Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

Dr.KAZUの雑記帳から 4月16日きょうはなんの日

2015-04-23 15:15:24 | きょうはなんの日

Dr.KAZUの雑記帳から 4月16日きょうはなんの日

    1877年 札幌農学校(現在の北海道大学農学部)の基礎を築いた教頭クラーク
博士が Boys be ambitious「少年よ 大志を抱け」という有名な言葉を残して
北海道を去った

ウイリアム・スミス・クラークWilliam Smith Clark(1826年7月31日~1886年3月9日)は アメリカ合衆国の教育者 札幌農学校の初代教頭であり いわゆるお雇い外国人のひとりである 専門の植物学だけではなく自然科学一般を英語で教えた 学生たちに聖書を配りキリスト教についても講じた
8ヶ月の札幌滞在の後 翌年の1877年には離日したのである

馬にまたがったクラークさんは生徒に向かってあの言葉を言うのです
「Boys be ambitious」ボーズビーアンビシャス!
しかし クラークさんが生徒に向かって訴えた言葉はこれだけではなかったのでした!
Boys be ambitious!
Be ambitious not for money or selfish aggrandizement
not for that evanescent thing which men cell fame
Be ambitious for the attainment of all that a men ought to be
「少年よ 大志を抱け
ただし 金を求める大志であってはならない
利己的なものを望む大志であってはならない
名声という浮わついたものを求める大志ではあってはならない
人が人として備えなければならぬ あらゆることを成し遂げるために………」

幾度か札幌を訪れる機会があったのですが 決まって立ち寄るのが「羊が丘」でしょう
そしてクラーク博士の像と並ぶ歌碑《恋の街札幌》(浜口庫之助作詞作曲 石原裕次郎唄)の前で決まって写真を撮るのです 多分これからも~
ところで札幌では自動販売機にはサッポロビールしかないのかも知れません

    

    


2015 4月の私の本棚

2015-04-19 15:52:06 | 私の本棚

2015  4月の 私の本棚

人間ドックの9割は間違い    牧田善二        幻冬舎新書  2015/03/20
日本の敵            櫻井よしこ       新潮社    2015/03/30
日本の「運命」について語ろう   浅田次郎    幻冬舎    2015/01/20
なぜ、マーガリンは体に悪いのか?  山田豊文  廣済堂出版  2015/04/04
本当は怖い!日本むかし話   深層心理研究会   竹書房      2015/03/05
タタシとこどもの14章     いがらしみきお   朝日新聞出版 2015/03/30
新戦争論 ゴーマニズム宣言  小林よしのり    幻冬舎    2015/01/30      
女だけどHな本屋さんで
店長してました   わたなべぽん    KADOKAWA  2015/03/27
保守も知らない靖国神社    小林よしのり  KKベストセラーズ2014/07/20
そばもん ニッポン蕎麦行脚17 山本おさむ     小学館      2015/04/04
生き惑う人へ         矢作直樹    河出書房新社   2015/03/30


Dr.KAZUの雑記帳から 4月2日きょうはなんの日

2015-04-09 14:46:40 | きょうはなんの日

Dr.KAZUの雑記帳から 4月2日きょうはなんの日

    1904年 イギリスの文学者ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がアメリカで
    『怪談(Kwaidan)』を刊行

小泉八雲(1850年6月27日~1904年明治37年9月26日)は ギリシャ出身の新聞記者・小説家そして日本研究家として知られる そのため西洋と東洋の両方に生きたとも言われております
ファミリーネームは来日当初「ヘルン」と呼ばれていたのですが これは松江の島根県立中学校への赴任を命じる辞令にHearnを「ヘルン」と表記したことで定着したようです
ただ 妻の節子には「ハーン」と読むことを教えたそうである 1896年に日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗ります 「八雲」は 一時期島根県の松江市に在住していたことから その旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」に因むとされております
  コミック《 そばもん ニッポン蕎麦行脚 17 》山本おさむ(小学館 2015)の第144~148話の出雲そばルネサンスの章に 出雲そばをテーマに小泉八雲が日本文化に心酔し 日本の古典を広めたことを描いている

