白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/平安京の水精(みづのたま)

2021年01月17日 | 日記・エッセイ・コラム
長い間、疑われずに信じ込まれてきた事情。

「粘菌が原形体として朽木枯葉を食いまわること(イ)やや久しくして、日光、日熱、湿気、風等の諸因縁に左右されて、今は原形体で止まり得ず、(ロ)原形体がわき上がりその原形体の分子どもが、あるいはまずイ’なる茎(くき)となり、他の分子どもが茎をよじ登りてロ’なる胞子となり、それと同時にある分子どもが(ハ)なる胞壁となりて胞子を囲う。それと同時にまた(ニ)なる分子どもが糸状体となって茎と胞子と胞壁とをつなぎ合わせ、風等のために胞子が乾き、糸状体が乾きて折れるときはたちまち胞壁破れて胞子散飛し、もって他日また原形体と化成して他所に蕃殖するの備えをなす。かく出来そろうたを見て、やれ粘菌が生えたといいはやす。しかるに、まだ乾かぬうちに大風や大雨があると、一旦、茎、胞壁、胞子、糸状体となりかけたる諸分子がたちまちまた跡を潜めてもとの原形体となり、災害を避けて木の下とか葉の裏に隠れおり、天気が恢復すればまたその原形体が再びわき上がりて胞囊を作るなり。原形体は活動して物を食いありく。茎、胞囊、胞子、糸状体と化しそろうた上は少しも活動せず。ただ後日の蕃殖のために胞子を擁護して、好機会をまちて飛散せしめんとかまうるのみなり。故に、人が見て原形体といい、無形のつまらぬ痰(たん)様の半流動体と蔑視さるるその原形体が活物で、後日蕃殖の胞子を護るだけの粘菌は実は死物なり。死物を見て粘菌が生えたと言って活物と見、活物を見て何の分職もなきゆえ、原形体は死物同然と思う人間の見解がまるで間違いおる。すなわち人が鏡下にながめて、それ原形体が胞子を生じた、それ胞壁を生じた、それ茎を生じたと悦ぶは、実は活動する原形体が死んで胞子や胞壁に固まり化するので、一旦、胞子、胞壁に固まらんとしかけた原形体が、またお流れになって原形体に戻るのは、粘菌が死んだと見えて実は原形体となって活動を始めたのだ。今もニューギニア等の土蕃は死を哀れむべきこととせず、人間が卑下の現世を脱して微妙高尚の未来世に生するのを一段階に過ぎずとするも、むやみに笑うべきでない」(南方熊楠「浄愛と不浄愛、粘菌の生態、幻像、その他」『浄のセクソロジー・P.335~337』河出文庫)

熊楠にはそれが見えた。なぜか。ニーチェはいう。

「私たちは、後を追って継起する規則的なものに馴れきってしまったので、《そこにある不思議なものを不思議がらないのである》」(ニーチェ「権力への意志・下巻・六二〇・P.153」ちくま学芸文庫)

という呪縛から逃れることができたからである。熊楠はそれを新しく「発見した」。粘菌の変態性を見出した。粘菌は死んだのではない。回帰したのだ。

今回も続けて妖怪〔鬼・ものの怪〕の特徴=変身性について見ていこう。「水精」(みづのたま)あるいは「水神」(みづのかみ)。だからといってそれはいつも神々しい童女の姿で現われるとはまったく限らない。京の都の大内裏のすぐ近く、東南の方角に「陽成院」の邸宅があった。

「陽成院(やうぜいのゐん)ノ御(おはし)マシケル所ハ、二条ヨリハ北、西ノ洞院(とうゐん)ヨリハ西、大炊(おほひ)ノ御門(みかど)ヨリハ南、油ノ小路ヨリハ東、二町(ふたまち)ニナム住(すま)セ給ケル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第五・P.98」岩波書店)

