白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/国境を越えた殺しの生霊・男性版シンデレラ

2021年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム
シンデレラは女性にのみ限った話ではない。貧乏男性が長者と化す話は普通報恩譚として語り継がれる。だがその中にシンデレラ系伝説の系列に属するのではと考えられるものが混在している場合もないではない。熊楠は「西暦九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語」の中に日本の「沙石集」から次の変換系類話を引いて紹介している。以前取り上げた。

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熊楠による熊野案内/シンデレラとは誰か

次に取り上げたいエピソードは「今昔物語」から。「今昔(いまはむかし)、京ヨリ美濃(みの)・尾張(をわり)ノ程ニ下(くだ)ラント為(す)ル下﨟(げらふ)有(あり)ケリ」。「下﨟(げらふ)」は下級身分の者を指す。「上﨟(じやうらふ)」の逆。ここでは男性。所用があって夜中から急いでいる。その急ぎ方がいかにも「下﨟(げらふ)」の生活様式らしく描かれ、なおかつ下級身分であることを意図的に強調するかのように書かれているところから始まる。

出かけようと道に出た時間帯はまだ真夜中。すると「大路(おほち)ニ、青バミタル衣(きぬ)着タル女房ノ裾(すそ)取(とり)タルガ、只独(ひと)リ」立っているのが見えた。女性は青味がかり動きやすいように腰から下のへりをカットして引き上げた衣装姿。「お急ぎのところごめんなさい。でもとても重要な事情でお尋ねしたいことがあるのです。道に迷ってしまいました。或る民部の大夫の屋敷へ案内して下さいませんか」と持ちかけてきた。貧乏男性はすでに出発してしまっていて相談された家へ行くには約1キロ近くも戻らなければならない。面倒に思いながらも仕方なく案内する。

女性は「わざわざ元の道を引き返し案内して下さってありがとう」と感謝の言葉を述べる。しかし夜明けにはまだ遠い時間帯でたった一人現れた女性の姿に、男性はどこか気味悪い印象が拭いきれない。女性は近江国(あふみのくに)のどこそこに住んでいるので東国へ下る際には是非とも寄って下さい。いきなりのことで気がかりに思ってらっしゃるだろうから、と言う。言うや否や掻き消えて失せた。

「女、『糸喜(いとうれ)シ』ト云テ行(ゆき)ケルガ、怪(あやし)ク、此ノ女ノ気怖(けおそろ)シキ様(やう)ニ思(おぼ)エケレドモ、『只有ル事ニコソハ』ト思(おもひ)て、此(か)ク云フ民部ノ大夫ノ家ノ門(かど)マデ送リ付(つけ)ツレバ、男、『此レゾ、其ノ人ノ家ノ門』ト云へば、女、『此(か)ク怱(いそぎ)テ物ノ御(おは)スル人ノ、態(わざ)ト返(かへり)テ此(ここ)マデ送リ付ケ給ヘル事、返々(かへすがへ)ス喜(うれ)シクナム。自(みづから)ハ、近江(あふみ)ノ国、ノ郡(こほり)ニ、其々(そこそこ)ニ有ル、然々(しかしか)ト云フ人ノ娘也。東(あづま)ノ方(かた)ヘ御(おは)セバ、其ノ道近キ所也、必ズ音(おと)ヅレ給ヘ。極(きはめ)テ不審(いぶかし)キ事ノ有ツレバナム』ト云(いひ)テ、前(まへ)ニ立(たち)タリト見ツル女ノ、俄(にはか)ニ掻消(かきけ)ツ失(うせ)ヌ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第二十・P.126」岩波書店)

男性は恐怖を感じる。請われるまま案内してきた屋敷の門前でやおら消えた女性。

「奇異(あさまし)キ態(わざ)カナ。門ノ開(あき)タラバコソハ門ノ内ニ入(いり)ヌルトモ可思(おもふべ)キニ、門ハ被閉(とぢられ)タリ。此(こ)ハ何(いか)ニ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第二十・P.126」岩波書店)

好奇心が湧いた。しばらく屋敷内の様子を窺ってしまう。と、屋敷内から俄(にはか)に泣き罵り合う叫声が聞こえたかと思うと再びしんと静まり返り、喩えるとすれば人間が死んだような気配が漂うばかり。稀有な事態かもしれないと思った男性は「暫(しばらく)ク徘徊(たちやすら)フ程ニ」=「うろうろしているうちに」夜が明けた。屋敷には「髴知(ほのしり)タル人」=「少しばかり知っている人」がいるので様子を尋ねてみた。その知人はいう。離縁して今は近江国にいらっしゃる方の「生霊(いきずたま)」が入ってきたようで、日頃は元気な主人なのだがどこか病み伏せてしまったかのように見えていたところ、暁方にはもう息を引き取られた。主人が最後にいうには、「どうも離縁した女の生霊(いきずたま)が出現したらしい」、と。思うのだが、余りにも顕著で鮮やかな殺害手法を持った生霊(いきずたま)のように感じた。

