 ST 秋の特別公開文化財めぐり
~ 初公開!西陣「法土寺」と八幡・京田辺の古寺をたずねる ~ 】のコースを
選びました
連休のせいなのでしょう座席は満員の盛況です
報土寺 ― 知恩院三門 ― 昼食 花水庵 ― 正法寺 ― 酬恩庵(一休寺)と巡ります

■ 報土寺
上京区仁和寺街道六軒町西入四番町160
報土寺(ほうどじ)は浄土宗知恩院派に属する寺院である
貞観元年(859年)行教が真言宗の寺として創建したものと伝えられているが 以後 浄土宗の念仏道場として栄えた
表門と共に重要文化財に指定されている本堂は 桁行七間梁行六間 入母屋造の本瓦葺の建物である
報土寺と言えば 水上勉の小説「五番町夕霧楼」です 
1950年の金閣炎上を題材に 京都西陣の遊郭街の五番町で働く女性と幼馴染の僧侶の悲恋を描いた物語は佐久間良子主演で映画化された不朽の名作でしょうか 
映画を観た記憶があります
報土寺は その旧遊郭街の一角にあり亡くなった遊女の投げ込み寺といわれた時期があった
本堂の前には遊女観音がありました
また「腹帯地蔵」もあり女性を見守り続けておりますな
本尊の木像の阿弥陀如来立像(国重要文化財)は近江の八幡宮に祀られていたものと伝えられている 報土寺に伝わる縁起の絵巻物によると当時の住職の夢に阿弥陀如来が現れ東から手招きをされ住職がその招きに従って東へ進んで行くと近江八幡に達したところで地面が輝きそこから一体の阿弥陀如来像が現れた 阿弥陀如来像が報土寺に行かれることを望んだため住職はその阿弥陀如来像を報土寺に招いて現在に至っていると言う
京都国立博物館に寄託されているところ初めて里帰りをして公開されておりました

■ 知恩院 三門
  京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400
 知恩院(ちおんいん)は 京都市東山区に在る浄土宗総本山に寺院
山号は華頂山 華頂山智恩教院大谷寺
本尊は法然上人像(本堂)及び阿弥陀如来(阿弥陀堂) 開基は法然です

浄土宗の宗祖である法然が後半生を過ごし没したゆかりの地に建てられた寺院で 現在のような大規模な伽藍が建立されたのは江戸時代以降である
徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め 今でも京都の人々からは親しみをこめて“ちよいんさん”或いは“ちおいんさん”と呼ばれているそうな

法然上人が開宗した浄土宗の総本山
7万3千坪と言う広大な寺領を有し徳川家康の生みの親「伝通院」を弔う徳川家ゆかりの寺院です
知恩院は度々の火災で伽藍を失っており現在の伽藍の多くは徳川家康 秀忠 家光の代に整えられたものだそうです
そしてこの知恩院の入り口に“どぉ~ん”と建っているのが三門です
元和7年(1621年)に徳川秀忠によって建てられた国宝の三門 京都古文化保存協会による非公開文化財特別公開が行われておりました
高さが24m 幅50mの大きさで近くで見上げると首が痛くなる程
中央には「華頂山」の額が掲げられております
ところで 知恩院の門は「山門」ではなく「三門」です 3つの扉の門になっているのです
これは仏教用語の「三解脱門」からきているのだとか
涅槃(悟りの境地)に入るために通らなければならない門と言うことなのです
・空 門:とらえどころのないものに捕らわれない心
・無想門:姿や形に捕らわれない心
・無願門:執着に捕らわれない心
と言うことなのですが果たして3つの扉を通れたのでしょうか

知恩院の三門は2階建て構造です
桜門の横に入り口があります
門を上がる階段は 急勾配の階段と言うよりも殆ど垂直な梯子段のようで手すりにはロープが張られており捕まりながら登るのでかなりシンドイのです 
ワシは腰が痛いのですがねぇ…
2階の内部は広い真っ暗な仏堂になっております
中央には宝冠釈迦牟尼像が安置され脇侍に善財童子と須達長者並び脇段には十六羅漢像が埋め尽くしております
天井には極楽の様子が極彩色で描かれており狩野派によるものだと言われております
天井中央には大きな龍が描かれております
虹梁を挟んだところには天女や飛龍が そして上半身が仙人で下半身が鳥の姿をしている迦陵頻伽も描かれております
迦陵頻伽は極楽浄土に住んでいて美しい声で法を説き生前にこの姿を見ると極楽浄土に行けると言われているそうな
大虹梁には神仙思想に於ける伝説の生き物“麒 麟”が描かれていてキリンビールのラベルのモデルになった“麒 麟”がおりました

