白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/変容する狐2

2021年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

京の都で雑役を務める無位の役人=「雑役男」(ざふしきをのこ)がいた。或る日の夕暮れ時、何か急用が出来たようで、その妻が一人で外へ出かけた。周囲はもう暗くなりかけている。黄昏時(たそがれどき)に当たる。柳田國男はいっている。

「黄昏(たそがれ)に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他(よそ)の国々と同じ。松崎村の寒戸(さむと)という所の民家にて、若き娘梨(なし)の樹の下に草履(ぞうり)を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、ある日親類知音(ちいん)の人々その家に集りてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりしゆえ帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留(とど)めず行き失(う)せたり。その日は風の烈(はげ)しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの婆(ばば)が帰って来そうな日なりという」(柳田國男「遠野物語・八」『柳田國男全集4・P.18~19』ちくま文庫)

夫(雑役男)は待っていたが妻はなかなか戻ってこない。遅いので何かあったのではと思っているとやがて家に帰ってきた。しばらくする今度は妻と瓜二つの女性がやって来た。夫の目からどこをどう見ても妻が二人いるように見える。奇怪に思った夫は二人の女性のうち一人は妻に化けた狐に違いないと考えた。そこでおそらく後からやって来た女性の側が狐だろうと考え太刀を取り出して斬り殺そうと身構えた。すると妻は「なぜ私を斬ろうなどと。どんな理由があってのことでしょう」と言って泣き出した。夫は次に先に帰ってきた妻に向かって刀を向けて斬ろうとした。今度もまた、なぜそのようなことをするのですかと泣き出されてしまった。

「男、大刀(たち)ヲ抜(ぬき)テ、後ニ入来タリツル妻ニ走リ懸(かか)リテ切ラムト為(す)レバ、其ノ妻、『此(こ)ハ何(い)カニ、我レヲバ此(かく)ハ為(す)ルゾ』ト云(いひ)テ泣ケバ、亦、前(さき)ニ入来タリツル妻ヲ切ラムトテ走懸(はしりかか)レバ、其(そ)レモ亦(また)手ヲ摺(すり)テ泣キ迷(まど)フ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第三十九・P.164~165」岩波書店)

夫は考えあぐねてしまう。しかしとにかく、先に帰ってきた妻の側がどうも怪しいと思われたので、ぐいと捕えたまま様子を見ていた。と、その女性は夫目がけて瞬時に勢いよく小便をぶっかけた。この世のものとは到底思われない悪臭を放っている。余りの臭さに手を離してしまった。その隙を突いて女性はたちまち狐の姿に変身、小口の隙間から道路に飛び出すや「こんこん」と鳴きながら逃げ去って行った。

「然レバ、男思ヒ繚(あつかひ)テ、此彼(とかく)騒グ程ニ、尚(なほ)、前ニ入来タリツル妻ノ怪(あやし)ク思(おぼ)エケレバ、其レヲ捕(とら)ヘテ居タル程ニ、其ノ妻、奇異(あさまし)ク臭(くさ)キ尿(ゆばり)ヲ散(さ)ト馳懸(はせかけ)タリケレバ、夫、臭サニ不堪(たへ)ズシテ打免(うちゆるし)タリケル際(きは)ニ、其ノ妻忽(たちまち)ニ狐ニ成(なり)テ、戸ノ開(あき)タリケルヨリ大路ニ走リ出(いで)テ、『コウコウ』ト鳴(なき)逃去(にげさり)ニケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第三十九・P.165」岩波書店)