そして幾度も聞いた“ 耳なし芳一 ” のお話です
阿弥陀寺に芳一という盲目の琵琶法師が住んでいたそうな 芳一は平家物語の弾き語りが得意で とくに壇の浦の段は「鬼神も涙を流す」と言われる程の名手だったそうな
ある夜の和尚の留守の時 ひとりの武士が現れ 芳一はその武士に請われて「高貴なお方」の屋敷に琵琶を弾きにいくのである 盲目の芳一にはよくわかりませんでしたが そこには多くの貴人が集まっているようであった そこで壇の浦戦いのくだりを所望され 皆が熱心に聞き入り芳一の芸の巧みさを誉めそやすのであった 語りが佳境になるにしたがって皆声をあげてすすり泣き激しく感動している様子で 芳一は夜毎出掛けるようになったのです
気付いた和尚が不審に思い確かめると 芳一は独り平家一門の墓地の中に居り 平家が崇拝していた安徳天皇の墓前で無数の鬼火に囲まれて琵琶を弾き語っていたのである
このままでは芳一が平家の怨霊にに殺されてしまうであろうと和尚は案じた
その夜 芳一がひとりで坐っていると いつものように武士(平家の怨霊)が芳一を迎えにきた しかし経文の書かれた芳一の体は怨霊である武士には見えない 「声も聞こえない 姿も見えない さて芳一はどこへいったのか…」 そして怨霊には耳のみが見え「芳一が居ないならば仕方がない 証拠に耳だけでも持って帰ろう」と 耳をもぎ取って去っていったのである
朝になって血だらけになって意識のない芳一が発見されたが 般若心経を写経した寺の小僧が耳だけを書き漏らしたのであった 和尚は芳一に謝ったそうです
芳一は手厚く治療介護され「耳なし芳一」と呼ばれるようになり琵琶の腕前も評判になったことから後年なに不自由なく暮らすことができたそうな
結果的には芳一に降りかかった禍は彼の名声を高めることに寄与したのです

下関・赤間神宮にある平家一門の墓の傍には 芳一堂があります

     


初宮詣の日に

2015-04-05 14:33:47 | のんびり歩いて

初宮詣

昨年末に初孫が誕生 まことに芽出度く これで本格的な“爺(じじい)”になったことと 孫が学校へ上がるまでは健康寿命を維持しなければならないこと などを言い聞かせたばかりなのに もう「お宮参り」です 
弥生の連休  東京・赤坂の「日枝神社」に集合です
日枝神社は祭神が大山咋神(おほやまくひのかみ)あり 古事記によると近江国(現在の滋賀県)の日枝山(比叡山)に鎮まったのが最初とされる
江戸城の鎮守として徳川家の崇敬が篤いもがあったそうな
慶長9(1604)年 後の3代将軍徳川家光公が江戸城内にて誕生された際にもこの日枝神社に初宮詣をおこなったとあります
現在は一般的には「山王社」「山王さん」の親しみの呼称があるようです
とまぁ 若い夫婦が決めた初宮詣に出掛けてきました
初宮詣は 無事に出産を終えたことを神様に奉告するとともに “我が姫”が犬神様の神徳によって健やかに成長することを祈りました

お食い初めは 恵比寿ガーデンプレイスに在るウェスティンホテル東京へ
祝い膳は 高足の御膳 “我が姫”なので器は黒色で内側が赤色の漆器 別に鯛皿がついております
一汁三菜が基本で順番が決められておりますが この場は省略しましょう
歯固めは 勝ち栗でした
気持ちがゆるりとした行事は 暫くありませんでしたので慌ただしくもゆったりとした新幹線で帰路に