悟りの境地を表している仏の世界が三門の上に広がっておりました
さてさて三解脱の門をくぐり悟りの境地を知ることができましたかな

堂内は外部の光が入らないから彩色が綺麗に残されているのでしょうか
勿論写真撮影も禁止でしたがね
仏堂を出ると三門の二階から京都市内を眺望できました
背後の華頂山が色づく紅葉には未だ早いのが残念ではありましたが
以前にも 特別公開でこの三門を訪れたのですが今回もまた歴史の重さを感じました

お昼は
◎ 花水庵
 知恩院の駐車場からすぐの知恩院和順会館の花水庵で特別和順弁当

■ 正法寺
 京都府八幡市八幡八幡清水井73
 正法寺(しょうぼうじ)は浄土宗の寺院 山号は徳迎山 本尊は阿弥陀三尊
源頼朝の御家人で石清水八幡宮の社家志水氏の祖となった高田忠国が開基となり建長2年(1191年)に創建した寺と伝えられている
後奈良天皇の祈願所となる
また徳川家康の側室お亀の方は志水氏の出身であることから江戸幕府から朱印状を得た
重要文化財には 本堂 大方丈 唐門 絹本著色如来像 絹本著色石清水曼陀羅図 木像阿弥陀如来坐像 木像元三大師像

■ 酬恩庵
京都府京田辺市薪字里ノ内102
酬恩庵(しゅうおんあん)は臨済宗大徳寺派の寺院である 本尊は釈迦如来坐像
一休寺(いっきゅうじ)或いは薪(たきぎ)の一休寺とも称されている
枯山水の石庭や一休宗純の木像のほか納豆の一種である「一休寺納豆」でも知られている
正応年間(1288-1293年)に南浦紹明が開いた妙勝寺が前身とされる 
兵火にあって衰退していたのを康正2年(1456年)に一休宗純が草庵を結んで中興し宋祖の遺風を慕い師恩に報いると言う意味で名前を酬恩庵と号したのですな
一休は文明13年(1481年) マラリアにより88歳で亡くなるまでをここで過ごし臨終の際には『死にとうない!』と述べたそうな
重要文化財には 本堂 方丈及び玄関 庫裏
浴室(重要文化財)も公開されている 本尊は跋陀婆羅である 跋陀婆羅尊者は入浴時に開悟したのだそうな 内部は蒸し風呂となっております
浴室は東司 禅堂 食道の三黙堂のひとつとして静粛さを大切にする厳粛な修業の場なのです 
ワシのように湯舟にどっぷりと浸かり鼻歌混じりの入浴からは想像もつきません
 “ 一休さん ”と言えば 気の利いた頓智が魅力の〝 小僧さん 〟というイメージですが実在した一休宗純には多くの逸話が伝わっておりますなぁ
・印可の証明書や由来のある文書を火中に投じた
・男色はもとより仏教の菩薩戒で禁じられていた飲酒 肉食 女犯を行い
・木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど
・親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室にあがりこみ蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝 帰宅した蓮如は「俺の商売道具になにをする」と言って二人で大笑い
・正月に杖の頭に髑髏をしつらえ『ご用心 ご用心!』と叫びながら練り歩いた など
…… このような戒律や形式に囚われない人間臭い生き方は民衆の共感を呼んだそうな
江戸時代には一休をモデルとした「一休噺」に代表される頓知噺を生み出すのです
現代でもアニメの一休さんで知られておりますな
…… 一休宗純が遺した言葉では
・門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし
・釈迦といういたづらものが世にいでて おおくの人をまよわすかな
・秋風一夜百千年
・花は桜木 人は武士 柱は桧 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの
・南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃというが愚かじゃ

大徳寺の住職にも就いた高僧一休宗純は 酒を好み 正月には髑髏を掲げて町を歩くなど僧らしからぬ行動によって破戒僧と言われたこともあったが市井の人々からは慕われたそうな
一休宗純は超破天荒な人物であったことは間違いないのだが 智恵の富んだ人物であったろう 一休の頓智噺は現世でも生きているのだ