なお、妖怪〔鬼・ものの怪〕特有の強烈な「臭い」については前回も取り上げたように「牛頭」の鬼のケースが有名。

「夜半(やはん)に成ぬらむと思ふ程に、聞けば、壁を穿(うがち)て入る者有り。其の香(か)極(きわめ)て臭し。其の息、牛の鼻息を吹き懸(かく)るに似たり。然れども、暗(くら)ければ、其の体(すがた)をば何者(なにもの)と不見(みえ)ず。既に入り来(きたり)て、若き僧に懸(か)かる。僧大(おお)きに恐(お)ぢ怖(おそ)れて、心を至して法花経(ほけきよう)を誦(じゆ)して、『助け給へ』と念ず。而るに、此の者、若き僧をば棄(す)てて、老たる僧の方(かた)に寄(より)ぬ。鬼、僧を爴(つか)み刻(きざみ)て忽(たちまち)に噉(くら)ふ。老僧(おいたるそう)、音(こえ)を挙(あげ)て大きに叫ぶと云えども、助くる人無くして、遂(つい)に被噉(くらわれ)ぬ」(「今昔物語集・本朝部(上)・巻第十七・第四十二・P.358」岩波文庫)

原文を見ると、例によって例のごとく、仏教説話にありがちな当たり障りのない教訓で終わっている。二人の女性を両方とも縛り付けて放置しておけばどちらかが我慢しきれず狐の正体を現わしたはずなのに、早る気を抑えないままなぜ刀など抜いて脅してしまったのかと。

「暫(しばら)く思ヒ廻(めぐら)シテ、二人ノ妻ヲ捕ヘテ縛(しば)リ付(つけ)テ置(おき)タラマシカバ、終(つひ)ニハ顕(あらは)レナマシ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第三十九・P.165」岩波書店)

前回取り上げた説話同様、妖怪〔鬼・ものの怪〕は刀の刃を怖れると言われていた頃の話である。また「牛頭」の鬼の場合は法華経が効果を発揮するとされている。刀剣と仏教経典。いずれも外来のもので高貴な人々の間で信仰対象の上位に位置づけられるに至った経緯を持つ。そしてそれらによってもともと列島各地にいた先住民並びに太古の昔からその土地に根付いていた種々様々な土着の信仰はどんどん山間部へ追い込まれていった歴史がある。ところが彼らはしばしば都の真ん中に忽然と姿を現わし、或る時は悪戯(いたずら)っ子のように振る舞い、また或る時は都に住む人間を誘拐し去った。そしてまた狐でなくとも妖怪〔鬼・ものの怪〕は真夜中の大内裏へ堂々と出現し、若い女性の手足をばらばらにし胴体だけを消滅させるという殺人事件を起こし、わざわざ披露して見せている。しかし、狐が時々都の真ん中まで出没するようになったのはどうしてなのか。芥川龍之介「芋粥」(いもがゆ)の元種として有名な「今昔物語」所収「利仁将軍若時従京敦賀将行五位語」。原文でも狐の活躍が描かれている。

藤原利仁(としひと)が若かった頃、或る大臣に長く仕えている五位侍(ごゐさぶらひ)が一度暑預粥(いもかゆ)を思い切り食ってみたいものだと嘆息するのを聞いた。それならいいところがあるので連れて行って差し上げようと誘った。粟田口(あはたぐち)から都を出て山科(やましな)を通り過ぎ逢坂山の関を越え近江国の三井寺までやって来た。五位侍は利仁にまだ着かないのかなと尋ねてみた。すると利仁はいう。実をいえば目的地は越前国の敦賀にあると。到着すればすぐ食えるよう先に伝令を送っておくことにしましょう。利仁はそう言って馬を進め、「三津(みつ)ノ浜」(現・滋賀県大津市下阪本の琵琶湖に面した船着場)に差し掛かった辺りで一疋の狐を捕えた。そして狐に向かって命じる。所用で敦賀に行く途中なのだが客が一人同行するので、高島(現・滋賀県高島市)付近で二人分の馬に鞍を置いて準備して待っておくよう先に敦賀の館まで走って行って要件を伝えておいてくれまいかと。すると狐は承知したようで何度かこちらを振り返って見ていたかと思うとまたたく間に走り去った。

