田舎主婦の日日是好日

今日も生きてることに感謝かな。

南国の香り:サボテン&月下美人

2024年09月14日 | 木々と花々

今年は遅く、

9月に入って、

サボテンの花が咲きました。

 

昼間大きな花を咲かせ朝には萎んでしまう、

一日花ですが、

咲いた時は甘い南国の香り。

 

月下美人も咲きました。

まずは2個の花ですが、

まだまだ沢山の蕾が付いてます。

(花の右上に見えるのが蕾)

ですが、

このまま屋内に置けば、

残りの蕾は咲かないかもしれません。

 

重くて移動が大変なので、

春にはコンパクトに剪定しようかな。

 

これまで剪定した、

差し芽の活着率は100%で、

アチコチへ差し上げております。

月下美人もまた

南国の香りが漂いますよ。

 

こちらもまた一夜花。

 

土日コメント欄閉じてます。

 

 

 

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ナス・ナス:かば焼き丼・辛子漬け・栗も

2024年09月11日 | お料理&台所用品

わが家で作るナスは、

一般的な中長ナスですが、

親族が長ナスを沢山届けてくれました。

♪毎日毎日ナス料理~~~

ナスを食べすぎ

いやんなっちゃうよ~~~♪

 

とならないように、

皆様ご存じのナスのかば焼き丼

 

ネットに作り方は色々載ってます。

ブロ友shimaさんより、

群馬の「かわとみ」のナス丼を紹介されました。

ウナギと同じようにガスバーナーで焼いて、

作るようでソックリ。

 

来年は!こういう感じに作りたいです。

なすの蒲焼重

(写真は「かわとみさん」からお借りいたしました)

 

ナスの辛子漬けも作って冷凍に。

 

食べやすい大きさに切って、

ミョウバンも入れて1~2時間塩漬けをし、

ギュッと絞ってから味を付けます。

粉辛子・お砂糖・ミリンのほかに、

お味噌も少し入れますが、

お味噌の種類で色が変わりますね。

小さめタッパーに入れて冷凍保存です。

 

わわわ~~~

早生栗も届いたの。

さっそく栗ご飯

そして少し干して、

茹で栗にしてコザクラちゃんと一緒に頂きます。

ウサタンは食べませんが、

インコには大好物のようですよ。

5才のコザクラチャン。

テーブルの下にはウサタンが寛いでいます。

 

忙しくも長閑です。

 

追記

長閑(のどか)って春の季語ですよね。

秋に使うのは変でしょうか。

俳句でないなら良いのでしょうか。

国語苦手なのでブログ書いてもハラハラです。

 

 

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戸籍:光る君へ第34回

2024年09月09日 | 趣味・本・テレビ他

有名な『源氏物語』を書いた紫式部ですが、

ハッキリとした、

生没年さえわかっていないのです。

 

上級貴族の子女や后になるような女性は、

生没年も、

どなたかの日記などに残されていて、

わかるのですが。

 

例えば、

一条天皇の后の藤原定子の生年は976年で、

没年は1000年。

 

道長の正妻の源倫子は、

生年は964年で没年は1053年。

 

ですが、

当時は紫式部だけでなく

女流作家の清少納言和泉式部他も生没年未詳。

もちろん庶民もですね。

 

でも仕方がなかったことでしょうね。

 

当時は、

戸籍がなかったでしょうし、

今のように、

出生届け出の義務もなかったわけですから。

 

で、

戸籍ができたのは、

明治からって思いますよね。

 

でも広辞苑によると、

6世紀ごろから朝廷管轄領の一部で造り、

大化の改新後の、

律令国家では6年ごとに造ることとしたが、

10世紀にはほぼ廃絶。

明治維新後に復活した。

とあります。

 

別の説明では、

律令国家は民衆を把握するための台帳として、

戸籍を作った。

 天智天皇9(670)年の、

庚午年籍が最初の戸籍であり、

持統天皇4(690)年の飛鳥浄御原令にもとづく、

庚寅年籍が、

全国的規模で実施された、

最初の戸籍と考えられている。

とのことで、

案外早くに全国的に、

戸籍が作られていたことに驚きました。

 

追記

ブロ友さんのtibinekoさんよりのコメント。

(感謝です)

 

岐阜県加茂郡富加町に、

大宝2年(702)に作成された、

日本最古の「半布里戸籍(はにゅうりこせき)」が、

残されているそうです。

実物は正倉院で保管されてるようですが、

欠けもなく、

1300年も前の戸籍が残されているって、

すごいことですね~

 

私が生まれたころは、

戸籍はもちろんのこと「母子手帳」があり、

何年の何月何日○時○○分に生まれたと、

記されております。

 

母子手帳のお陰で、

「お前は二重橋の袂(たもと)で拾ってきた子」

なんて言われても笑い飛ばせます(笑)

皇居正門鉄橋(二重橋)のご紹介 : 皇居外苑 | 一般財団法人国民 ...の画像

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第34回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

興福寺のことは小右記にも載ってます。

対応には苦慮したことでしょうね。

 

