前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。
「讃岐国(さぬきのくに)那珂郡(なかのこおり)」の「万能(まの)の池」という巨大な溜池には大小たくさんの魚たちが住んでいた。また、竜の栖(すみか)でもあった。今の香川県仲多度郡まんのう町「満濃池(まんのういけ)」。説話では空海創築とされているが、大宝年間(七〇一年から七〇四年頃)に讃岐国国守・道守朝臣が創築。ただし空海もまったく無関係ではなく弘仁十二年(八二一年)の改修工事に関わっている。
或る日、万能(まの)池に棲んでいる竜が池から出てきて、ひっそりした堤(つつみ)のそばで「小蛇(ちいさきへみ)」の姿に成り換わり、とぐろを巻いて日向ぼっこしていた。
「其池に住ける竜、日に当(あた)らむと思(おもい)けるにや、池より出て、人離(はなれ)たる堤の辺(ほとり)に小蛇(ちいさきへみ)の形にて、蟠(わだかま)り居たりけり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.170」岩波文庫)
一方、近江国(おうみのくに)比良山(ひらさん)に棲んでいる天狗が鵄(とび)の姿で溜池上空を飛び廻っていた時、その小蛇(ちいさきへみ)の姿が目に入った。すると鵄姿の天狗は高い空をから急降下し、鋭い爪で小蛇を捕えるやあっという間もなく遥か上空へ連れ去った。
「其時に、近江(おうみ)の国、比良(ひら)の山に住ける天狗、鵄(とび)の形として其池の上を飛廻(とびめぐ)るに、堤に此の小蛇の蟠(わだかまり)て有るを見て、鵄(とび)反下(そりおり)て、俄(にわかに)掻き抓(つかみ)て、遥(はるか)に空に昇(のぼり)ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.170」岩波文庫)
「近江国(おうみのくに)比良(ひら)の山」は今の滋賀県比良山。古くから「次郎坊(じろうぼう)」という名の天狗がいるとされていた。
「平野(ひらの)山の大天狗(てんぐ)」(新日本古典文学体系「未来記」『舞の本・P.306』岩波書店)
次郎坊(じろうぼう)というからには太郎坊(たろうぼう)が先にいるに違いない。その通り、太郎坊はいた。が、本拠地は京(みやこ)の北部に位置する古くからの山岳霊場・愛宕山(あたごやま)。今の京都市右京区愛宕山。
「愛宕(あたご)の山の太郎坊(たらうぼう)」(新日本古典文学体系「未来記」『舞の本・P.306』岩波書店)
鵄(とび)姿の天狗が掴み取った小蛇はそもそも竜。だがびっくりしたのは日向ぼっこしていた竜の側。思いもよらぬ空からの急襲に合って連れ去られていくばかり。一方、天狗が掴み取ったと思った獲物は見た目こそなるほど小蛇だがその実力は竜。なので、爪で砕いてとっとと喰ってしまうつもりがなかなか上手くいかず、差し当たり比良山まで持って帰り、身動きもままならない狭い峒(ほら)の中へ閉じ込めておくことにした。竜はなす術がない。さらにそこには一滴の水もないため何一つ補給できず空へ飛翔して飛び去ることは絶望的。後はもう死ぬのを待つばかりの状況下で四、五日が過ぎた。
「狭(せば)き峒(ほら)の可動(うごくべ)くも非(あら)ぬ所に打籠置(うちこめおき)つれば、竜狭(せば)く破無(わりな)くして居たり、一渧(いつてい)の水も無(なけれ)ば、空を翔(かけ)る事も無し。只、死なむ事を待(まち)て、四、五日有り」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.170~171」岩波文庫)
その間、天狗は貴人に匹敵するような僧を掴み取るべく、比良山の南隣の比叡山の「東塔(とうとう)=今の根本中堂周辺」で修行している僧に目を付けた。夜に近づいて様子を伺っていると崖に寄りかかるように建っている僧房の縁側へ小便に出てきた僧がいる。僧が小便を済ませて手を洗っていたところ、天狗は不意に飛びかかり爪で搔き掴んで比良山へ一挙に連れ去った。僧はいつも身に付けている「水瓶(すいびよう)」=「水を入れる容器」を手にしたまま持って行かれ、狭苦しい洞(ほら)の中に閉じ込められた。「もはや殺されるだけだ」と絶望的である。天狗は僧をそこへ置き去りにしてまたどこかへ去った。
