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諏訪大社 御柱のルーツ

2010年04月14日 | 日記
"柱"っていつ頃からの話だろうかって思いインターネットで調べてみる。

日本神話の中で大国主神の子供の建御名方神(たけみなかたのかみ)はその地に留まる。
八坂刀売神(やさかとめのかみ)と結婚してこの地の神となる。

そこで諏訪大社上社は男神の建御名方神を祀り、
下社は女神である八坂刀売神を祀ってあるという。

建御名方神は建御雷之男神との約束でこの地を離れる訳にはいかないので、
10月に全国の神様が出雲に集まる時も、この神だけは出雲に行かず、
諏訪に居残っているそうです。

御名方神は気が荒く柱を4本建ててそこから出さないようにしたのが御柱の起源とか...。



と、色々な諸説がある中で面白そうな記事が載っていたのでその記事について調べてみる。

説!日本のミステリー』のなかで御柱祭の古代ユダヤのルーツについて解説していた。

代ユダヤでは木の女神アシラを祭っており、これが「柱(はしら)」の語源とか!?
ホントかなぁと思いつつも、御頭祭(諏訪大社上社で行われる)は守屋山で神主が子供を神に捧げようとすると、
別の神主が現れて子供の代わりに75頭の鹿などの頭を捧げるというもの。

“天地創造”の映画で見たモリヤ山で行われたアブラハムによるイサク奉献とソックリなわけだ。

約聖書の創世記22章:ある日神はアブラハムに「貴方の愛している子イサクを連れてモリヤの地に行きなさい」とある。

そして、御柱祭が行われる御神体は「守屋山」。




さらに現在まで諏訪の地を守ってきた一族が守矢(モリヤ)氏

外国の観光客が諏訪の地を訪れてその一致に驚いたという。

『新説!日本のミステリー』御柱と古代イスラエルの繋がりを見るなら
http://www.youtube.com/watch?v=4v68XGRYTZo&feature=related



http://www.youtube.com/watch?v=UEphC_eXpbs&feature=related




http://www.youtube.com/watch?v=9kbhyKxwJYU

の映像で見ると面白い。


類似点を探してみると

・日本語とヘブライ語、日本神話と古代ユダヤ教(古代イスラエル)も音韻や字の形が似通っている。

・聖地エルサレムを別名モリヤ(守矢:諏訪大社の御神体のモリヤ山)と呼ぶこと。

・「守矢(モリヤ)」とはユダヤ人の伝統的な名字であること、諏訪大社は代々「守矢(モリヤ)家」が継いでいること。

・イスラエルでの「75頭の子羊」の儀式、諏訪大社の「75頭の鹿」を捧げる御頭祭(おんとうさい)。

・旧約聖書の預言者モーセが海を二つに割った奇蹟と、諏訪湖が二つに割れる奇蹟”御神渡(おみわたり)”。

・守矢氏の家紋は、丸(まる)に十字架であること。

・古代イスラエルでは、巨木には「アシラ」という神様がいて、神聖なものとして扱われそれを大勢で運び出していた(日本には「柱=ハシラ=アシラ」としてその名残があること。

・天皇の象徴である「十六菊花紋」は、ユダヤの紋章として共通していること。

・伊勢神宮の御神体の八咫鏡(やたのかがみ)に刻んである文字はヘブライ語で書かれていること。

・世界に数ある宗教の中で、神様が直々に治める土地まで決めたのは、旧約聖書のユダヤの聖地エルサレム(イスラエルの土地:シオンの地、約束の地)と、日本神話の日本の“2つのみしかない”という事実。

似通っている事例を出したらキリがないが、京都の正倉院には中東(ちゅうとう)からの宝物が納められている。

昔からシルクロードを通って物だけでなく人も来ていても、おかしくはない。
むしろ”人”が来ずに”物”だけが日本まで届いている方がおかしい。
シュメール人(メソポタミア文明を築いた民族で、のちのユダヤの民)は、紀元前に日本に来ていたのかも。

話としては実に面白いし、夢がありそう。

訪人としては御柱のルーツには余りこだわらない。

みんなが楽しくお祭りを盛り上げる。
これが御柱の起源かも...。

諏訪大社下社御柱 注連掛

2010年04月13日 | 日記
日は天気が良いので注連掛に置かれている御柱を見に行く。

棚木場から約4.7キロの道のりを氏子に曳かれ、
木落しを終えた八本の御柱は注連掛に曳き揃えられる
曳行の最後を締めくくるのは「山の神返し」の木遣り。

出しの翌日に、春宮一、二、三、四之御柱、
秋宮一、二、三、四之御柱の周囲を白樺(しらはり)の木を立て注連縄で囲う。
注連掛祭が行われた。
詰めかけた住民や観光客らは、記念撮影をしたり、
御柱に触れて勇壮な木落としの余韻を楽しんだ。

