山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

記憶に残るホテルとその風景

2018年02月24日 15時22分42秒 | Weblog

 LAGUNAは一泊しかしなかったが、美しい浜辺と丘陵は記憶に残る旅先だった。▼存在を知ったのは、その昔30年ほど前「星からの国際情報大森実ロス衛星中継」という夜のテレビ東京の番組だった。さかんにラグナを口にするその在住のジャナ-リスト、故大森実から大宅映子が国際情勢を聞き出すという番組だった。当時、サテライトを使ってのレギュラ-番組だった。▼その番組が終わった数年後、システム統合視察の名目で会社の5人プラス部外者で米西へ行った。現地視察、翌日はゴルフの半ばお遊びというか、ゴルフのための旅行だ。▼まずSFへ。ホテルは一流で、安背広の夕方ホテルうろつきはやめ、そそくさとバ-タイムまでノブヒルからユニオン広場へ。ユニオンの角の公衆電話が鳴り、仲間が取った。どこからのビルかホテルから、我々を観察しながらからかう電話。(脱線した)▼SFの次の泊りはロスでなくラグナだった。リッツカ-ルトンの第一号ホテルとの記憶しているが。あたりの環境は大森実が人生の最後をここで過ごしたか、よくわかり、羨ましく思えた。アメリカの金持ちが住むここは、銃とは程遠い、のどかな世界だ。このホテルも夕食時間には安背広ではまずいので、マリ-ナのレストランへ行ったw。最近ラグナもホワイトからアジア系の宿泊者が増えて、雰囲気が変わっているという。ゴルフ場はSFがよかった。ここラグナはガラガラ蛇がヤバイ。前者はその後3回プレ-したお気に入りだった。▼肝心の視察テ-マのシステム統合は帰国して会社に先取りを訴えたが、実行に移されたのは10数年後の時代に取り残されそうになってからだ。残念も心も何もない。経営不在だろうとしか。

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