「近江ノ国ニ御(おは)スル女房ノ、生霊(いきずたま)入(いり)給ヒタルトテ、此ノ殿ノ、日来(ひごろ)不例(れいなら)ズ煩(わづら)ヒ給(たまひ)ツルガ、此ノ暁方(あかつきがた)ニ、『其ノ生霊現(あらはれ)タル景色有(あり)』ナド云(いひ)ツル程ニ、俄(にはか)ニ失給(うせたまひ)ヌル也。然(さ)ハ、此(か)ク新(あら)タニ人ヲバ取リ殺ス物ニコソ有(あり)ケレ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第二十・P.126~127」岩波書店)

そう聞かされた貧乏男性。さてはものの怪を案内してしまったかと思うと頭痛がしてきた。急ぎの用事だったが出かけるのは中止して一休みすることにした。それから三日ほど。気を取り直し、予定していたように美濃・尾張へ向かった。女性から是非にと言われていたので教えられた住所を尋ねると本当にその家はあった。その辺の人をつかまえて事情を告げさせたところ「然(さ)ル事有(ある)ラム」=「京から人が訪ねてくることもあるでしょう」との返事があり家の中へ呼ばれた。もともと高い身分らしく簾(すだれ)越しの面会だが、確かにあの夜の女性に間違いない。女性はいう。「その節はありがとうございました。おかげさまでとても悦ばしい思いをしています。この御恩は未来永劫忘れません」。さらに食事を提供された上、ふつうなら貧乏男性とは縁のない絹・布など何かと土産をどっさり持たせてもらった上で美濃・尾張方面へ向かった。東海道沿いになるので琵琶湖南部から東岸を北上するがあくまで近江と書かれているため、女性の住所は美濃との国境にある「不破ノ関」よりは南に位置したと思われる。

「寄(より)テ、人ヲ以(もつ)テ、『然々(しかしか)』ト云ヒ入(いれ)サセタリケレバ、『然(さ)ル事有(ある)ラム』トテ、呼入(よびい)レテ、簾超(すだれご)シニ会(あひ)テ、『有(あり)シ夜(よ)ノ喜ビハ、何(いづ)レノ世ニカ忘レ聞エム』ナド云(いひ)テ、物ナド食(く)ハセテ、絹・布ナド取(とら)セタリケレバ、男、極(いみじ)ク怖(おそろ)シク思(おもひ)ケレドモ、物ナド得テ、出デテ下(くだり)ニケリ」(「今昔物語集5・巻第二十七・第二十・P.127」岩波書店)

説話自体は「今昔物語」の「悪鬼」の部類に入っている。なるほど納得できない形で離縁されたと思われる女性は生霊(いきずたま)として京の都に出現する。ところが「道に迷った」という理由で、急ぎの用事を抱えて生きている貧乏男性をわざわざ選んで道案内させ、元夫を殺すという個別的目的を遂げるとともに、住所を丁寧に教えて是非とも立ち寄るように言っておき富裕層の持ち物を与える。「悪鬼」に分類されているためただの復讐劇に見えるかもしれない。しかし女性にとって許し難い屈辱を与えた元夫の殺害と引き換え得るに十分な等価性を持つであろう物品を貧乏男性に与えるという、男性版「シンデレラ」伝説と二重化されている点に注意を払いたいと考える。

さらになお、或るものの怪が人間を使って他のものの怪のところへ荷物を運ばせる説話も幾つかある。以前述べた。しかし今回取り上げた説話は人間以外の何者も出現していない。「生霊(いきずたま)」は死者の怨霊でもなければ鬼や妖怪でもない。生きている人間の「生霊(いきずたま)」だけが目的地へ行って帰ってくると共に、本人自身に「生霊(いきずたま)」だけが外へ出かけているという自覚がある。目的が殺しの場合、殺せばさっさと帰ってくるという特徴がある。この種のエピソードで最も有名な話は「今昔物語」より百二十年ほど前に書かれた「源氏物語」ですでに見られる。六条御息所の「御いきずたま」がそうだ。

「大(おほ)殿には、御もののけいたう起(お)こりて、いみじうわづらひ給(たまふ)。この御いきずたま、故父(こちち)おとどの御霊(らう)など言(い)ふものありと聞(き)き給(たまふ)につけて、おぼしつづくれば、身ひとつのうき嘆(なげ)きよりほかに、人をあしかれなど思(おも)ふ心もなけれど、物思(おも)ひにあくがるなるたましひは、さもやあらむ、とおぼし知(し)らるることもあり」(新日本古典文学大系「葵」『源氏物語1・P.303』岩波書店)

この箇所で六条御息所は「さもやあらむ、とおぼし知(し)らるる」と明確に意識している。もっとも、「シンデレラ伝説」とは関係がない。むしろ六条御息所は敗北した側であり、かといって死んで怨霊化するわけでもなく、ただ一人の愛人に過ぎない境涯がどのような形で終わりを告げるのかを知って死に去っていく。また本人は生きていて、その「生霊(いきずたま)」だけが彷徨い出るのは和泉式部も同じである。

「男に忘れられて侍りける比、きふねの宮に参りて、御手洗の河に蛍の飛侍けるを見て、

和泉式部

物思へは沢のほたるもわが身よりあくかれ出る玉かとそ見る」(日本古典文学体系「沙石集・補註・一三六・P.527」岩波書店)

とはいえ和泉式部の場合は逆に元気発剌で次の愛人を探しに全国を巡り歩くわけだが。

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