このあたりまで来ると紅葉前線が大分南下してきており やっと探していた秋色の京都を感じることができました

歴史の真実と言うものは その場所に足を踏み入れてこそ真実の気配を察知することができるのでしょう
それにしても腰が痛い!歩き過ぎたかな

 

 

 


艶やかなる秋色に染まる時間を ~ その1

2017-12-10 06:35:59 | ゆるゆる旅日記

“ 艶やかなる秋色に染まる時間を ~ そのⅠ ”

東京での七五三のお祝いの感激に浸りながら夜遅くJR京都駅で下車
家人は新幹線でそのまま広島へ帰ります
今夜の宿は 昨年と同じ河原町通りの
ホテルビスタプレミオ京都
    京都市中京区河原町通六角西入ル松ヶ枝町457
    ℡075-256-5888
明日は大阪での学会に出席するので早々と就寝しましょう

【 第32回日本女性医学学会 】
  リーガロイヤルHOTEL / 大阪国際会議場

京都へ引き返してH氏と合流します 初夏の北海道以来です
折角大阪まで来たのですから 秋の京都を覗いてみましょう と盟友H氏とともに散策してきました
きょうは 近隣の神社仏閣を散策しましょう

まずは遅い お昼を頂きましょう
◎ 懐石 瓢 樹(かいせき ひょうき)
  京都府京都市中京区六角通新町西入西六角町101
  ℡ 075-211-5551
 大正時代に南禅寺の「瓢亭」より暖簾分けをされた「瓢樹」だそうな
建物は 明治期に日本画界で活躍した今尾景年のかっての邸宅だとか
洛中の町屋の風情を感じさせる料理屋で日常の喧噪を忘れてしまいそう
ここはH氏の文字通りのお膳立てで“花御膳”をいただきました

■ 本法寺
  京都府京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町617
 本法寺(ほんぽうじ)は日蓮宗の本山(由緒寺院)
頭塔は尊陽院 教行院 教蔵院があるそうです
1436年(永享8年)日親が本阿弥清信の帰依を得て創建
庭園は 巴の庭  十(つなし)の庭があります
重要文化財には長谷川等伯関係の資料が多い 紙本著色仏涅槃図ほか
佛涅槃図は京都三大涅槃図のひとつに数えられ その大きさは縦約10m 横約6mにおよぶ
作者は安土桃山時代から江戸初期を代表する絵師長谷川等伯で 自身の家族に心を寄せた供養を目的に61歳のときにこの絵を描き本法寺に奉献したものだそうです
 本阿弥光悦の庭園巴の庭をゆるりと鑑賞です

■ 妙覚寺
 京都府京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135
妙覚寺(みょうかくじ)は 日蓮宗の本山(由緒寺院)
頭塔は善明院 實成院 玉泉院があるそうです
妙覚寺は1378年(永和4年)に日実によって創建されたが離脱 小野妙覚の外護により建立した
1582年(天正10年)の本能寺の変の際 織田信長の嫡男織田信忠は妙覚寺を宿舎としていた 明智光秀の謀反を知った信忠は寺を出て明智勢を討つべく二条御所へ向かうが果たせずに自害した
重要文化財には盂蘭盆御書 日蓮筆 があります
  きょう巡った寺院は混雑する紅葉の季節の穴場です!とH氏の弁のです
そのせいか2か所のお寺は静かでした

■ 晴明神社
晴明神社は 平安時代中期の天文学者である安倍晴明公を祀る神社
平成に入り 漫画化や映画化もされた夢枕獏の小説のヒットで主人公である安倍晴明のブームが起こり広く参拝者が訪れるようです
若者がいっぱいでした

宵の宴までは少し時間があるのでいまどき話題の“町屋カフェ”で休憩です
若者に混じってオジサン二人組がスイーツを味わいましたな
まぁ場所違いではありましたが甘いパンケーキは美味しかったですよ 疲れているのかも

◎ 大文字町の「紫雲仙」で宵の宴です
 蕎麦屋なのですが酒肴もまずまずでした お酒は黒龍を少々
ほろ酔いながらも久々のH氏との宴は いつもながら愉しい時間でした
 十割そばの“鴨汁つけそば”は新蕎麦だそうですがなかなかの味を楽しみました

少しばかり夢見心地で
今夜の宿は昨日と同じ ホテルビスタプレミオ京都 です