腰痛でゴロゴロしていると、あの世が近いのか、懐かしのビ-トルズ以前のアメリカンポップスを聴くと、最近のことより、昔のことの記憶がおぼろげから鮮明になってくる。高校生の頃は深夜放送が人気上昇のはじまりだった。北陸の片田舎で夜になると届く、東京と大阪のラジオ電波が波を打って届く。ニッポン放送の糸居五郎のオールナイトジョッキー、ラジオ大阪のアナウンサ-が曜日で交代の番組をよく聞いた。両局にリクエストを出して、いずれも放送された。多くのハガキから選ばれたのは地方に住んでいて多分優先されていたからだろう。蛇足だがニッポン放送制作の日立ミュージック・イン・ハイフォニックという全国放送番組ではジリオラ・チンクエッティのLPがもらえたこともあった。NHKでは週一回の石田豊のラジオジュ-クボックスはリクエストを出しても応えてくれなかった。タイトルの「逢えばとて」だがラジオ大阪の番組の終わりに必ず朗読される詩で、松野アナウンサ-の人生経験を経た読み方に、高校生にはすごく大人の恋の世界の詩に思えた。この番組が終わる頃は2時ごろだったか。
逢えばとて、語るべき言葉なけれど
逢わざれば、懐かしき人よ
逢わずとて、忘するるいとまなけれど
逢わざれば、離れゆく心地して
逢うべき日のみ そぞろまたる
ああ この心何と名付けん
しかし、ネットで何とか調べてみると作者は不詳だが、戦地に赴く兵が残る人にあてた詩のようだ。オリジナルは次のようだ。過酷な時代を思うと、イメ-ジが変わる。ラジオ大阪の詩は詩として記憶したままにしておこう。
逢えばとて・・・・
逢えばとて 語るべき言葉なけれど
逢わざれば いと なつかしき人よ
逢わざればとて 忘らるるいとまなけれど
逢わざれば 去りゆく心地にて
逢うことのみぞ 切に待たるる
画像はあの世に近かったから、金沢の小坂の蓮根畑の映像をアップした。そろそろ、加賀野菜の代表格が収穫を迎える。粘りある、もちもちした蓮根は金沢だけで、他の蓮根に比べれば高いが、手に入れば食べている。