Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

2016 5月の 私の本棚(5月に購入した書籍・CD・DVDなど)

2016-05-29 08:03:58 | 私の本棚

2016  5月の 私の本棚(5月に購入した書籍・CD・DVDなど)

田中角栄 100の言葉  別冊宝島編集部  宝島社  2015/02/07
防諜捜査  今野敏  文芸春秋  2016/04/20
マル暴総監  今野敏  実業之日本社  2016/05/30
魔女の封印  大沢在昌  文芸春秋  2015/12/15
弘兼憲史流「新老人」のススメ  弘兼憲史  徳間書店  2016/02/29
卑弥呼は金髪で青い目の女王だった!<真説>日本誕生Ⅰ  加治木義博  KKロングセラーズ  2016/05/01
二週間の休暇  フジモトマサル  講談社  2016/03/09


金澤 ゆるゆる旅日記~そのⅡ

2016-05-28 13:32:48 | ゆるゆる旅日記

【5月某日 2日目】

 今日は金沢市から北陸自動車道を南下 東尋坊と永平寺を目指します
ガイド兼ドライバーは昨日と同じOさんです 穏やかな66歳のベテランです
快晴です ドライブ日和でしょうか 白山は雪をいただいてキラキラ輝って見えます
小松空港に離発着する飛行機も気持ちが良さそうですなぁ
加賀温泉郷を通り東尋坊へ向かいましょう

■東尋坊
福井県坂井市位置する云わば海岸の崖です
海食によって海岸の岩肌が削られ高さ25mの岸壁が続いている
この岩は輝石安山岩の柱状節理であり これ程の規模を持つものは世界に僅か3箇所だけであり地質上極めて貴重とされ国の天然記念物及び名勝に指定されているのです
ところで東尋坊の地名の由来は 乱暴或いは恋愛関係で恨みをかって此処から突き落とされた平泉寺の僧の名前によるものだと言うのが面白いのです

 久々に日本海を眺めました 外気温は28℃です 初夏の陽気です
東尋坊から丸岡町を通って永平寺へ
福井市のベットタウンである丸岡町には 日本で最も古い天守閣を持つ丸岡城がありました
また 日本一短い手紙と呼ばれている『一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ』は 戦国武将の本多重次が息子の仙千代 後の初代丸岡藩主の本多成重のために送ったものだそうです
そして 日本を代表する銘米「コシヒカリ」は この丸岡町出身の石墨慶一郎博士が長年の研究によって開発したものなのです 生みの親の福井県丸岡町 育ての親の新潟県北魚沼郡でしょうか 

■永平寺(えいへいじ)
永平寺は福井県吉田郡永平寺町に位置しております
今から約770年前の寛元2年(1244)に道元禅師によって開かれた座禅修行の道場です
境内は三方を山に囲まれた深山幽谷の地に大小70余りの建造物があります
永平寺を開いた道元禅師は正治2年(1200)に京都で出生 14歳の時に比叡山で出家し 24歳の春には中国に渡り天童山で修業し4年余りの歳月を得て「座禅」を受け継いで日本に帰ってきたのでした
現在は曹洞宗の大本山として僧侶の育成と檀信徒の信仰の源となっている
本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である
主な伽藍のなかで目をひいたのは 鐘楼堂でした
そうですNHK-TV 「ゆく年くる年除夜の鐘」で有名ですが そのものが在りました
伽藍の一番奥に位置し説法や各種の法要が行われるのが法堂(はっとう)ですが 永平寺は山間に階段状の廊下が続いており法堂まで登るのは息切れをしそうなので途中で諦めました 法堂の上部には菊の紋章が見えました 
傘松閣の絵天井の大広間には著明な画家の花や鳥の230枚の色彩画が描かれており見上げているうちに首が痛くなるほどです

 越前竹人形館はスキップして 20~30分程で平泉寺へ
平泉寺白山神社は 盟友H氏の情報で苔が綺麗なところなので是非訪れてその感想を聞かせてくれるように とのことでしたので立ち寄ってみましょう
途中で「永平寺そば亭」で“おろし蕎麦”で昼食