「夜(よ)る東塔(とうとう)の北谷(きただに)に有ける高き木に居て伺(うかが)ふ程に、其向(むかい)に造り懸(かけ)たる房(ぼう)有。其坊に有僧、挺(えん)に出(いずる)に、小便をして手を洗わむが為、水瓶(すいびよう)を持(もち)て、手を洗(あらい)て入るを、此の天狗木より飛来(とびきたり)て、僧を掻き抓(つかみ)て、遥(はるか)に比良の山の栖(すみか)の洞(ほら)に将(い)て行て、竜の有る所に打置つ。僧水瓶を持ち乍(なが)ら、我れにも非で居たり。『我今は限(かぎり)ぞ』と思ふ程に、天狗は僧を置くままに去(さり)ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.171」岩波文庫)
洞(ほら)の内部は暗い。僧が憂鬱な気分になっていると他に何物かの声がする。先に連れ去られて閉じ込められている竜だ。お互い自己紹介し合う。僧はいう。「我れは比叡の山の僧也」。竜もいう。「我は讃岐の国、万能の池に住(すむ)竜也」。僧が見ると竜はたいそう弱っているらしい。ここは狭過ぎて身動きがならず、なす術がない。一滴の水もないので力が出ず、空を飛翔することさえもはやできないと嘆いている。一方、僧は手を洗っている時に連れ去られたため水瓶を持っている。竜の話を聞いてやり、もしかしたら水瓶の中に一滴の水が残っているかもと言うと、竜は喜んで言う。「お互い囚われの身、さらに私はもう死ぬ間際。が、お互いに命ばかりは助かる機会を得たようだ。もし一滴の水が残っていればそなたを必ず元の居場所へ送り届けましょう。間違いなく」。
「我此所(このところ)にして日来(ひごろ)経(へ)て、既に命終(おわり)なむと為(す)るに、幸(さいわい)に来会(きたりあ)ひて、互に命を助く事を可得(うべ)し。若し一渧の水有らば、必(かならず)汝(なんじ)本(もと)の栖(すみか)に可将至(いていたるべ)し」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.172」岩波文庫)
僧が水瓶を傾けてみると水が一滴残っていた。竜はそれを乞い受けて飲み干すや立ちどころに元気回復し、このご恩は永遠に忘れませんと誓って僧にいう。「けっして怖がらず目を閉じて私に掴まっていて下さい」。すると竜はたちまち「小童(こわらわ)」姿に成り換わり、僧を背負って洞を蹴り破り外へ出る。同時に稲妻が走り雷鳴が轟き渡り、空は掻き曇り土砂降りの雨になった。僧は「あわわ」と恐れをなしたが竜の言ったことを信じて我慢している。と、瞬時にして比叡山の元いた房の縁側に到着、そのままただちに竜は去った。
「竜忽(たちまち)に小童(こわらわ)の形と現じて、僧を負(おい)て、峒(ほら)を蹴破(けやぶり)て出る間、雷電霹靂(らいでんへきれき)して、空陰(くも)り雨降る事甚(はなは)だ怪し。僧身振(みふる)ひ肝迷(きもまどい)て、『怖し』と思ふと云へども、竜を睦(むつ)び思ふが故(ゆえ)に、念じて被負(おわれ)て行く程に、須臾(しゆゆ)に比叡の山の本(もと)の坊に至ぬ。僧を延(えん)に置て、竜は去ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.172」岩波文庫)
僧坊にいた他の僧らは急変した天候の中に落雷したと思うや否や土砂降りのため周囲は真っ暗。しばらく待っているうちに空は晴れ渡ってきた。そこで辺りの様子を見て廻る。すると昨夜突然行方不明になった僧が縁側にいる。