まだ打ち解けないお二人。

そなたは朕の中宮である。

胸を張っておらねばならぬ。

といわれる、

一条天皇のお優しさと彰子への眼差し。

心に沁みますね~

 

藤式部(紫式部)は、

中宮さまのお心が帝にお開きにならねば、

前へすすみません

と、

娘を案じる道長に言うのですが、

彰子は藤式部に真っ先に心を開きましたね。

 

昨晩もまた、

御自ら(おんみずから)藤式部の坊が見たいと、

訪ねるのですものね。

そして、

また来てよいか。

ですものね。

 

藤式部が物語を執筆しているところに、

帝までいらっしゃるのです。

これにはびっくり。

 

そなたの物語は、

朕に真っすぐに語りかけてくる。

(中略)

また来る。

です。

 

天皇と中宮のキューピッド役としての、

藤式部が描かれてますね。

 

道長邸での、

曲水の宴(ごくすいのえんきょくすいのえんとも)。

3月3日参会者が曲水に臨んで、

上流から流される杯(さかずき)が、

自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を作り、

杯をあげ酒を飲み次へ流す。

終わって別堂で宴を設けて披講(ひこう)した。

(広辞苑)

 

斉信と行成

それぞれが、

「光源氏」は誰なのか想像しているようですが、

源俊賢(みなもとのとしかた)の父親の、

源高明(みなもとのたかあきら)も、

モデルと言われるお一人ですね。

 

ただ、

このドラマにおいては、

道長が藤式部の「光る君」なのでは?なんて、

私は思ったりもするのですが、

最後どう描かれるのでしょう???

 

彰子と藤式部(紫式部)が、

打ち解けて話をしている様子を見つめる、

道長の姿が印象に残っております。

 

彰子のお顔つきが少しずつ、

和らいでますね。

 

そして金峰山(きんぷせん)のこと。

金峯山寺のホームページよりの抜粋です。

写真もお借りいたしました。

 

吉野山から山上ヶ岳にかけての一帯は、

古くから金の御岳(かねのみたけ)、

金峯山(きんぷせん)と称され、

古代から世に広く知られた聖域とされました。

現在では金峯山修験本宗の総本山として、

全国の修験者・山伏が集う修験道の中心寺院となっています。

徒歩で行くのですから、

(素足にわらじでしたね)

途中において幾つもの寺や仏堂を訪れた、

巡礼の旅だったようです。

(御堂関白記より)

 

同行には源俊賢と、

道長の嫡男の藤原頼通(渡邊圭祐さん)ですが、

道長は史実では病弱でしたから、

命をかけての御岳詣で(みたけもうで)だったんでしょうね。

 

ではまた来週。

(写真はNHKよりお借りいたしました)

 

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死してもなお

2024年09月07日 | 日日是好日

亡くなられ、

今この世にはいない人からも、

その人に、

力をいただいたり、

間違いを正して頂けたりすることがある。

 

一番叱ってもらえるのは父親かな。

こうして、

ブログを書いていても、

常に戒められているのだもの。

 

祖父には

残してくれた書き物から力を頂いているし、

嫁ぎ先の優しかった叔母には、

いつだって、

ゆりちゃんはそれでいいのよと、

安心感を頂いている気がする。

 

本で出会った偉人さんたちからも、

教えを頂いてるし、

今は亡きブロ友さんにも、

そういう方々が何人もおられるのです。

夜顔は9月になって、

3時半ころから開くようになってきました。

 

キッチン前で咲くので、

華やかさを毎夕見ることができます。

春に亡くなられた他社の、

ブロ友さんを想いだすようなお花です。

 

土日コメント欄閉じてます。

 

 

 

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余ったスイカでスイカ糖を

2024年09月04日 | お料理&台所用品

残っているスイカが雨で腐り始めたので、

全部収穫してきました。

大小7個救出。

大玉4個も腐らせたのは残念。

 

雨続きのせいもありますが、

手が回らなかったこともあります。

 

早採りの甘味の少ないスイカで、

数年ぶりにスイカ糖を作りました。

スイカジュースで冷凍も出来るようですが、

冷凍庫は満杯状態ですので、

冷蔵庫保存のスイカ糖にしたのです。

 

スイカ1個半の赤い部分を、

細かく切って布巾に包んで、

手で絞り、

それを10分の1~20分の1くらいまで、

煮詰めます。

 

煮詰めると、

細かい泡が出てきますので、

それが完成間際の合図です。

中火でガンガン煮て、

ある程度になったら、

付きつきりで、

かき混ぜながら煮詰めると早いかな。

 

最初は分離したようになってますが、

時々かき混ぜていくと、

分離しなくなります。

小瓶に納まりますから、

冷蔵庫へ入れても場所をとりません。

月曜日に、

再び1個半のスイカを使って、

煮詰めました。

それぞれ2本の瓶に納まりました。

パンなどに塗って頂きます。

かなり甘いです。

 

スイカ糖にも、

いろんな効能があるようですが、

それほどこだわりません。

 

そして、

小さなものは、

軽く塩漬けしてから、

(塩多すぎ)