樺の木を立てて注連縄で囲うのは、
悪霊が入り込まないようにする為といわれている。




一の柱と秋二の柱が並べられているが、さすがに太い。
大人のわき腹の辺りまである。



りには花見新道を帰ってきた。
桜も五分咲き、いよいよ信州諏訪にも花見シーズンの到来。


諏訪大社 下社 山出しも終えて

2010年04月12日 | 写真
日で諏訪大社下社山出しも終了。
8本の御柱は無事に注連掛に到着。
ちなみに3日間の人出は536000人とか。
5月8,9,10日に行われる里曳きまで休む

今日は生憎の雨降り
晴れていたら注連掛まで行こうと思った
仕方なく棚子場から大曲までの春二の様子。
木落としの春四、春三の画像をまとめる



諏訪大社御柱祭下社山出し2日目 春宮二 棚子場から大曲り

2010年04月11日 | 日記
訪大社下社山出しも2日目。
朝から快晴の日和。
今日は地区担当の御柱が棚子場から曳き出される。

シャトルバスで終点の町屋敷まで向かう。
居合わせた人が富山から来たという。
富士見のユースホステルから電車に乗り下諏訪に到着。

諏訪の法被を着て見るからに地元人。
御柱を曳いたり乗ったりの体験をしたいという
棚子場まで一緒に行く。

子場に着いたが曳き綱がない。
地区の貸し切りバスで来た人のみ。
まっいいか

春二の御柱に付きながら「ヨイサ、ヨイサ」と声を上げる。
途中で御柱に乗せてもらい満足、満足。

倉地区の大曲では統制がとれて一気に通過。
見事の一言。
周りからは歓声と拍手がわき上がる。

日の人出は凄かった
木落とし坂周辺では身動きが取れない状態。
人出も234000人とか。
ビックリだ


諏訪大社御柱祭下社山出し春宮二 棚子場から大曲り



諏訪大社 下社 山出し 木落とし

2010年04月10日 | 日記
頭の各地区の旗持ちが木落とし坂を下る。
2000人規模の曳行隊が転げ落ちながら坂を下る。

木落とし坂には"岡谷市川岸"地区の春宮三が顔を出した。
御柱が落ち始めると落ちる動きの速い事ったらない!
御柱から多数の氏子衆が吹っ飛ばされている。

今回の木落とし坂は段差を埋めササを植樹して
滑りやすくしてありどのように落ちるかわからない状態

く柱にとび乗れ
吹っ飛ばされて転げ落ちる氏子を仲間が止める。
勢いよく滑り落ちる御柱がやっと止まり木落とし終了
すごい迫力

ンザーイ!
木落としが無事終わり姿を現した"春宮三の柱"。
1km先の"注連掛"まで曳行開始。


=岡谷市川岸地区担当=
諏訪大社御柱祭 木落とし 春宮三



後4時過ぎに下社山出し初日の3本目の木落としが行われた。
薄日が差す中、綺麗に木落としが終了した。
ちなみに今日の人出は平日の為か76000人余りという。
=諏訪市上諏訪地区担当=
諏訪大社御柱祭 下社秋宮二 御柱の下に人が! 諏訪市上諏訪



諏訪大社 下社 山出し 木落とし

2010年04月09日 | 日記
日より始まった諏訪大社下社の御柱祭山出しの第一日目。
晴れの御柱日和に勇壮な木落としを見物に行く。

上社と同様凄い人出と待ち時間に耐える。
木落とし坂が見通せる河原の特等席。

8時半に家を出発、到着が9時半ころ。
まだ人出は少ないが人がどんどんと集まってくる。

落としが行われるのは萩倉集落を抜けて国道142号線に
ぶつかる"ガケ"。
最大斜度35°、高低差32m、距離約100mの急坂を御柱にまたがった
命知らずの若衆が木遣り唄を聞きながら緊張顔でその瞬間を待つ。

木落としは非常に危険が付き物。
大阪府岸和田市の"だんじり祭り"と並ぶ危険な行事として知られ
毎回、けが人や死者が出ることも珍しくなく国道沿いには救急車が
待機している。