「彼の房の人、雷電霹靂して房に懸(かかる)と思程に(おもうほど)に、俄(にわか)に坊の辺暗(やみ)の夜の如く成ぬ。暫許(しばしばかり)有て晴たるに見(みれ)ば、一夜俄(にわか)に失(うせ)にし僧、延に有り」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.172~173」岩波文庫)
その後、竜は天狗に報復するため探していると、京で人々を集めて寄進を募って歩いている一人の荒法師(あらほうし)を見付けた。「きっとあれだ、天狗のやつ」と竜は急降下してその怪しげな荒法師を蹴り殺した。荒法師姿の物は瞬時に正体を曝かれた。それは翼の折れた「屎鵄(くそとび)」=「馬糞鷹(まぐそだか)」だった。都の雑踏の中で大勢の人々が行き交っている。そのうち踏み荒らされて跡形も見えなくなった。
「其後、竜彼(か)の天狗の怨(あた)を報ぜむが為に、天狗を求むるに、天宮(てんぐ)、京に知識を催(もよお)す荒法師(あらほうし)の形と成て行(あるき)けるを、竜降(おり)て蹴殺(けころ)してけり。然れば、翼(つばさ)折れたる屎鵄(くそとび)にてなむ、大路に被踏(ふまれ)ける」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.173」岩波文庫)
さて。天狗についてただ単なる悪者と見るのは余りにも早計であり、なぜこの種の説話がわざわざ語り継がれてきたかの意味さえ見失ってしまうだろう。むしろ列島各地から東アジアの広域に渡って古くから根付いていたのは山岳修験道の側であり、中国由来の仏教はその後から輸入された経緯がある。様々な先住民が暮らしていた列島各地の信仰は、遥か遠くの古代ギリシアや中央アジア山岳地帯で発生したような山神・仙人の遊行とほとんど変わらない形態から始まった。
天狗はあらかじめ天狗として悪者扱いされていたわけではまったくない。そうではなく、天狗そのものは始めからどこにもいなかった。ずっと遠い昔、先住民や海を渡って到来してきた列島の人々の生活様式が否定され仏教勢力によって駆逐されていく過程で敗者となったその瞬間、悪者としての天狗が歴史上始めて出現したと言える。日本ではその代表格として今なお「大江山の酒呑童子」、「那須野の玉藻前(たまものまえ)」など、人気者は後を絶たない。それはとりもなおさず、唯一の信仰こそが正義であるといわんばかりの独りよがりな宗教に対して必然的に生じてくるし生じてこないわけにはいかない歴史的原理が説話物語化されたものに他ならない。比良山や愛宕山を山岳道場とする天狗がもしいなかったとすれば、一方で特に比叡山の僧侶の存在感が際立つこともなかったに違いないのと同じである。両者はそれぞれ自覚のあるなしに関わらず互いが互いの引き立て役を演じてしまっているのだ。しかしそうであってこそ始めて歴史が始まることもまた事実である。
そんなわけで、この説話ではまず第一に、竜の変化について述べておくべきかと思われる。「竜」から「小蛇(ちいさきへみ)」への転化。また、「小蛇(ちいさきへみ)」から「小童(こわらわ)」へのさらなる転化。そしてようやく「小童(こわらわ)」から「竜」への復帰。また、天狗の正体を曝く特権的役割はこの竜に与えられている。諸商品の無限の系列から特権的貨幣として出現するのは「讃岐国(さぬきのくに)万能(まの)の池」に棲んでいたとされる竜。なお、竜が一度「童子」に《なる》箇所はその特権性の象徴でもある。童子は男性でもなく女性でもない両性具有者として、とりわけ世界史の中では並外れた脅威的存在として畏怖されてきた。その意味では逆に迫害対象ともなった。最上級から最下級まであらゆる変化を遂げていく超人的存在だ。古代ギリシアのヘルメスのように。
第二に天狗の変化について。まず「天狗」は「鵄(とび)」として讃岐国上空に出現する。次に「鵄(とび)」のまま比叡山の僧を掴み取り比良山の洞(ほら)へ閉じ込める。そしてさらに京へ出て「荒法師」へも転化する。「荒法師」に化けているところをみぬかれた天狗は竜によって「屎鵄(くそとび)」=「馬糞鷹(まぐそだか)」として正体を曝かれ、人ごみの中へ消え失せていく。