白瓜と一緒にドボン漬けに。

今日水曜日に出してみました。

少し赤くなっているものは、

浅漬けの素を入れて、

即席漬けにします。

爺様も、

この漬物を食べてくれてますよ。

 

スイカ糖は、

3個分のスイカを2度に分けて、

力を入れて、

布巾で絞ったんですが、

布巾は終わりがけに破れました。

 

ふ~~

私も疲れましたが、

布巾もくたびれちゃったのね(笑)

 

追記

家庭向きではないです(笑)

甘味が薄いスイカが余って、

どうしようもない時の・・・ですね。

 

甘いスイカの場合は、

スイカジュースの冷凍のほうが楽かも。

 

 

 

 

 

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月ぞ流る:光る君へ第33回

2024年09月02日 | 趣味・本・テレビ他

先週の「光る君へ」では、

まひろ(紫式部)の内裏の案内役は、

赤染衛門(あかぞめえもん)がつとめました。

 

その赤染衛門を主人公にした、

澤田瞳子さんの『月ぞ流る』を読んだのです。

 

帯には、

日本初の女性による、

女性のための歴史物語『栄花物語』の作者である、

朝児(あさこ:赤染衛門)との紹介があります。

他の説でも、

『栄花物語』は、

40巻あるうち正編30巻は赤染衛門の作だと、

ほぼ断定できるとありますし、

先のNHKの放送でも、

赤染衛門は『栄花物語』の一部を執筆したと、

ナレーションがありました。

 

元宝塚歌劇団宙組トップスターだった、

凰稀かなめ(おうきかなめ)さんが演じる赤染衛門は、

本の中でもドラマ同様に、

美しく淑やかで聡明な女性に描かれております。

この『月ぞ流る』には一条天皇の後の三条天皇と、

道長や娘の妍子(彰子の妹)との、

確執が描かれているんですが、

終盤には涙があふれ何度も本を閉じました。

 

三条天皇の歌。

 

心にも あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき 夜半の月かな

 

望んでいないにもかかわらず、

この辛い世の中に生きながらえていれば、

いずれはきっと恋しく思うであろう。

今夜の夜半の美しい月を

(訳は本より)

 

それに対する道長の次女、

中宮である妍子の御返歌は、

天の河 雲の水脈(みお)にて はやければ

光りとどめず 月ぞ流る

 

妍子は、

帝の膝に片手を置き詠ったのです。

ようやく心がつながった、

お二人。

 

この歌は自作ではなく、

古今和歌集からの歌なのですが、

本の題名『月ぞ流る』はここからなのですね。

 

放送のほうは、

まだまだ彰子の時代ですが。

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第33回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

昨夜の放送で最初に思ったこと。

 

あの藤壺女房軍団に、

まひろは大きなイジメを受けなくて良かった。

ホッ!でした。

少しは、

どこの世界にもあることで。

 

それにしましても、

まひろは藤式部という名前を拝命しましたが、

地味でつまらぬ女は、

己の才を生かすしかほかありませぬ。

と、

公任に昔の借りを返すとは(笑)

 

雨夜の品定めのように、

まひろをけなしていた公任に一本でしたね(笑)

斉信は覚えていて、

当の公任は忘れてましたけど(笑)

 

彰子は空の色が好き。

少しづつ意思を示し始めました。

帝は続きができたら、

お前に会いたいと仰せだ。

なんて、

まひろは道長に言われましても、

几帳(きちょう)で区切られただけの坊(小部屋)では、

物語の続きを書こうにも、

書いていられないですよね。

 

あのドローンで撮影したような、

映像の撮り方は面白いものでした。

 

源氏物語絵巻などに見られる、

天井を取ったような、

吹抜屋台(ふきぬきやたい)という描法を、

見ているようでした。

それぞれ女房の寝相が凝ってましたが、

上手く写真が撮れず載せられず。

 

かがり火?の音が、

パチパチなっている中での、

公卿たちの中宮拝謁(はいえつ)の大饗(だいきょう)も、

華やかな平安時代の趣を醸し出してましたね。

 

再び参内の藤式部。

庭には藤の花が咲き、

彰子のお部屋の御簾も綺麗でした。

一条天皇が、

まひろの書く物語に興味を持たれ、

藤壺を訪れたことの褒美に、

道長より扇子(せんす)を頂くのですが、

幼き頃の二人の出会いの絵でした。

三郎(道長)とまひろ(紫式部)の出会いの扇子を贈るとは、

粋です。

 

追記

 ブロ友kazuyooさんからお教えいただきましたが、

この扇子は、

「檜扇(ひおうぎ)」というそうです。

 

宮中で位のある人が用いたもので、

檜(ひのき)の板を重ねて、

作ってあるそうです。

 

大和の興福寺の別当が道長を訪ねてきました。

強訴(ごうそ)ですね。

 

すべては些細(ささい)なことから始まるのです。

と、

帝に言う道長の言葉にも心打たれましたが、

朝廷は強訴を押さえるため、

武士の武力を重用していくことにより、

武家も力を持ってくるという、

そういう芽も出始めているのですね。

 

昨晩は不穏なまま終わりましたが、

また来週。

(映像写真はNHKよりお借りいたしました)

 

 

 

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