Dr.KAZUの雑記帳から 4月2日きょうはなんの日
1904年 イギリスの文学者ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がアメリカで
『怪談(Kwaidan)』を刊行
小泉八雲(1850年6月27日~1904年明治37年9月26日)は ギリシャ出身の新聞記者・小説家そして日本研究家として知られる そのため西洋と東洋の両方に生きたとも言われております
ファミリーネームは来日当初「ヘルン」と呼ばれていたのですが これは松江の島根県立中学校への赴任を命じる辞令にHearnを「ヘルン」と表記したことで定着したようです
ただ 妻の節子には「ハーン」と読むことを教えたそうである 1896年に日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗ります 「八雲」は 一時期島根県の松江市に在住していたことから その旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」に因むとされております
コミック《 そばもん ニッポン蕎麦行脚 17 》山本おさむ(小学館 2015)の第144~148話の出雲そばルネサンスの章に 出雲そばをテーマに小泉八雲が日本文化に心酔し 日本の古典を広めたことを描いている
そして幾度も聞いた“ 耳なし芳一 ” のお話です
阿弥陀寺に芳一という盲目の琵琶法師が住んでいたそうな 芳一は平家物語の弾き語りが得意で とくに壇の浦の段は「鬼神も涙を流す」と言われる程の名手だったそうな
ある夜の和尚の留守の時 ひとりの武士が現れ 芳一はその武士に請われて「高貴なお方」の屋敷に琵琶を弾きにいくのである 盲目の芳一にはよくわかりませんでしたが そこには多くの貴人が集まっているようであった そこで壇の浦戦いのくだりを所望され 皆が熱心に聞き入り芳一の芸の巧みさを誉めそやすのであった 語りが佳境になるにしたがって皆声をあげてすすり泣き激しく感動している様子で 芳一は夜毎出掛けるようになったのです
気付いた和尚が不審に思い確かめると 芳一は独り平家一門の墓地の中に居り 平家が崇拝していた安徳天皇の墓前で無数の鬼火に囲まれて琵琶を弾き語っていたのである
このままでは芳一が平家の怨霊にに殺されてしまうであろうと和尚は案じた
その夜 芳一がひとりで坐っていると いつものように武士(平家の怨霊)が芳一を迎えにきた しかし経文の書かれた芳一の体は怨霊である武士には見えない 「声も聞こえない 姿も見えない さて芳一はどこへいったのか…」 そして怨霊には耳のみが見え「芳一が居ないならば仕方がない 証拠に耳だけでも持って帰ろう」と 耳をもぎ取って去っていったのである
朝になって血だらけになって意識のない芳一が発見されたが 般若心経を写経した寺の小僧が耳だけを書き漏らしたのであった 和尚は芳一に謝ったそうです
芳一は手厚く治療介護され「耳なし芳一」と呼ばれるようになり琵琶の腕前も評判になったことから後年なに不自由なく暮らすことができたそうな
結果的には芳一に降りかかった禍は彼の名声を高めることに寄与したのです
下関・赤間神宮にある平家一門の墓の傍には 芳一堂があります
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