山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

初めてのカジノ

2012年03月10日 20時11分03秒 | Weblog

 

1972年の今頃だった。ジュネ-ブにいて国境の向こうフランスの保養地ディボンヌへ行った。近くに同じフランスの水で有名なエビアンにもカジノはあったが、ジュネ-ブのホテルへ出向いてコンシェルジェにチップを払うと宿泊者扱いで、カジノへの往復のリムジンの無料バウチャ-を出してくれて、車が迎えに来る。結構なスピ-ドで夜道30分ほどで保養地に着いた。1ドル=360円の時代だった。ちまちまやっているうちに、アットいう間すってしまった。オケラ街道は車付きでよかった。着飾った老婦人達がポンポンと1000フランベ-スでル-レットをやっていて、貧乏サラリ-マンが行けるところでないと思ったが、また翌年行ったのを覚えている。昨年再開したロンドンのプレ-ボ-イクラブでは先に使うべき出張旅費までつぎ込んで冷や汗をかいたことも。カジノ大儲けは、20年ほど前にラスベガスで邦貨30万ほどブラックジャックで勝ったことだろうか。違う年に同じラスベガスで早起きして、指しでディ-ラ-に60万ほど勝っている時に、思わぬ同行のスポンサ-から朝飯はとポンと肩に声をかけられたのが運のつきで、勝ち金全部つぎ込み一回勝負はあっけなく負けた。あれ!負けちゃったネなんかと言われたが元手は100ドル程度だったから、悔しさはない。朝の抜け駆けカジノの勝負だけは記憶に残った。今や宝くじも手を出さないほどギャンブルに魅力も興味もない。そういえば、ラスベガスのホテルの副社長が空港までのホテルリムジンをサ-ビスしてくれたが、タクシ-代以上のはるかなチップを運転手に払ってしまった。サンフランシスコ高級ホテルのペントハウスに泊まらせられて貰って、結局ポ-タ-に払うチップなどで普通の部屋に泊まる料金になってしまったこともある。サ-ビスも自分の財布と相談して受けるべきか。

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