■平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)
 福井県勝山市平泉寺町に位置している神社
本殿には伊装冊尊 本殿右の別山社には天忍穂耳尊 左の越南知社(おおなむちしゃ)には大巳貴尊(いわゆる大国主命)を祀っているそうな
養老元年(717年)泰澄大師によって開かれたという
中世以降は比叡山延暦寺の勢力下に入り霊応山平泉寺として知られるようになる
白山信仰の越前側の拠点として最盛期には48社36堂6千坊 僧兵8,000人の巨大な宗教都市を形成したそうな
明治時代になって神仏分離令により寺号を捨て現在に至っている
従って お寺もあるし神社もある という不思議な気がしないわけでもない と言うのが本音でしょうか
境内に入るところに「東尋坊跡」があります 件の強力で乱暴者の東尋坊の屋敷跡なのだそうです
境内の苔は西芳寺と共に有名なのだそうで庭園は国の名勝に指定されております
また「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されているのです
苔の庭園は最近のNHK-TVで紹介されていたそうです
本殿までの距離は山登りの如しとガイド兼ドライバーのOさんが優しく(?)教えてくれましたので 既に永平寺で足腰に負担がかかり過ぎましたので鳥居のあたりで失礼しました
いわゆる観光寺などと異なりザワザワしていない良いところです
健脚の友人H氏にはスニーカーでくるように教えてあげましょう

 車は山越えをして金沢市へ戻ります
途中 “そばの里” “はぶたい餅の里” “ごま豆腐の里”などの「○○の里」の野立て看板が目につきます 門前町なのでしょう
山藤(やまふじ)が見ごろでした

 近江町市場に寄って 甘エビをお土産に送ってもらいました

 夜ご飯は 折角に金沢に来たのですから魚料理か或いはいわゆる加賀の郷土料理を と言うところでしょうが「東山 ロベールデュマ(CUISINE FRANSAISE  Robelt Dumas)」でフレンチのコースをいただきました
このレストランを選択したのは少し前に東京在住の愚妹夫婦が北陸新幹線に乗って金沢を楽しんだ折に素晴らしかったと推薦してくれたことによります
お店は東山茶屋街の往時の趣はそのままにスタイリッシュに改装した町屋で堪能しました
鴨やフォアグラはヨーロッパから直送 日本海の魚類や加賀野菜といった北陸の旬の食材を融合した本格的なフレンチでしたなぁ
加賀美人のサービスマナーもよし そしてまたお勧めの赤ワインもなかなかのものでした
食器もまた素晴らしい ワイングラスは譲って貰いたいくらいでした
『東京では味わえない!』と愚妹が言っていたのは本当でした 100点満点!を差し上げましょう
お店を出ると 茶屋の軒先には行燈のような灯りがともり茶屋街としての顔をのぞかせているようです

【5月某日 3日目】
JR金沢駅兼六園口を彩るガラスとアルミ合金でできた巨大なドームを“もてなしドーム”と名付け その正面にある“鼓門”は高さが約14mです そのデザインは金沢で盛んな能楽の鼓をイメージしており温かみのある木材の素材でできております
記念撮影をする観光客が多いのですなぁ
世界でもっとも美しい駅14選に選ばれたこともあるそうですが納得でした
駅ナカの金沢百番街でお土産を買って帰路につきましょう
 特急サンダーダードは加賀温泉駅のあたりで強風ために緊急停止 その後も徐行運転を続け結局JR新大阪駅で新幹線の乗り継ぎには間に合わず後続の新幹線に変更して予定よりも遅れて広島着
まぁ愉しかったのですから このぐらいは由としましょう

 

 旅というものはいいものです 一種の現状逃避とも言えるから人は旅に出ると誰しも『ホッ』とするのでしょうか
家から離れること 仕事または職場から離れること 住んでいる土地から離れること と言うことは 新しい世界への展開或いは解放感や期待感が生まれてくるのでしょうか
臨床医の処方のひとつに『転地』があるそうですが 何処かへ出掛けて来ることが 気分転換に行って来た ということなのでしょう

 

               

   

 


金澤 ゆるゆる旅日記~そのⅠ

2016-05-19 14:46:04 | ゆるゆる旅日記

金澤 ゆるゆる旅日記

今年の5月G.W.連休は大型連休です 東京在住の子どもたち家族と旅行に出掛けましょう と計画していたのですが 彼らは既に家族で海外旅行を計画しており日程の折り合いがつきません
 まぁそれでは家人とのんびり北陸路を … それがまぁなんと 義父が急遽やや体調不良のため止む無くジイさん(私のことです!)の“ひとり旅”になってしまいました
JR山陽新幹線は新大阪駅で乗り換え特急サンダーダードでお昼には金澤へ着きました
金沢駅前のHOTELに2連泊で 金沢~福井を廻りましょう

