古代の宇宙構造説は、
地球中心の天動説でしたね。
天動説に対して、
地球その他の惑星は太陽の周囲をめぐるという、
地動説を発表したのが、
コペルニクス(1473~1543)でした。
日本でいえば室町時代のことです。
ガリレオはコペルニクスの、
約100年後くらいに生まれますが、
(1564~1642)
地球は動いているという地動説を支持したため、
裁判にかけられてしまいましたね。
(江戸時代のことです)
地球が太陽の周りを回っているだけでなく、
地球も自転してますよね。
月だって自転してます。
地球のまわりを1公転する間に、
1自転。
そして、
月と太陽といえば暦(こよみ)。
現在使っている太陽暦は突然明治に、
改暦されたわけではないのです。
少し遡ってみると、
貞享暦(じょうきょうれき)というのは、
日本人により編纂された暦で1644年から1755年まで使用。
宝暦暦(ほうりゃくれき、ほうれきれき)1798年まで使用。
寛政暦(かんせいれき)1844年まで使用。
天保暦(てんぽうれき)1872年まで使用。
このように江戸時代には4回も改暦され、
天保暦(てんぽうれき)が、
1872年(明治5年)まで使われていたわけです。
現在私達が使っている暦(グレゴリオ暦)は、
太陽の動きをもとにして作られているため、
「太陽暦」と呼ばれます。
一方、
太陽暦が明治6年に採用される以前の日本では、
月の満ち欠けをもとに、
季節をあらわす太陽の動きを加味して作られた、
「太陰太陽暦」が使われていました。
一口に太陰太陽暦といっても、
歴史の中では、
たくさんの暦法(計算の規則)が使われてきましたが、
太陽暦への改暦の直前に使われていた、
「天保暦」と呼ばれる暦法のことを、
一般には「旧暦」と呼んでいます。
(青文字は国立天文台より借用)
明治6年から、
新暦(グレゴリオ暦)になったわけですが、
この暦は、
世界各地で広く採用され、
事実上の、
世界標準暦として機能しているそうです。
グローバルな現代では、
各国の暦がばらばらでは不便ですものね。
ところで、
笑われそうですが私が、
月にウサギがいないってハッキリと知ったのは(笑)
1969年(昭和44年)に、
月に降り立った、
アームストロング船長さんの映像からでした。
驚きとともに、
いつも月を見上げていた私は、
ウサギやかぐや姫のロマンもなくなったことに、
非常に落胆したことも覚えております。
ワタシはお月様から来てココにいるの?
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第36回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
藤式部(紫式部)は彰子に頼りにされ、
彰子は漢詩も藤式部にコッソリ学び始めるのですが、
他の女房達は、
藤式部に嫉妬するでしょうね。
私もひそかに学んで帝を驚かせたい。
なんて、
可愛い中宮になられたのでしょう。
久々に揃った、
斉信・道長・公任・行成の藤原4男子。
彰子に皇子がお生まれになったら、
ややこしくなると誰もが思うでしょうね。
それを子供心に察している、
定子のお子である敦康親王(池田旭陽ちゃん)。
その親王さまに、
親王さまが私のおそばに居てくださいます。
ずっとずっといてくださいませ。
という、
彰子は成長しましたね~~
その時の庭には藤の花が咲いてました。
そして、
私が今あるのは藤式部のおかげと、
お産後に言われてましたね。
その言葉どおり、
彰子は自分の子が生まれても、
定子のお子も大切にしていくようです。
清少納言の再登場。
藤式部(紫式部)に戦闘意識がありありで、
顔がぴくぴく引きつってました。
そして、
9月11日(旧暦では10月12日)、
敦成(あつひら)親王がお生まれになります。
それにしても騒々しいほどの、
お産の儀式でしたが、
紫式部の日記にも、
お産の様子は事細かに記されてますので、
やらせではなさそうですよ(笑)
伊周は彰子を呪詛しておりましたが、
真偽のほどはともかく、
複雑な気持ちは存在してたでしょうね。
そして、
私が気になったのがここ。
望月を見ながら語り合う2人。
藤式部(紫式部)・道長
誰か見てないかと目を凝らしましたが(笑)
誰かいましたか?
そして気になったというのが、
そこで藤式部(紫式部)の詠んだ、
めずらしき光さしそふさかづきは
もちながらこそ千代もめぐらめ
この歌が、
今回のドラマに置いては、
道長の、
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
欠けたることも 無しと思へば
の、
歌につながるのかなって思ったのです。
だってね、
道長は藤式部(紫式部)に、
「その歌のこころを教えてくれ」といい、
「覚えておくぞ」と言いましたもの。
このドラマに置いては、
2人はソウルメイトという設定ですし、
お月様を大事にしてますし。
そして、
「御五十日のお祝い」の日。
「おほんいかのおいわい」というそうです。
訂正です。
藤式部(紫式部)と道長の歌のやり取りを見ていた
道長の妻・倫子は、
カチンときて席を立って行ってしまうのですが、
それはそうでしょうね。
倫子さま心中お察しいたします。
最後!
気立てよく聡明な赤染衛門にまで、
「藤式部は道長さまとはどういうお仲なの」
なんて聞かれてしまいましたね。
どう答えるんでしょう。
ではまた来週。
(写真はNHKよりお借りいたしました)