写真は武漢・武昌の東湖。当時よくやってくれた若い通訳に三国志の話をしたら、日本人の方がよく知っていると取り合わない。下放政策でそんなところまで勉強の余裕がなかったか。湖北省博物館には古代青銅器の楽器が展示されていたが、こちらも、湖北の歴史を知らないからついていけない。YouTubeに米軍接収の戦争プロバガンダのフィルム『武漢三鎮攻略』がある。現代武漢は知る由もないが、おかれた位置が映像6分53秒あたりが理解しやすい。昔、社会主義国家のホテルに泊まるときは部屋の各階にある服務台係員にデパ-トで買ったパンストをチップ代わりに渡したが、配り方が悪かったか、その筋から注意を受けるハメに。そういえば、昔手土産用100円ライター1本で水割り一杯のモスクワのホテルがあったことを思い出した。全ては昔物語。いずれかの機会には次はヴェトナムかメキシコあたりにしよう。
武漢では最大1週間の滞在予定だったが、交渉先担当者の現状認識不足とノラリクラリで長引いた。帰りの航空券手配で旅券を預けたが、返してくれたときは到着後2週間後の航空券だった。あとは腹をくくり、毎朝ホテル散髪、ジョッキング、昼飯ホテル、午後チンタラ交渉、晩飯ホテルの繰り返しだった。洗髪は1回でシャンプ-ボトル半分使用(適量を知らない)は驚きだ。頭マッサ-ジは最高だった。料金は200円。クリ-ニングもYシャツや下着も含めて200円。ホテルの食事は湖北省の田舎の味付け、醤を全ての料理に使い、鼻についてきて、筆談でもやし塩ラ-メンなんぞ作ってもらったことも。街中はナポリの洗濯干しみたいに、くすんだ黒い古綿が丸出しの布団が干してある。夜、街中に出ても明かりは暗く映画館のよう。目が慣れると凄い人だかりだ。コ-ヒ-を街中のホテルで飲んだが、小豆の皮を粉にしたような味だった。写真は黄鶴楼で、名刹といわれてるが、再建してコンクリ-トにペンキは内部に入る気はしない。