都の貴人の警護に当たる人々は若い武者が向いている。その修練の場として一度は勤めなければならないのが夜間の宿直(とのゐ)だ。或る夏の夜。二人の若武者がとある貴人の邸宅の宿直に当たっていた。互いに十八番の物語を順番に語り合って過ごしていた。隣室は応接間になっていて既に地位を持つ「五位侍(ごゐさぶらひ)」が武具を取り外して寝ていた。その夜更け。東側に向かい合って建っている家の屋根から、二、三メートルもあろうかと思われる木の板が忽然と出現した。二人は奇怪な事態が発生したと緊張する。板を下から登って放火に及ぶ盗賊なら時々はいるだろう。しかし屋根の上から板だけがにょきにょき姿を現わしてくる。
「彼(あ)レハ何ゾ。彼(かしこ)ニ只今板ノ可指出(さしいづべ)キ様(やう)コソ無(な)ケレ。若(も)シ、人ナドノ火付ケムト思(おもひ)テ、屋(や)ノ上ニ登ラムト為(す)ルニヤ。然(さ)ラバ、下(した)ヨリコソ板ヲ立(たて)テ可登(のぼるべ)キニ、此レハ、上(うへ)ヨリ板ノ指出(さしいで)タルハ、不心得(こころえ)ヌ事カナ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.122」岩波書店)
するする出てきた板は全体像を見せたかと思う間に、ただ板だけがひらひら宙を漂い始めた。
「此ノ板、俄(にはか)ニヒラヒラト飛(とび)テ、此ノ二人ノ侍ノ居タル方様(かたざま)ニ来(きた)ル」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.122~123」岩波書店)
ひらひらと宙に舞い上がるものの怪の話は少し前、「僧都殿」(そうづどの)の条で述べた。「赤キ単衣(ひとへぎぬ)」が榎の梢にふらふらと舞い上がる話だった。
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熊楠による熊野案内/紀州と山ノ神の消息
その伝承について、或る種の樹木を伐採して用いたことに原因の一つを求められるのではと述べた。というのは、古代から近代日本誕生までの長い間、人々の頭脳は現代人が既に失った経験知を豊富に持っていたと考えられるからだ。先住民であろうとなかろうと漂泊を主流とする回遊民を含め、大多数の人々は、周囲がどのような地形から成り立っている場合、さらにどのような場所にずっしり育った樹木などがある場合、それを伐採して枯らしてしまったりすると自然災害発生時にたちまち土砂崩れ・地割れ・陥没・堤防決壊・家屋倒壊・村落壊滅などが発生するかという程度の知識なら近現代人より遥かに豊富に身に染みて知っていたからである。だから自然生態系の撹乱を怖れたし生態系に対する土着の祭祀は欠かさず行われていた。不必要な森林伐採に手を付けた場合、その影響は伐採された樹木が運ばれてきたその場で立ちどころに現われる。それまでその木を取り巻いていた条件の急変により木の幹に不自然な穴がぽこっと開いたりする。放置しておくとそこに新しく出来た生育環境に適したまったく新種の茸類が生えてきたりすることは今でもしばしば見かける常識的教養に属する。その菌類がたまたま劇薬レベルの毒性を持つこともあれば、特定の毒性だけでなく次々と変異しつつさらに異なる毒性の胞子を風のまにまに飛ばしていくケースなら大人はもちろん小学生程度になれば幾らも想定できるだろう。ほんの数年前、日本で「ど根性大根」とか馬鹿馬鹿しい言葉が流行した。どこの何が「ど根性」なのか。むしろ事態はまったく逆。どんな都会であっても、それこそまたとない生育条件がそこにぽっかり出来たため、当然それはその場で生育するべくして生育してきたに過ぎない。そうならないほうが逆におかしい。人間のいない所に人肉食はないように。
二人の侍が刀を抜いて謎の板を待ち構えていると、板は二人を無視して隣の「出居」(でゐ)=「応接間」の隅に少しばかり開いていた隙間へ入っていた。