回かの木遣りにより頭を出す御柱"春宮四"。
観衆の緊張が最高潮に達した時、御柱を止めていた追っ掛け綱が
切られ7トンにも及ぶ御柱は土煙を上げて轟音と共にまたがっている
若衆を振り落としながら坂を突き進む。

叫か悲鳴か観衆から大歓声が上がる。
数秒のドラマは全身全霊をかけ男たちは挑む。
=諏訪大社御柱祭 下社春宮四 勇壮に木落とし=


『岐阜公園の昼桜と夜桜と...』

2010年04月07日 | 旅行
本桜と薄墨桜を見て今日の宿泊先に到着。
岐阜公園の横の旅館。
3階の部屋からは桜の花に手が届きそう。

夜桜見物に行くと昼間の表情とまた違う趣。
あちらこちらで花の宴が始まっている。

デジブック 『岐阜公園の桜』


山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ
『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした。

信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、
「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。



望台の西からは伊吹山・養老山脈、南には伊勢湾などが連なる壮大な眺望。




望台の眼下に長良川と岐阜市内が一望。


岐阜県千本桜公園と薄墨桜

2010年04月06日 | 旅行
月4日に岐阜県に観桜に行く
千本桜公園は武芸川にあり丁度七分咲き。
道路を挟んで桜並木が続いている。
その数2000本の桜と言う。
何処を見ても桜、さくら、サクラ。

キィレイ!!
観光客は感嘆の声を上げる。
平日にもかかわらず大勢の人が来ている。

行ってみて思った。
噂通りの桜並木。

その足で根尾の薄墨桜を見に行く。
日本三大桜は、山高神代桜、根尾谷淡墨桜、三春滝桜。

淡墨桜(岐阜県本巣郡根尾村=本巣市)は、
エドヒガンの樹齢1500余年のお婆さん桜
蕾のときは薄いピンク、満開時は白色、散りぎわに淡い墨色になる。
今年は一週間程度遅れているらしい。
まだ三分咲き。
薄いピンク色をした薄墨桜。
ここでも10台以上の観光バスが来ている。
賑やかい。


薄墨桜の由来は
第26代の皇位を継承し継体天皇(507~531)と称せられたが、
この地を去るにあたり形見にこの桜を植え、
次の歌と共に残されたと伝えられている。

身の代(しろ)と遺(のこ)す桜は薄住よ 千代に其の名を栄盛(さか)へ止むる








『諏訪大社 御柱祭  上社 木落とし・川越し 』

2010年04月04日 | 写真
日の上社木落とし・川越しも見事だった。
諏訪大社上社の山出しは1日目は土砂降りの雨だった。
雨にぬれたテコ衆から熱気の湯気が出てすざましかった
2日以降は天候に恵まれたが風はまだ冷たい。
残すは今日一日

諏訪大社下社の山出しまで後1週間。
下社氏子として胸が高鳴る。

デジブック 『諏訪大社 御柱祭』木落とし



デジブック 『諏訪大社 御柱祭』川越し







諏訪大社 上社 木落とし・川越し

2010年04月03日 | 日記
訪大社上社の木落としと川越しを見物に出かける。
茅野市運動公園に駐車して木落とし坂に向かう。
向かう途中で民家の人に呼び止められ、樽酒とツマミ、ジュースなどを振舞われる。
御柱の通り道の人たちは接待に大変だぁ~。
木落とし坂に着いたが人、人、人。
身動きが取れない。



いよいよ木落とし。
木遣りの甲高い歌声で一気に坂を下る。
綺麗に木落としがいった。



木落としが終わっても今立っている所から動けない。
10分程度そこに立ちんぼ。
次の目当ての川越しに向かう。
約2時間の待ち時間。
先ほど木落としをした御柱が川越し。
これも綺麗に落ちて御柱屋敷まで曳行される。


諏訪大社 上社山出し始まる

2010年04月02日 | 日記
殴りの雨が降る中am8:00諏訪大社上社山出しの御柱祭が始まった。
道路が川状態になる中の曳行。

上社の山出しは今日から3日間の日程。
下社の山出しは1週間後の9日から。

上社の御柱は柱前後に「めどでこ」と呼ばれる上社御柱特有の添え木がつくので、
上手く曳いて行かないと集落に入った時、民家の屋根を破壊し、塀を破壊する。



御柱には約1500人の担当氏子がカッパを着ての曳行。
梃子衆は頭からずぶ濡れ状態




しい雨に霞む中、各御柱の氏子約1500人が御柱を曳く。