
五兵衛のことは、さておき我が家の寺の近くにあることは知らなかった。写真にある立て札の「加越能史談会」のHPが見つからない。加越能とは前田120万石は加賀、越中、能登の三つの国から構成されていたことに発している。昔は地形や交通事情から金沢から近いのは越中で能登は遠く交流は高岡を中心とした越中がもっぱらだった。方言も近いが、現代は差がなくなってきている。母親は前田直参家来千石の士族と誇りはあったが、血筋は遡ってよく見れば越中の血もある。親父も遡るとやはり、富山に行く。江戸っ子と同じかぁ。血筋なんてのは純粋なんてあったらクレオパトラのプトレマイオス王朝の近親結婚しか考えられない。
ゴヒョウエと打てば出そうなもんだが、カナ文字でしか表現できない。
熟語登録すれば良いのだろうがPCではこんあことが良くあって少しイラツクことも多い。
銭谷五兵衛の名前は聞いた記憶はあるけれど、さて歴史上のどんな人物かというと、全く知らないというのが正直なところ。
金沢近辺に在住なら、小学校の教科書に載っていたかもしれないが、東京砂漠育ちでは、習っていないんだろうと思う。
HP見ると記念館があるそうな?
最近出来た施設だろうと思うけど、歴史に由来する観光施設は作っても長続きするだろう。
単なる箱物と違って郷土の歴史上の人物を顕彰することになるし、土地の子供達の教材にするとともに、そのついでに観光客も来れば多少の入場料が稼げるというものである。
しかし、地域によってはその人物の業績をややデッチアゲとも思えるような誇大評価をしている資料館等もあるのは教育上も宜しくない。
もしかすると、誇大評価してはいけない、嘘はいけないという反面教師にしているのかもしれないが…。