いずれにしても妖怪〔鬼・ものの怪〕の一種としてそれぞれ独特の力を動かしたことに間違いはない。しかもなおそっくりのケースが実際の日本史に出てくる。政治権力者=源頼朝、その弟牛若(うしわか)、鬼若(おにわか)=弁慶との関係がそれに当たる。頼朝は牛若・弁慶を散々利用した挙句、政権を樹立するや牛若・鬼若ともに暗殺してしまう。しかし注目すべきは牛若・鬼若ともに鞍馬山に預けられた山の側から出現しなくてはならない点。山人・山神という「過剰=逸脱」した力の持ち主として登場してこなければならないという、日本独特の或る事情、熊野がそうであるような民族創造神話に関わる重大でなおかつ転倒した事情を背負うことによってのみ、始めて歴史は動き出すほかない。
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「讃岐国(さぬきのくに)那珂郡(なかのこおり)」の「万能(まの)の池」という巨大な溜池には大小たくさんの魚たちが住んでいた。また、竜の栖(すみか)でもあった。今の香川県仲多度郡まんのう町「満濃池(まんのういけ)」。説話では空海創築とされているが、大宝年間(七〇一年から七〇四年頃)に讃岐国国守・道守朝臣が創築。ただし空海もまったく無関係ではなく弘仁十二年(八二一年)の改修工事に関わっている。
或る日、万能(まの)池に棲んでいる竜が池から出てきて、ひっそりした堤(つつみ)のそばで「小蛇(ちいさきへみ)」の姿に成り換わり、とぐろを巻いて日向ぼっこしていた。
「其池に住ける竜、日に当(あた)らむと思(おもい)けるにや、池より出て、人離(はなれ)たる堤の辺(ほとり)に小蛇(ちいさきへみ)の形にて、蟠(わだかま)り居たりけり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.170」岩波文庫)
一方、近江国(おうみのくに)比良山(ひらさん)に棲んでいる天狗が鵄(とび)の姿で溜池上空を飛び廻っていた時、その小蛇(ちいさきへみ)の姿が目に入った。すると鵄姿の天狗は高い空をから急降下し、鋭い爪で小蛇を捕えるやあっという間もなく遥か上空へ連れ去った。
「其時に、近江(おうみ)の国、比良(ひら)の山に住ける天狗、鵄(とび)の形として其池の上を飛廻(とびめぐ)るに、堤に此の小蛇の蟠(わだかまり)て有るを見て、鵄(とび)反下(そりおり)て、俄(にわかに)掻き抓(つかみ)て、遥(はるか)に空に昇(のぼり)ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.170」岩波文庫)
「近江国(おうみのくに)比良(ひら)の山」は今の滋賀県比良山。古くから「次郎坊(じろうぼう)」という名の天狗がいるとされていた。
「平野(ひらの)山の大天狗(てんぐ)」(新日本古典文学体系「未来記」『舞の本・P.306』岩波書店)
次郎坊(じろうぼう)というからには太郎坊(たろうぼう)が先にいるに違いない。その通り、太郎坊はいた。が、本拠地は京(みやこ)の北部に位置する古くからの山岳霊場・愛宕山(あたごやま)。今の京都市右京区愛宕山。
「愛宕(あたご)の山の太郎坊(たらうぼう)」(新日本古典文学体系「未来記」『舞の本・P.306』岩波書店)
鵄(とび)姿の天狗が掴み取った小蛇はそもそも竜。だがびっくりしたのは日向ぼっこしていた竜の側。思いもよらぬ空からの急襲に合って連れ去られていくばかり。一方、天狗が掴み取ったと思った獲物は見た目こそなるほど小蛇だがその実力は竜。なので、爪で砕いてとっとと喰ってしまうつもりがなかなか上手くいかず、差し当たり比良山まで持って帰り、身動きもままならない狭い峒(ほら)の中へ閉じ込めておくことにした。竜はなす術がない。さらにそこには一滴の水もないため何一つ補給できず空へ飛翔して飛び去ることは絶望的。後はもう死ぬのを待つばかりの状況下で四、五日が過ぎた。