【5月某日 1日目】

初日は金沢市内観光です
観光タクシーのガイド兼ドライバーはOさんです コースはあらかじめ決めてあったのですがお任せにしました これが良かったのですなぁ

■成巽閣(せいそんかく)
成巽閣は江戸時代末期の文久3年に前田家13代齋泰が母堂にあたる12代奥方眞龍院(鷹
司隆子)のために造営した奥方御殿です 兼六園に隣接しております
歴史博物館として一般公開されており 加賀人形の展示が美しい
障子の腰板や欄間にはオランダ渡りのギヤマンが細工されており これもまた美しい
時代を考えるとかなり斬新的なものであったことが伺えます
柱の無い長さ20mの縁側 つくしの縁 は聞いてみて驚きでした
縁側の軒先は“桔木(はねぎ)”によって支えられ庭を開放的に眺めることができるようになっております 梃子の原理で屋根を支えているのだそうです

■尾山神社(おやまじんじゃ)
兼六園の近隣です
加賀藩祖・前田利家公とその正室・まつの方を祀っているのです
1873(明治6)年に建立したものですが 和洋漢を折衷した三層アーチ型の新門は珍しいのでしょう 五彩のステンドグラスを配しております 夜のライトアップが綺麗でしょう
前田家は外様大名の立場であったのでしょうが利家公の神威の然らしめるところなのか或いは前田家300年の仁政によるものなのでしょうか雄大な社殿が残されております

■玉泉院丸庭園(ぎょくせんまるていえん)
石垣に囲まれ高低差22mの立体的な構成になっております
藩主の私的な庭であったそうな

■ひがし茶屋街
加賀藩が1829(文政3)年に城下にあるお茶屋を集めたことが始まり
重要伝統的建造物群保存地区で南北約130m 東西約180mの広さです
金沢は「空から謡(うたい)が降ってくる」といわれているのですが そんな風情が色濃く残っているような気がします
往時の街並みが残されており 神社仏閣とはまた異なったレトロな感覚が楽しいのです
茶屋によく使われている隙間の狭い格子で木虫籠(きむすこ)と呼ばれる格子戸は外からは見えにくく内側からは見えやすい造りが面白い
金沢には3つの茶屋街  ひがし茶屋街 にし茶屋街 主計町茶屋街がありますがひがし茶屋街がもっとも格式が高いとか 三味線や太鼓の音が聞えてくるようですが連休中は休業だそうです
レトロなデザインが茶屋街の雰囲気になじむガス灯があちらこちらに 夜の光景がすてきでしょうに
それにしても観光客の多いこと 案内してくれているドライバーのOさんによると北陸新幹線が開通してからの休日は混雑します とのこと
北陸新幹線が金沢まで伸びたことで北陸観光が活況を呈しているのでしょう

■長町武家屋敷跡
江戸時代にタイムスリップしたような街並みが保存されている
下駄の歯に挟まった雪を落としたり馬をつなぐために使われた“がっぽ石”や土塀の脇を流れる大野庄用水などは注目すべきでしょう
加賀藩の重職の屋敷跡は目を見張るものがありますが 足軽の長屋が面白いものがありました 足軽長屋と言っても一戸建てなのですが足軽の日常生活と職務が手に取るように保存されております 現在の3LDKでしょうか 人の営みは現代と変わっていないことが判ります

 夜ご飯は 石川県金沢市の代表的な郷土料理である治部煮(じぶに)をいただきました
治部煮は 鴨肉(もしくわ鶏肉)をそぎ切りにして小麦粉をまぶしだし汁に醤油 砂糖 味醂 酒をあわせたもので鴨肉 麩 椎茸 青菜などをにたものです 汁にはとろみをつけて薬味は山葵を使っておりますな
“じぶ”の名前の由来は
・豊臣秀吉の兵糧奉行だった岡部治部右衛門が朝鮮から持ち込んだことに因んだ
・材料を『じぶじぶ』と煎りつけるようにして作ることから
・野生の鴨肉を使うことからフランス料理のジビエから変化した
などの諸説があるのですが由来は定かではないようです