たいへんわかりにくい書き方なので今の住所に変換するとほぼこうなる。

京都市中京区夷川通(えびすがわどおり)小川東入東夷川通付近。北側に児童公園がある。

「陽成院」については様々な歴史研究がなされている。史上稀に見る「宮中殺人事件」の犯人か少なくとも事件関係者の中で最もそれに近い位置にいた人物として。しかしそれとこれとは関係がない。「水精」(みづのたま)が出現したのは陽成院が死んだ後、広大だった邸宅跡地に住む人間はほとんどいなくなり、「冷泉院ノ小路」を隔てて隣接する北側は住宅地になったものの、南側は荒れ果て幾つかの池などが放置されたままになっていた頃。

或る夏の日の夜。跡地の敷地に残って住んでいた人が西面する対の屋の縁側で寝ていた。するとそこへ身長九十センチ程の小さな翁(おきな)がふらりとやって来て寝ている人の顔をじっと覗き込んだ。何か来たと思いはしたが怖ろしさのあまりどうすればよいのかわからず、ともかく寝たふりをしていた。しばらくすると何もなかったかのように翁はやって来た方角へ戻っていった。その夜はとても明るい星月夜(ほしづくよ)。だから翁の姿はよく見える。どこまで行くのか目で追っていると、近くに残っている池の縁まで歩いていったところで不意に消えた。

「夏比(ごろ)西ノ台(たい)ノ延(えん)ニ人ノ寝タリケルヲ、長(たけ)三尺許(ばかり)有ル翁(おきな)ノ来テ、寝タル人ノ顔ヲ捜(さぐり)ケレバ、怪シト思(おもひ)ケレドモ、怖シクテ何(い)カニモ否不為(えせ)ズシテ、虚寝(そらね)ヲシテ臥(ふし)タリケレバ、翁和(やは)ラ立返(たちかへり)テ行クヲ、星月夜(ほしづくよ)ニ見遣(みやり)ケレバ、池ノ汀(みぎは)ニ行キテ掻消(かきけ)ツ様ニ失(うせ)ニケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第五・P.98~99」岩波書店)

その池は手入れしなくなってからもう随分になる。浮草や菖蒲が生い繁るまま伸び放題、絡み放題で濁り果て、不気味な妖気を漂わせている。それから翁は毎晩やって来るようになった。そこで近所の知人らに相談した。話を聞かされた皆はほとんど怖気付いて尻込するばかり。が、一人の武者めいた者が名乗り出て「おれが麻縄で縛り付けて必ず捕えてやる」と意気込んでその縁側へ出かけ、寝ずに翁の出現を待つことにした。麻縄を握りしめている。陽が沈み、辺りは暗闇に包まれた。そろそろ真夜中かと思っているうちにだんだんうとうとと居眠りかけてしまった。と、ふいに顔面をひんやりと撫でるものがある。武者ははっと目覚めて気を取り直し、持っていた麻縄でとっさにその何だかわからない物をとことん縛りに縛り、縁側の高欄にびしりと縛り付けた。人を呼ぶと灯火を手に他の者らもどやどやと集まってきた。

「夜半(よなか)ハ過(すぎ)ヤシヌラムト思フ程ニ、待カネテ少シマドロミタリケルニ、面(おもて)ニ物ノ氷(ひや)ヤカニ当リケレバ、心ニ懸(かけ)テ待ツ事ナレバ、寝心(こごころ)ニモ急(き)ト思(おぼ)エテ、驚クママニ起上(おきあがり)テ捕ヘツ。苧縄ヲ以テ只縛リニ縛テ、高欄(かうらん)ニ結付(ゆひつけ)ツ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第五・P.99」岩波書店)