「傍(かたはら)ナル格子(かうし)ノ迫(はさま)ノ塵許(ちり)許(ばかり)有(あり)ケルヨリ、此ノ板、コソコソトシテ入(いり)ヌ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.123」岩波書店)
そこでは五位侍が寝ているはずだが、と思って様子を窺っていると、中から妖怪に取り憑かれたかのような異様な呻き声が聞こえ、再び静まり返った。
「其ノ内ハ出居(でゐ)ノ方(かた)ナレバ、彼ノ寝タリツル五位侍(ごゐさぶらひ)、物ニ被壓(おそはれ)タル人ノ様(やう)ニ、二、三度許(ばかり)ウメキテ、亦(また)音(こゑ)モ不為(せ)ザリケレバ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.123」岩波書店)
もしやと二人は他の仲間たちを起こし、それぞれ灯火を手に続々と集まった。「出居」(でゐ)=「応接間」を開けて灯火で照らしてみたところ、五位侍(ごゐさぶらひ)はぺったんこにひしげ潰され放置されていた。板の姿も見当たらない。
「人々起(おき)テ火ヲ燃(とも)シテ寄(より)テ見ケレバ、其ノ五位侍ヲコソ、真平(まひら)ニヒシギ殺シテ置(おき)タリケリ。板、外(と)ヘ出(いづ)トモ不見(み)エズ。亦、内ニモ不見(みえ)ザリケリ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.123」岩波書店)
妖怪とかものの怪は変身する。変身して始めてものの怪として呼ばれ騒がれる。また、五位侍(ごゐさぶらひ)が「真平(まひら)」に圧迫され押し潰されていたことと、板は真っ平らであることとは何か関係があるのかもしれない。そもそも始めから真っ平らな木などあるわけがない。
五位侍は刀を取り外して寝ていたことから、例によって例のごとく、一人前の男性なら「大刀・刀」をいつも肌身離さず心がけることにしようという、当たり障りのない教訓で終わっている。
「男ト成(なり)ナム者ハ、尚(なほ)大刀・刀ハ身ニ可具(ぐすべ)キ物也」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.123」岩波書店)
ところでもう少し考えたい。武士に必要な武具とは何か。あるいは何であるべきか。何であってはならないか。牛若(源義経)・鬼若(武蔵坊弁慶)のエピソードから。
「武蔵房は弓を持たず、四尺二寸(約1.27メートル)の柄に鶴(つる)の装飾を施(ほどこ)した太刀を持ち、岩透(いわとお)しと呼ばれる脇差(わきざし)を腰に差していた。そして猪(いのしし)の目を彫(ほ)った鉞(まさかり)と薙鎌(なぎかま)、それに熊手(くまで)を添えて舟の中に投げ入れた。そしていつも身から放さぬ一丈二尺(約3.6メートル)の棒に、筋金(すじがね)を蛭巻(ひるま)きにして尖端(せんたん)を金具で包(つつ)んだ櫟(いちい)の打ち棒を小脇に抱えて小舟に飛び乗った」(「〔現代語〕義経記・巻第四・住吉大物二ヶ所合戦のこと・P.186」勉誠出版)
この時点で「弁慶の七つ道具」は「太刀・脇差(わきざし)・鉞(まさかり)・薙鎌(なぎかま)・熊手(くまで)・櫟(いちい)の打ち棒」。六種類である。それが江戸時代の文献「鬼一法眼三略巻」では「熊手・薙鎌・鉄棒・木槌・鋸・鉞・刺股」へと変わる。共通するのは「熊手・薙鎌・鉞」。いずれも武具というより遥かに神事に用いる祭具に近い。さらにどれを取っても山神にとっての「三種の神器」として記憶されることが是が非でも重要だった。牛若(源義経)と鬼若(弁慶)とは京の都から北西の山間部に位置する鞍馬寺へ預けられた過去を持つ。二人とも世俗の政治家・武家の頭領としての源頼朝とは違い、あらかじめ山岳地帯から出現して鬼神的活躍を見せつけた後、今度は再び山岳地帯へ追われさらに殺害されるという神話的伝説に彩られる必要性を受け持たされていた。