「然(さ)テ行(ゆく)程ニ、三津(みつ)ノ浜ニ狐一ツ走リ出(いで)タリ。利仁、此(これ)ヲ見テ、『吉使(よきつかひ)出来(いでき)ニタリ』ト云テ、狐ヲ押懸(おしかく)レバ、狐、身ヲ棄(すて)テ逃(にぐ)トイヘドモ、只責(せめ)ニ被責(せめられ)テ、否不逃遁(えにげのがれぬ)ヲ、利仁、馬ノ腹ニ落下(おちさがり)テ、狐ノ尻ノ足ヲ取(とり)テ引上(ひきあげ)ツ。乗(のり)タル馬、糸賢(いとかしこ)シト不見(みえね)ドモ、極(いみじ)キ一物(いちもつ)ニテ有ケレバ、幾(いくばく)モ不延サ(のばさず)。五位、狐ヲ捕ヘタル所ニ馳着(はせつき)タレバ、利仁、狐ヲ提(ひさげ)テ云ク、『汝(なむ)ヂ狐、今夜(こよひ)ノ内ニ、利仁ガ敦賀ノ家ニ罷(まかり)テ云(いは)ム様(やう)ハ、俄(にはか)ニ客人(まらうと)具(ぐ)シ奉(たてまつり)テ下ル也。明日ノ巳時(みのとき)ニ、高島(たかしま)ノ辺(わたり)ニ男共(をのこども)迎ヘニ、馬二疋(ひき)鞍置(おき)テ、可詣来(まうできたるべし)ト。若(もし)此(これ)ヲ不云(いはず)ハ、汝(なむぢ)狐、只試(こころみ)ヨ。狐ハ変化(へんぐゑ)有(ある)者ナレバ、必ズ今日ノ内ニ行着(ゆきつき)テイヘ』トテ放(はな)テバ、五位、『広量(くわういやう)ノ御使哉(つかひかな)』トイヘバ、利仁『今御覧(ごらん)ゼヨ。不罷(まから)デハ否有(えあら)ジ』ト云(いふ)ニ合(あはせ)て、狐、実(まこと)ニ見返々々(みかへるみかへる)前(さき)ニ走テ行(ゆく)、ト見(みる)程ニ失(うせ)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十六・第十七・P.70~71」岩波書店)

二人は一日かけて敦賀へ到着。案内されて暑預粥(いもかゆ)を堪能した五位侍は喜悦の絶頂。それを見ていた利仁は向かい側の家の軒から一疋の狐がそっと覗いているのを見つける。昨日伝令に遣わした狐だと見た利仁は周囲の者に命じてあの狐に食べ物を与えてやれという。狐に食事を差し出してやるとぱくぱく平らげた。そしてすぐその場を去って行った。

「而(しか)ル間、向(ぬか)ヒナル屋(や)ノ檐(のき)、狐指臨(さしのぞ)キ居タルヲ、利仁見付テ、『御覧ゼヨ、昨日ノ狐ノ見参(げんざん)スルヲ』トテ、『彼(か)レニ物食(くは)セヨ』ト云へば、食ハスルヲ打食(うちくひ)テ去(さり)ニケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十六・第十七・P.74」岩波書店)

要するに問題は食料事情である。狐は普段、そう簡単に人間の住む里の路上へやって来て無防備な姿を見せながらうろうろしたりはしない。それが三津浜の船着場まで出てきている。食糧難は里ばかりでなく猿や狐や鹿が住む山間部で同時に起こる。さらに狐はなぜ「下阪本」と「高島」との境界線で出現したのか。比叡山と比良山との境界線は特に雪の降り始める季節の朝方などにはっきりわかるが、琵琶湖を挟んで西岸に当たる今の大津市からはよくわからないけれども、東岸に当たる今の草津市や守口市から見れば、比叡山はまだ黒々とした森林がうずくまった山容を湛えているばかりでしかないにもかかわらず比良山はすっかり雪を冠した白銀の山岳地帯に映って見える。そして比良山の麓には古来、道祖神として、また塞神(さえのかみ)として信仰されてきた白髭神社がある。そこが近江国の中にありながら、京の都の風土と越前・越中・越後へ続く北国独特の風土とを東西に横切る境界線ゆえ、狐が登場して先に伝令として活躍するにふさわしい場は三津浜辺りに絞られてくるのである。

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