趣味真っ盛り!!

人生これから! 元気に趣味を楽しんでいます。

諏訪湖の花火

2010年08月02日 | 日記
夜の8時半から"サマーナイトフェスティバル"と銘打って花火が打ち上がる
ベランダに出て15分間の打ち上げ花火を楽しむ
前に電線があっていけないが綺麗に見える



月5日まで毎晩15分間打ち上げるという
最終日の9月5日は12000発の花火が上がる
9月5日はまだ余り知られていない穴場の日


月15日は諏訪湖祭湖上花火大会
昨年の人出は50万人とか
打ち上げた花火も4万発

月4日は全国新作花火大会
昨年の人出は30万人
今年は17000発を打ち上げると言う
2つの花火大会は人、人、人の混みよう

りにも混む為諏訪まで歩いて花火見物。
約2kmほどの道のり
40分位の散歩

れから諏訪湖の夜空は毎晩花火で賑やか。



下諏訪 浪人塚 魁塚

2010年08月02日 | 日記
864年、長久保(現小県郡長和町)から撤退した松本藩士が、
下諏訪の高島藩士と共同して天狗党を迎え撃ったのは峠から大分下がった樋橋村だった。
勝弦峠は車で走ってもカーブの多いかなりの急坂である。
元治元年(1864)11月19日の午後三時から始まった戦闘は当初松本・高島連合軍が優勢だった。
天狗党の迂回作戦が功を奏して連合軍は敗走、天狗党は無人の下諏訪で暫時休息した後伊那街道に向かう。

れは今から45年ほど前、学校の先生が講談調で話してくれた1コマ
片付けをしていたらこの文面が出てくる
懐かしく思い、下諏訪町浪人塚(水戸浪士の墓)を訪ねる



早いため人は誰もいないが蝉時雨は凄ましい
浪人塚にはこのような説明がされている



浪人塚で思う

この迎撃戦の死者は連合軍側十一名、天狗側七名だった
車道から小道を入った広場にあるのが天狗党の死者を葬った浪人塚で、大きな石碑が何本も建っている
 
馬伝を観たり、司馬遼太郎の竜馬がゆく、燃えよ剣、幕末の本を見る。
私の考えではあるが、
攘夷、攘夷と大きな事を言っても、近代装備の欧米艦隊に勝てるわけがないことは、
薩英戦争や馬関戦争で実証されていたのだから、こんな連中に頼りにされた慶喜だって大迷惑に違いない
それにしても彼らは慶喜を慕って苦難の旅を続けたあげく、
慶喜率いる討伐隊に降伏し処刑されてしまうのだから分からず屋とはいえ哀れな話である
おまけにその三年後には慶喜ともども幕府が潰れてしまうのだから、なんとも空しい騒ぎであった

かし水戸の人たちには天狗党の挙兵はいまだに大変な義挙と信じられているようである
"回天神社"創建二十周年の記念に建てたという白塗りの柱には橋本利重の歌として
 
下諏訪の秋をほろろに草莽の

   かなしきみたま祭る旅かも


   ※草莽(そうもう):草むら
と墨書してあった


の足で昨日のお舟祭の通り道、魁町。
魁町にも魁塚がある
魁塚(さきがけづか)は別名相楽(さがら)塚とも言われる。




の塚も龍馬が活躍していた時代
鳥羽伏見の戦いに火を点けたという相楽総三率いる“赤報隊”の幹部たち八人の男たちが、
“偽官軍(にせかんぐん)”として処刑されている

楽総三は年貢半減令を布告し民衆の支持を得て江戸へ進軍する赤報隊に
年貢半減を翻す官軍総督府が口封じを行った事件
この塚は相楽総三らの悲運な死に涙する同士らが明治三年に建てたもの
魁塚には詳しく表記されている

日、来週のNHK大河ドラマ龍馬伝で佳境に入る薩長同盟
1866年 (慶応1年) 薩摩藩(西郷隆盛)と長州藩(木戸孝允)が、 坂本竜馬の斡旋で
六ケ条の協約を結び、両藩の同盟が成立


諏訪町にも幕末の名残りが所々に残されている

諏訪大社下社 夏の遷座祭

2010年08月01日 | 日記
訪大社下社遷座祭(せんざさい)、通称「お舟祭」は御柱祭を除くと現在の下社最大のお祭り
下社の祭神は2月の初めから7月末までは春宮に、8月の初めから1月の末までは秋宮に奉られる
お舟祭(おふねまつり)というのは、祭神の春宮から秋宮への夏の遷座祭である例大祭

舟祭の行列は大きく分けて2つ
御霊代(みたましろ)を中心とする遷座の行列
その後に続く御頭郷(おとうごう)が曳行(えいこう)する柴(しば)舟
この一連の行列に先だって長持ち連、時代行列などが行われる



座の行列は秋宮から御霊代(みたましろ)のお迎えの行列が来ます




霊代が乗る御神輿が幣拝殿に入り御霊代を乗せます




座の行列は隊列を組み下社秋宮に向けて出発します。




旗、なぎがま、ほこ、錦の御旗、御輿などを連ね、
笙(しょう)や篳篥(ひちりき)などの鳴り物が流れる中で行列は進みます




馬橋(げばばし)は一年に2回、御霊代(みたましろ)の御輿だけが橋を渡ることができます
一般の人は通る事ができません




座の行列は秋宮に向かいます



よそ1時間後に柴舟の曳行が開始されます
柴舟(しばぶね)は角柱六本を組合せ、山野の雑木である青柴を浸かり舟の形に整えます
五色の幕で飾ったもので、
長さは8.1メートル、幅4.3メートル、高さ3.2メートル、重量5トンという巨大なものです

舟の上には翁(おきな)と媼(おうな)の人形があります
前座の紺色の翁(おきな)は建御名方命(タテミナカタノミコト)、
後座の白い媼(おうな)は八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)を意味しているとのこと



舟の曳行は、10年に一回まわってくる「御頭郷(おとうごう)」が担当します
今年は茅野市の米沢・北山・湖東地区です



舟は遷座の行列の後を追うように秋宮に向かいます



宮に着いた柴舟は秋宮境内の神楽殿の周囲を3周して、神楽殿正面に曳き着けられます
夏の遷座祭、お舟祭はフィナーレを迎えます


日の諏訪地方はムレムレの湿度が満タン状態
見える範囲で5~6人位の人がダウン
横になって頭を冷やしている。
今、流行りの熱中症だ

宮まで行こうとしたが、この暑さ
見ている者が見られる立場になる可能性は大
熱中症にかからないうちに帰ってくる
それにしてもアツかった~