「狭(せば)き峒(ほら)の可動(うごくべ)くも非(あら)ぬ所に打籠置(うちこめおき)つれば、竜狭(せば)く破無(わりな)くして居たり、一渧(いつてい)の水も無(なけれ)ば、空を翔(かけ)る事も無し。只、死なむ事を待(まち)て、四、五日有り」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.170~171」岩波文庫)
その間、天狗は貴人に匹敵するような僧を掴み取るべく、比良山の南隣の比叡山の「東塔(とうとう)=今の根本中堂周辺」で修行している僧に目を付けた。夜に近づいて様子を伺っていると崖に寄りかかるように建っている僧房の縁側へ小便に出てきた僧がいる。僧が小便を済ませて手を洗っていたところ、天狗は不意に飛びかかり爪で搔き掴んで比良山へ一挙に連れ去った。僧はいつも身に付けている「水瓶(すいびよう)」=「水を入れる容器」を手にしたまま持って行かれ、狭苦しい洞(ほら)の中に閉じ込められた。「もはや殺されるだけだ」と絶望的である。天狗は僧をそこへ置き去りにしてまたどこかへ去った。
「夜(よ)る東塔(とうとう)の北谷(きただに)に有ける高き木に居て伺(うかが)ふ程に、其向(むかい)に造り懸(かけ)たる房(ぼう)有。其坊に有僧、挺(えん)に出(いずる)に、小便をして手を洗わむが為、水瓶(すいびよう)を持(もち)て、手を洗(あらい)て入るを、此の天狗木より飛来(とびきたり)て、僧を掻き抓(つかみ)て、遥(はるか)に比良の山の栖(すみか)の洞(ほら)に将(い)て行て、竜の有る所に打置つ。僧水瓶を持ち乍(なが)ら、我れにも非で居たり。『我今は限(かぎり)ぞ』と思ふ程に、天狗は僧を置くままに去(さり)ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.171」岩波文庫)
洞(ほら)の内部は暗い。僧が憂鬱な気分になっていると他に何物かの声がする。先に連れ去られて閉じ込められている竜だ。お互い自己紹介し合う。僧はいう。「我れは比叡の山の僧也」。竜もいう。「我は讃岐の国、万能の池に住(すむ)竜也」。僧が見ると竜はたいそう弱っているらしい。ここは狭過ぎて身動きがならず、なす術がない。一滴の水もないので力が出ず、空を飛翔することさえもはやできないと嘆いている。一方、僧は手を洗っている時に連れ去られたため水瓶を持っている。竜の話を聞いてやり、もしかしたら水瓶の中に一滴の水が残っているかもと言うと、竜は喜んで言う。「お互い囚われの身、さらに私はもう死ぬ間際。が、お互いに命ばかりは助かる機会を得たようだ。もし一滴の水が残っていればそなたを必ず元の居場所へ送り届けましょう。間違いなく」。
「我此所(このところ)にして日来(ひごろ)経(へ)て、既に命終(おわり)なむと為(す)るに、幸(さいわい)に来会(きたりあ)ひて、互に命を助く事を可得(うべ)し。若し一渧の水有らば、必(かならず)汝(なんじ)本(もと)の栖(すみか)に可将至(いていたるべ)し」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.172」岩波文庫)
僧が水瓶を傾けてみると水が一滴残っていた。竜はそれを乞い受けて飲み干すや立ちどころに元気回復し、このご恩は永遠に忘れませんと誓って僧にいう。「けっして怖がらず目を閉じて私に掴まっていて下さい」。すると竜はたちまち「小童(こわらわ)」姿に成り換わり、僧を背負って洞を蹴り破り外へ出る。同時に稲妻が走り雷鳴が轟き渡り、空は掻き曇り土砂降りの雨になった。僧は「あわわ」と恐れをなしたが竜の言ったことを信じて我慢している。と、瞬時にして比叡山の元いた房の縁側に到着、そのままただちに竜は去った。