平野部の支配者は常に実在性と現実性とを要求されており、なおかつ実在人物として歴史に名を残している。だが歴史的合戦を押し進めて一旦終結・城内安定へ持っていくためには山人なり海人なりの出現が必ず要請されずにはおかない。加速的に列島各地に定着していく稲作農耕文化がいつもいつも危機に晒されていてはコンスタントに税収を得ることは考えるまでもなく不可能。そこで危機回避のために稲作農耕文化以前から圧倒的に山間部が多い列島各地で暮らしておりなおかつ先史時代から倭国の地にいた先住民とその末裔らとの接点並びに取引の場を確保しておく必要性が常にあった。
変化するということ。変化して始めて妖怪・悪霊・ものの怪はそう呼ばれる資格を獲得するということ。狙った獲物は外さないと同時にものの怪も消え失せている点。さらに、着物の出現なしに着物を着た幽霊を見た人間は歴史上いまだかつてないこと。制服の出現なしに制服を着た亡霊を見た人間もまたいないということ。同様にミニスカート・スーツの出現なしにミニスカート・スーツ姿の幽霊を見たという人間もいないこと。
さらになお言っておくと、経済的に平均的な中間層世帯であっても今の大学生は学問らしき研究に打ち込める時間がどんどん失われている実情は憂慮すべき事態に違いない。国会の与党と大阪維新の会はなるほど新自由主義に隷属したために行き過ぎたかも知れないが、立憲民主党なら少しは安全かも知れないと聞いたふうなことを信じ込んでいる始末。立民もまた大いに原発利権、社民党は急速に先細るパチンコ利権にすがり付いていることさえ知らない学生がいるという信じ難い世の中が常態化している。
だから共産党がいいかというと都道府県によって随分事情が異なるということもまるで知らない。ただ、京都市の場合は例外的に共産党を除いてオール与党なのでわかる学生にはわかりやすいかも知れないが。ともかく、マスコミの御用コメンテーターという現代の妖怪がのさばっている社会では、社会人になるために必要最低限の事柄を知る時間をけっして与えない企業風土、油断も隙もない経営手法はますます増殖しつつ実質賃金低下はまったくの自己責任ででもあるかのように《見える》現象がこのまま相続されていくのは間違いない。留まるところを知らずぐんぐんと。今のところ京都市内を中心に京阪神の中小不動産業者は皆、様子見に入っている。つい最近までみるみるまに建設されたホテル群だが、パンデミックで建設中止のまま埃をかぶって放置されている名目ばかりのホテルがどれだけあるか。経営コンサルに丸投げしていた民泊・旅館などは投資がぷっつり途絶えたため、多額の資金を用意してせっかく新築・改築した鉄骨部分はもう昨年秋冬のうちに錆を生じ始めている箇所があることも。京都市は公表しない。というよりもはや出来ない状況に立ち至っている。最大投資家は中国人富裕層。それをトランプ政権と自公与党が精一杯割り込み阻止した。京都市民は何一つ知らされずあたかもこれが自然の成り行きであるかのように思いこまされたまま諦めることを迫られ、ばたばた餓死していくほかないのだろうか。しかも今述べた中小不動産業者の情報は不動産業者の間では共有しても何ら構わない〔当然洩れて知れ渡ることを見越した上で印字された〕ほんの僅かばかりの事実に過ぎない。というのは、業者同士の間では共有しておいたほうが良いだろうと思われる実状だけが今年の賀状を通して既に出廻った半ば公然の情報でしかないからである。
