梅雨がまだ残るが、酷暑がやってくる。垣根に一本の夾竹桃が咲いていた。久しく見ていなかった。毒性を言われるまでにあちこちあった。高速道路のサイド植え込みが延々と続いていた。この光景を見たのは、半世紀はないが相当の昔にアオスタからローマへ向かう高速道路、オートストラ-ダだった。▼当時のバス旅ツア-の景色はところどころおぼろげに覚えている。大概のところは、テレビなどの映像で記憶の景色が塗り替えられたからだ。15日間の旅程はパリ🛤アムステルダム🚌バーデンバ-デン🚌ケルン🚌インタ-ラ-ケン🚌ベルン🚌ジュネ-ブ🚌ミラノ🚌フレンツエ🚌ローマ(よく思い出せるものだ、手配ミスが多く悩ませられたから)。▼スイスに入る手前で休憩したドイツ黒い森、印象的だった。インタ-ラ-ケンで風邪を引き、ユングフラウは人任せで、ホテルの前の芝生でアイガ-北壁を見てた。フレンツエのエクセルシオ-ルをチェック・アウトするとき、足止めを食らった。宿泊客に部屋の絵画を持ち去られ、トランク・チェックだった。▼ドライバ-は欧州5か国語のベテランで、米国ツア-が専らと。昼飯レストランでは必ずワインを顔で飲んだ、こちらもご相伴。離団の方のお姉さんが経営しているミラノの日本食店に寄った。インタ-ラ-ケンのホテルはホテル業研修生が夏のみ運営ホテルだった。ナプキンを袋にサインして、翌日出された。ナポリ全景のビュ-ポイントは、前年でバス入り禁止もドライバ-に突破してもらった。▼住まいが近くの夫妻と親しくなって、現在まで付き合いが。奥様は早く逝去・・。帰国後、若い女性メンバ-から電話があったが、失礼な感じで早く電話を切った。よい旅を悪くしてしまったと、サービス業として強く反省。柳橋の町内での皆さんは、なんか落語の大家さんと借家人みたいな関係で、車内を和ませた。▼旅には、雨嵐、大雪、濃霧などでの交通トラブル、ホテル、レストランの手違いなどなどいろいろある。前年のニュ-ギニア、豪州、NZの18日間は初っ端からトラブルでコースを乗換えの香港で逆にして、手配しながらの旅は19日間になったことも。若い時の経験で、海外では何でもありと思えば、心が座るようになった。
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