灯火を照らしてよく見ると、身長九十センチ程で薄い青色の衣を着た小さな翁。とても疲れて今にも倒れそうな様子で目をしばたいている。何か聞こうと尋ねてみてもただ黙っているばかり。しばらくするといかにも力なく弱々しげな笑みを浮かべ、消え入りそうな頼りない声で「盥(たらい)に水を汲んで持ってきてくれないか」と言う。さっそく盥に水を入れて持ってきてやった。翁は盥に張られた水に映る自分の面立ちを見ていう。「我レハ水ノ精(たま)ゾ」と。言うや否や翁は盥の水の中に落ちてそのまま消え失せた。

「大キナル盥ニ水ヲ入(いれ)テ前ニ置(おき)タレバ、翁頸(くび)ヲ延(の)ベテ盥ニ向(むかひ)テ水影(みづかげ)ヲ見テ、『我レハ水ノ精(たま)ゾ』ト云テ、水ニヅブリト落入(おちいり)ヌレバ、翁ハ不見(み)エズ成(なり)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第五・P.99」岩波書店)

翁の姿はどこにも見えない。ただ、少しばかりだが水の量が急に増えて盥の縁からこぼれ落ち、水面には翁を縛り付けておいた麻縄だけが結び目を見せたまま浮かんでいるばかり。水の中に解けてしまったように見える。奇怪なこともあるものだと、皆は盥の水をこぼさないよう気を付けながらそのまま抱えて池の中に戻してやった。

「然レバ、盥ノ水多ク成テ、鉉(はた)ヨリ泛(こぼ)ル。縛(しばり)タル縄ハ、被結乍(ゆはれなが)ラ水ニ有リ。翁ハ水ニ成テ解(とけ)ニケレバ失(うせ)ヌ。人皆此(こ)レヲ見テ、驚キ奇(あやしび)ケリ。其ノ盥ノ水ヲバ、不泛(こぼ)サズシテ掻(かき)テ池ニ入(いれ)テケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第五・P.99~100」岩波書店)

それ以後、翁が出現することはなくなった。だからといって、池をきれいに掃除して整え直せば今度は若い美男子が出現するかといえばそんなことはないだろう。ともすれば繁茂しやすい浮草や菖蒲で茫々に荒れ果てるほど長く放っておいたぶん、或る時、池の中から翁は唐突に出現した。放置された年月と翁の年齢とが同じだというわけでもない。池は始めの頃、月の光を照らし返すほどたいそう美しい水面を誇って人々の目を楽しませていたのだろう。それが放置され見る見るうちに荒れ果て淀んだ、不気味で無惨な姿を晒している。高貴な人々にとってわざわざ造営された庭の池とは何か。それはどこからどのように流し込まれ何のために生かされてきたのか。頼りなく疲れ弱々しい笑みを浮かべる翁の姿は、そんな手酷い扱いを受けた池の代表者として生まれ出るほかなかった、或る種の「水の精」だったに違いない。「水の精」が小さく疲れ切った翁だとはよもや誰一人として考えたことはないかもしれない。自嘲にも似た弱々しい笑み。ほんのいっときの栄華が終わればもう二度と振り向いてすらもらえないのか。人間にとって水とは。また人間社会の中へ引き込まれた水にとって水であるとはどういうことか。

水にとって「水の精(たましい)」とは何か。水はただ流れる。何万年か何億年か知らないが、水は水自身で何か考える必要などありはしなかった。それがいつからか、わざわざ人前で何か告げに出て来なくてはならなくなった。その瞬間、のそのそ歩いてきた「水の精」の姿はもはや龍神でも何でもなく逆に小人に等しいばかりか、なおかつやつれ果てて死を待つばかりの翁でしかなかった。測り知れない太古の昔から水は流れていた。だから途方もない長寿を保っている翁であって何ら構わない。しかしなぜ弱り果てていたのだろうか。この翁は或る役割として生まれたに違いない。「水の精(たましい)」としての死に際を見せること。その役割を終えたと思われたその時、翁は池まで大事に運ばれ水の中へ帰されていった。人間を道連れに引きずり込む力さえもはやなかった。

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