なお、まだ二十代で単身でなおかつ語学力に自信があるなら国外移住という手段も考えられはしよう。だがあいにく諸外国も新自由主義の破壊力を創造力と取り違える錯覚に陥ったため、諸外国の法律もまたそう簡単に他国からの移住希望者を受け入れるよう変更する余地などもう閉鎖して失われた状態を堅持している。とすればとりわけ多くの後期高齢者を抱えた京都市民はどうすればいいのか。パンデミックは自然災害かもしれない。だがパンデミック発生時の対応策は様々な方面から提出されていたにもかかわらずどこ吹く風とばかりに無視してきたのは京都市にほかならない。京都市が終われば大阪大空襲、そしてとうとう東京大空襲が始まる。丸の内界隈に集中している世界的大規模地所は周囲が瓦礫化していく風景を眺めながら何を思っているのだろうか。もはやさっぱり。ニーチェはいう。
「残忍とは《他人の》苦悩を眺める際に生じるものだとのみ教えなければならなかった以前の愚鈍な心理学を追い払わなければならない。自分自身の苦悩、自分自らを苦しめるということにも夥(おびただ)しい、有り余るほどの享楽があるのだ。ーーー人間は密(ひそ)かに自己の残忍さによって誘われているのであり、《自己自身に対して》向けられた残忍のあの危険な戦慄によって突き進められている」(ニーチェ「善悪の彼岸・二二九・P.212~213」岩波文庫)
というふうにまたしても同じことばかり何度も反復連呼されなくてはならないのだろうか。とすれば一体人間社会は戦後七十五年以上も経って、にもかかわらず重要事項はほとんど何一つとして学んでこなかったということだろうか。結局は未来永劫敗戦ミソギ論ばかりがただひたすらだらだらと引き延ばされていくだけなのか。マスコミの御用コメンテーターらが国外へ出ない理由は感染拡大防止のためだけでなくむしろ逆に、下手に外国へ出れば何十億人という飢えた人々の中から黒く丸い銃口がじっと狙いを付けて付きまとっているのを直視するのを怖れているからだろうか。そうでなければではなぜこんな事態に立ち至っているのだろうか。パンデミック下でも一部の芸能人の出産報告は歓迎された。だがその子どもたちが祖父・祖母になる頃、その子や孫たちはたとえ生き延びたとしても、どこでどのような生活を送ることになっているだろうか。冷戦時代、香港の港湾地区に密集する船の上で生まれてから死ぬまで一生を送っていた無数の人々。中南米の山々の斜面で足の踏み場もなくべったりとへばり付いて百万ドルの夜景を彩る無数の売買春街。自動小銃とデザイナー・ドラッグの宝庫。今なお鮮明に覚えているあの光景。一刻も早く説明すべきが妥当だろうと思われる。
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「彼(あ)レハ何ゾ。彼(かしこ)ニ只今板ノ可指出(さしいづべ)キ様(やう)コソ無(な)ケレ。若(も)シ、人ナドノ火付ケムト思(おもひ)テ、屋(や)ノ上ニ登ラムト為(す)ルニヤ。然(さ)ラバ、下(した)ヨリコソ板ヲ立(たて)テ可登(のぼるべ)キニ、此レハ、上(うへ)ヨリ板ノ指出(さしいで)タルハ、不心得(こころえ)ヌ事カナ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.122」岩波書店)
するする出てきた板は全体像を見せたかと思う間に、ただ板だけがひらひら宙を漂い始めた。
「此ノ板、俄(にはか)ニヒラヒラト飛(とび)テ、此ノ二人ノ侍ノ居タル方様(かたざま)ニ来(きた)ル」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.122~123」岩波書店)
ひらひらと宙に舞い上がるものの怪の話は少し前、「僧都殿」(そうづどの)の条で述べた。「赤キ単衣(ひとへぎぬ)」が榎の梢にふらふらと舞い上がる話だった。
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熊楠による熊野案内/紀州と山ノ神の消息
