山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

変貌した多摩(防人の道、横山の道の崖上から)

2007年10月07日 18時26分47秒 | Weblog
秋の風景を求めて歩いた。途中に横山の道に出た。大妻女子大裏あたり。道標があった。道標には次のように記されていた。「遠く武蔵野を望むこの高台はかって鎌倉道と奥州古道の十字路があり・・・・・・明治40年建立の馬頭観音が平成10年頃までここにあり、溝橋本道、原町田道、八王子道、府中道と刻まれ・・・・・・・」。道は整備され、先に延びて長池裏付近で完成している。写真の手前は小田急線の唐木田操車場。真ん中は唐木田。先は多摩センタ-。武蔵野の野はなく、操車場がなければLAかと間違ってしまうほどの変貌。次はLAのSCかと間違ってしまう別所のSCでも撮影してみよう。横山の道の唐木田付近は崖上が多いから眺望がよい。見晴らしのよい尾根道は、生きて帰れるか解らぬ防人が故郷を何度となく振り返っただろうか。しかし今振り返っても、大道路と鉄筋の建物。そんな感慨にふける前に現実に戻される。
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1 コメント

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防人の道、勿来の関 (Unknown)
2007-10-09 16:46:29
 防人が通った道だというところは各地に残っているけれど昔の面影を残しているところはあるのだろうか?

 時代は下るが、去年の12月に鮟鱇鍋を食べに行ったついでに、勿来の関に寄ってみた。40年ぶりの再訪だが今は関の跡地にまで車で入れる。

 ここを通って八幡太郎義家が奥州征伐に出かけていったといわれているが、今でもほんの少しだけ当時を髣髴とさせる細い道が残っている。もちろん、当時のままであるはずはないし本当に当時の道だったかも定かではないだろう。

 しかし、落ち葉に覆われた狭い坂道はなんとなく遠い鎌倉が偲ばれるような錯覚に陥るのはボケかかった浪人だけだろうか。

 勿来の関の傍らには、義家一首が残されている。

 「吹く風を なこその関と思へども 道もせに散る 山桜かな」
                             
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