
仲間から多摩センタ-駅で昼飯だが、その前に腹ごなしといわれて、困った。まさかサンリオピュ-ロランドでもないし、パルテノンもその裏も歩いているしと思って、ふとビルラッシュで隠れた縄文の家を再建した庭園があるのを思い出した。初めて訪れたが、庭は広葉樹で被われているわけでもなく、ここもピュ-ロランドの延長か。再建した家は三軒ある。ビルに囲まれたこの情景では古代まで思いをはせるのは無理があるが、この家の時代は紀元前2千年前というから、旧約聖書か中国なら殷か夏の時代か。お釈迦様も生まれていない。携帯で撮影。
何かと歴史というものは後世に覆されることが多いようだ。とくに言い伝えというものは余り信用できないものが多い。
歴史で思い出したが、山陰に明治大正に賑わった銀山がもう一つあった。兵庫県だから山陰とは言わないのだろうがまあ隣は鳥取県だから、東京の田舎者はこのあたりも山陰と思い込んでしまっている。
数年前に日本海に近い和田山から少し内陸に入るが生野という町に行ったことがある。銀山だった坑道などが観光施設になっていて入場料を払って見学したが、人はまばらだった。
駅正面の小高い山には散り始めた薄いピンクの山桜があちらこちらに点在していたから4月下旬か5月のはじめだったろう。駅前のもう無人となった木造の旅館が枯れた町の風情を残していた。銀が豊富に出た頃には大そうな賑わいだったようである。
探し回ってやっと見つけた役場近くの喫茶店で聞いたが、明治から大正にかけては銀谷(かなや)千軒と言って信じられないくらいな賑わいだったと言う。今も三菱?マテリアルの工場?があるようだが銀は掘リ尽くしたと聞いているのでレアメタルの採掘だろうか。
役場から程近い山の斜面には8~9軒のお寺が行儀良く並んでいて中には感心するような立派な建物もある。この町の規模にしてはやや多すぎるようにも思えるが、こんな寺院群が往時の生野銀山隆盛の名残であろうか。