その伝承について、或る種の樹木を伐採して用いたことに原因の一つを求められるのではと述べた。というのは、古代から近代日本誕生までの長い間、人々の頭脳は現代人が既に失った経験知を豊富に持っていたと考えられるからだ。先住民であろうとなかろうと漂泊を主流とする回遊民を含め、大多数の人々は、周囲がどのような地形から成り立っている場合、さらにどのような場所にずっしり育った樹木などがある場合、それを伐採して枯らしてしまったりすると自然災害発生時にたちまち土砂崩れ・地割れ・陥没・堤防決壊・家屋倒壊・村落壊滅などが発生するかという程度の知識なら近現代人より遥かに豊富に身に染みて知っていたからである。だから自然生態系の撹乱を怖れたし生態系に対する土着の祭祀は欠かさず行われていた。不必要な森林伐採に手を付けた場合、その影響は伐採された樹木が運ばれてきたその場で立ちどころに現われる。それまでその木を取り巻いていた条件の急変により木の幹に不自然な穴がぽこっと開いたりする。放置しておくとそこに新しく出来た生育環境に適したまったく新種の茸類が生えてきたりすることは今でもしばしば見かける常識的教養に属する。その菌類がたまたま劇薬レベルの毒性を持つこともあれば、特定の毒性だけでなく次々と変異しつつさらに異なる毒性の胞子を風のまにまに飛ばしていくケースなら大人はもちろん小学生程度になれば幾らも想定できるだろう。ほんの数年前、日本で「ど根性大根」とか馬鹿馬鹿しい言葉が流行した。どこの何が「ど根性」なのか。むしろ事態はまったく逆。どんな都会であっても、それこそまたとない生育条件がそこにぽっかり出来たため、当然それはその場で生育するべくして生育してきたに過ぎない。そうならないほうが逆におかしい。人間のいない所に人肉食はないように。
二人の侍が刀を抜いて謎の板を待ち構えていると、板は二人を無視して隣の「出居」(でゐ)=「応接間」の隅に少しばかり開いていた隙間へ入っていた。
「傍(かたはら)ナル格子(かうし)ノ迫(はさま)ノ塵許(ちり)許(ばかり)有(あり)ケルヨリ、此ノ板、コソコソトシテ入(いり)ヌ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.123」岩波書店)
そこでは五位侍が寝ているはずだが、と思って様子を窺っていると、中から妖怪に取り憑かれたかのような異様な呻き声が聞こえ、再び静まり返った。
「其ノ内ハ出居(でゐ)ノ方(かた)ナレバ、彼ノ寝タリツル五位侍(ごゐさぶらひ)、物ニ被壓(おそはれ)タル人ノ様(やう)ニ、二、三度許(ばかり)ウメキテ、亦(また)音(こゑ)モ不為(せ)ザリケレバ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.123」岩波書店)
もしやと二人は他の仲間たちを起こし、それぞれ灯火を手に続々と集まった。「出居」(でゐ)=「応接間」を開けて灯火で照らしてみたところ、五位侍(ごゐさぶらひ)はぺったんこにひしげ潰され放置されていた。板の姿も見当たらない。
「人々起(おき)テ火ヲ燃(とも)シテ寄(より)テ見ケレバ、其ノ五位侍ヲコソ、真平(まひら)ニヒシギ殺シテ置(おき)タリケリ。板、外(と)ヘ出(いづ)トモ不見(み)エズ。亦、内ニモ不見(みえ)ザリケリ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.123」岩波書店)
妖怪とかものの怪は変身する。変身して始めてものの怪として呼ばれ騒がれる。また、五位侍(ごゐさぶらひ)が「真平(まひら)」に圧迫され押し潰されていたことと、板は真っ平らであることとは何か関係があるのかもしれない。そもそも始めから真っ平らな木などあるわけがない。
五位侍は刀を取り外して寝ていたことから、例によって例のごとく、一人前の男性なら「大刀・刀」をいつも肌身離さず心がけることにしようという、当たり障りのない教訓で終わっている。
「男ト成(なり)ナム者ハ、尚(なほ)大刀・刀ハ身ニ可具(ぐすべ)キ物也」(「今昔物語集5・巻第二十七・第十八・P.123」岩波書店)
