この猫ちゃんは、
我が家の裏庭に来た時、
あまりにも可愛かったので、
私が「みいちゃん」と呼んだのが始まりで、
みいちゃんは恋に落ちました。
恋とは、
「強く惹かれること」
「切ないまでに深く思いを寄せること」
でも飼ってやれず・・・
猫ちゃんは私と離れるのに時間を要し、
双方とも辛い想いをしたのです。
恋の苦しさは、
猫ちゃんばかりではありません。
成就出来る(飼える)ならば、
よいのですが、
別れなければならない辛さに、
私には、
動悸が頻繁に起こるようになりました。
窓からリビングをのぞきこんでは、
ニャ~ゴ~~~~~~~~
(お家に入れてよ~~~~~~~~)
なのですから、
私はあまりの辛さに、
胸が締め付けられてばかりでした。
飼ってもらえないと分かっても、
雨降りでも雪降りでも毎日来ては、
キッチン前の、
軒先でお昼寝をするのです。
一度は身ごもり、
赤ちゃん猫を連れてきたこともありました。
我が家には小鳥が何羽もいます。
小鳥たちにとって猫ちゃんは、
最大級のストレスです。
(今は亡きオーストラリア生まれのセキセイインコ)
何人にも相談し動物病院へも行き、
猫飼育の三段ケージも購入しましたが、
一番キツクて断念に至ったのは、
実妹の言でした。
もし自分が飼っている猫を、
他所へ取られ、
猫ケージに入れられ、
飼われてるなんていったら訴える。
私は非常に悩み、
泣き泣き飼うことを諦めたのです。
動物と人間との恋なんていうのは、
オカシナ言い方でしょうが、
勝るとも劣らないほど激しい、
私への懐きかたでした。
私が裏庭へ出ると、
どこからか、
ビュ~ンと飛んでくるのですもの。
猫ちゃん記事は、
現在削除してしまいましたが、
2年前まで記事にしてますので、
覚えておられる、
ブロ友さんもいらっしゃるでしょう。
その、
みいちゃんの姿を見かけなくなって、
2年以上です。
人間の子どもたちは新学期。
暖かになった4月、
妙にみいちゃんを想いだすのです。
以前のみいちゃん記事一つ残してありました。
あの可愛いみいちゃんとの出来事は、
生涯忘れられません。