ところでもう少し考えたい。武士に必要な武具とは何か。あるいは何であるべきか。何であってはならないか。牛若(源義経)・鬼若(武蔵坊弁慶)のエピソードから。
「武蔵房は弓を持たず、四尺二寸(約1.27メートル)の柄に鶴(つる)の装飾を施(ほどこ)した太刀を持ち、岩透(いわとお)しと呼ばれる脇差(わきざし)を腰に差していた。そして猪(いのしし)の目を彫(ほ)った鉞(まさかり)と薙鎌(なぎかま)、それに熊手(くまで)を添えて舟の中に投げ入れた。そしていつも身から放さぬ一丈二尺(約3.6メートル)の棒に、筋金(すじがね)を蛭巻(ひるま)きにして尖端(せんたん)を金具で包(つつ)んだ櫟(いちい)の打ち棒を小脇に抱えて小舟に飛び乗った」(「〔現代語〕義経記・巻第四・住吉大物二ヶ所合戦のこと・P.186」勉誠出版)
この時点で「弁慶の七つ道具」は「太刀・脇差(わきざし)・鉞(まさかり)・薙鎌(なぎかま)・熊手(くまで)・櫟(いちい)の打ち棒」。六種類である。それが江戸時代の文献「鬼一法眼三略巻」では「熊手・薙鎌・鉄棒・木槌・鋸・鉞・刺股」へと変わる。共通するのは「熊手・薙鎌・鉞」。いずれも武具というより遥かに神事に用いる祭具に近い。さらにどれを取っても山神にとっての「三種の神器」として記憶されることが是が非でも重要だった。牛若(源義経)と鬼若(弁慶)とは京の都から北西の山間部に位置する鞍馬寺へ預けられた過去を持つ。二人とも世俗の政治家・武家の頭領としての源頼朝とは違い、あらかじめ山岳地帯から出現して鬼神的活躍を見せつけた後、今度は再び山岳地帯へ追われさらに殺害されるという神話的伝説に彩られる必要性を受け持たされていた。
平野部の支配者は常に実在性と現実性とを要求されており、なおかつ実在人物として歴史に名を残している。だが歴史的合戦を押し進めて一旦終結・城内安定へ持っていくためには山人なり海人なりの出現が必ず要請されずにはおかない。加速的に列島各地に定着していく稲作農耕文化がいつもいつも危機に晒されていてはコンスタントに税収を得ることは考えるまでもなく不可能。そこで危機回避のために稲作農耕文化以前から圧倒的に山間部が多い列島各地で暮らしておりなおかつ先史時代から倭国の地にいた先住民とその末裔らとの接点並びに取引の場を確保しておく必要性が常にあった。
変化するということ。変化して始めて妖怪・悪霊・ものの怪はそう呼ばれる資格を獲得するということ。狙った獲物は外さないと同時にものの怪も消え失せている点。さらに、着物の出現なしに着物を着た幽霊を見た人間は歴史上いまだかつてないこと。制服の出現なしに制服を着た亡霊を見た人間もまたいないということ。同様にミニスカート・スーツの出現なしにミニスカート・スーツ姿の幽霊を見たという人間もいないこと。
さらになお言っておくと、経済的に平均的な中間層世帯であっても今の大学生は学問らしき研究に打ち込める時間がどんどん失われている実情は憂慮すべき事態に違いない。国会の与党と大阪維新の会はなるほど新自由主義に隷属したために行き過ぎたかも知れないが、立憲民主党なら少しは安全かも知れないと聞いたふうなことを信じ込んでいる始末。立民もまた大いに原発利権、社民党は急速に先細るパチンコ利権にすがり付いていることさえ知らない学生がいるという信じ難い世の中が常態化している。
だから共産党がいいかというと都道府県によって随分事情が異なるということもまるで知らない。ただ、京都市の場合は例外的に共産党を除いてオール与党なのでわかる学生にはわかりやすいかも知れないが。ともかく、マスコミの御用コメンテーターという現代の妖怪がのさばっている社会では、社会人になるために必要最低限の事柄を知る時間をけっして与えない企業風土、油断も隙もない経営手法はますます増殖しつつ実質賃金低下はまったくの自己責任ででもあるかのように《見える》現象がこのまま相続されていくのは間違いない。留まるところを知らずぐんぐんと。今のところ京都市内を中心に京阪神の中小不動産業者は皆、様子見に入っている。つい最近までみるみるまに建設されたホテル群だが、パンデミックで建設中止のまま埃をかぶって放置されている名目ばかりのホテルがどれだけあるか。経営コンサルに丸投げしていた民泊・旅館などは投資がぷっつり途絶えたため、多額の資金を用意してせっかく新築・改築した鉄骨部分はもう昨年秋冬のうちに錆を生じ始めている箇所があることも。京都市は公表しない。というよりもはや出来ない状況に立ち至っている。最大投資家は中国人富裕層。それをトランプ政権と自公与党が精一杯割り込み阻止した。京都市民は何一つ知らされずあたかもこれが自然の成り行きであるかのように思いこまされたまま諦めることを迫られ、ばたばた餓死していくほかないのだろうか。しかも今述べた中小不動産業者の情報は不動産業者の間では共有しても何ら構わない〔当然洩れて知れ渡ることを見越した上で印字された〕ほんの僅かばかりの事実に過ぎない。というのは、業者同士の間では共有しておいたほうが良いだろうと思われる実状だけが今年の賀状を通して既に出廻った半ば公然の情報でしかないからである。
なお、まだ二十代で単身でなおかつ語学力に自信があるなら国外移住という手段も考えられはしよう。だがあいにく諸外国も新自由主義の破壊力を創造力と取り違える錯覚に陥ったため、諸外国の法律もまたそう簡単に他国からの移住希望者を受け入れるよう変更する余地などもう閉鎖して失われた状態を堅持している。とすればとりわけ多くの後期高齢者を抱えた京都市民はどうすればいいのか。パンデミックは自然災害かもしれない。だがパンデミック発生時の対応策は様々な方面から提出されていたにもかかわらずどこ吹く風とばかりに無視してきたのは京都市にほかならない。京都市が終われば大阪大空襲、そしてとうとう東京大空襲が始まる。丸の内界隈に集中している世界的大規模地所は周囲が瓦礫化していく風景を眺めながら何を思っているのだろうか。もはやさっぱり。ニーチェはいう。
「残忍とは《他人の》苦悩を眺める際に生じるものだとのみ教えなければならなかった以前の愚鈍な心理学を追い払わなければならない。自分自身の苦悩、自分自らを苦しめるということにも夥(おびただ)しい、有り余るほどの享楽があるのだ。ーーー人間は密(ひそ)かに自己の残忍さによって誘われているのであり、《自己自身に対して》向けられた残忍のあの危険な戦慄によって突き進められている」(ニーチェ「善悪の彼岸・二二九・P.212~213」岩波文庫)
というふうにまたしても同じことばかり何度も反復連呼されなくてはならないのだろうか。とすれば一体人間社会は戦後七十五年以上も経って、にもかかわらず重要事項はほとんど何一つとして学んでこなかったということだろうか。結局は未来永劫敗戦ミソギ論ばかりがただひたすらだらだらと引き延ばされていくだけなのか。マスコミの御用コメンテーターらが国外へ出ない理由は感染拡大防止のためだけでなくむしろ逆に、下手に外国へ出れば何十億人という飢えた人々の中から黒く丸い銃口がじっと狙いを付けて付きまとっているのを直視するのを怖れているからだろうか。そうでなければではなぜこんな事態に立ち至っているのだろうか。パンデミック下でも一部の芸能人の出産報告は歓迎された。だがその子どもたちが祖父・祖母になる頃、その子や孫たちはたとえ生き延びたとしても、どこでどのような生活を送ることになっているだろうか。冷戦時代、香港の港湾地区に密集する船の上で生まれてから死ぬまで一生を送っていた無数の人々。中南米の山々の斜面で足の踏み場もなくべったりとへばり付いて百万ドルの夜景を彩る無数の売買春街。自動小銃とデザイナー・ドラッグの宝庫。今なお鮮明に覚えているあの光景。一刻も早く説明すべきが妥当だろうと思われる。
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