「竜忽(たちまち)に小童(こわらわ)の形と現じて、僧を負(おい)て、峒(ほら)を蹴破(けやぶり)て出る間、雷電霹靂(らいでんへきれき)して、空陰(くも)り雨降る事甚(はなは)だ怪し。僧身振(みふる)ひ肝迷(きもまどい)て、『怖し』と思ふと云へども、竜を睦(むつ)び思ふが故(ゆえ)に、念じて被負(おわれ)て行く程に、須臾(しゆゆ)に比叡の山の本(もと)の坊に至ぬ。僧を延(えん)に置て、竜は去ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.172」岩波文庫)
僧坊にいた他の僧らは急変した天候の中に落雷したと思うや否や土砂降りのため周囲は真っ暗。しばらく待っているうちに空は晴れ渡ってきた。そこで辺りの様子を見て廻る。すると昨夜突然行方不明になった僧が縁側にいる。
「彼の房の人、雷電霹靂して房に懸(かかる)と思程に(おもうほど)に、俄(にわか)に坊の辺暗(やみ)の夜の如く成ぬ。暫許(しばしばかり)有て晴たるに見(みれ)ば、一夜俄(にわか)に失(うせ)にし僧、延に有り」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.172~173」岩波文庫)
その後、竜は天狗に報復するため探していると、京で人々を集めて寄進を募って歩いている一人の荒法師(あらほうし)を見付けた。「きっとあれだ、天狗のやつ」と竜は急降下してその怪しげな荒法師を蹴り殺した。荒法師姿の物は瞬時に正体を曝かれた。それは翼の折れた「屎鵄(くそとび)」=「馬糞鷹(まぐそだか)」だった。都の雑踏の中で大勢の人々が行き交っている。そのうち踏み荒らされて跡形も見えなくなった。
「其後、竜彼(か)の天狗の怨(あた)を報ぜむが為に、天狗を求むるに、天宮(てんぐ)、京に知識を催(もよお)す荒法師(あらほうし)の形と成て行(あるき)けるを、竜降(おり)て蹴殺(けころ)してけり。然れば、翼(つばさ)折れたる屎鵄(くそとび)にてなむ、大路に被踏(ふまれ)ける」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第十一・P.173」岩波文庫)
さて。天狗についてただ単なる悪者と見るのは余りにも早計であり、なぜこの種の説話がわざわざ語り継がれてきたかの意味さえ見失ってしまうだろう。むしろ列島各地から東アジアの広域に渡って古くから根付いていたのは山岳修験道の側であり、中国由来の仏教はその後から輸入された経緯がある。様々な先住民が暮らしていた列島各地の信仰は、遥か遠くの古代ギリシアや中央アジア山岳地帯で発生したような山神・仙人の遊行とほとんど変わらない形態から始まった。
天狗はあらかじめ天狗として悪者扱いされていたわけではまったくない。そうではなく、天狗そのものは始めからどこにもいなかった。ずっと遠い昔、先住民や海を渡って到来してきた列島の人々の生活様式が否定され仏教勢力によって駆逐されていく過程で敗者となったその瞬間、悪者としての天狗が歴史上始めて出現したと言える。日本ではその代表格として今なお「大江山の酒呑童子」、「那須野の玉藻前(たまものまえ)」など、人気者は後を絶たない。それはとりもなおさず、唯一の信仰こそが正義であるといわんばかりの独りよがりな宗教に対して必然的に生じてくるし生じてこないわけにはいかない歴史的原理が説話物語化されたものに他ならない。比良山や愛宕山を山岳道場とする天狗がもしいなかったとすれば、一方で特に比叡山の僧侶の存在感が際立つこともなかったに違いないのと同じである。両者はそれぞれ自覚のあるなしに関わらず互いが互いの引き立て役を演じてしまっているのだ。しかしそうであってこそ始めて歴史が始まることもまた事実である。
そんなわけで、この説話ではまず第一に、竜の変化について述べておくべきかと思われる。「竜」から「小蛇(ちいさきへみ)」への転化。また、「小蛇(ちいさきへみ)」から「小童(こわらわ)」へのさらなる転化。そしてようやく「小童(こわらわ)」から「竜」への復帰。また、天狗の正体を曝く特権的役割はこの竜に与えられている。諸商品の無限の系列から特権的貨幣として出現するのは「讃岐国(さぬきのくに)万能(まの)の池」に棲んでいたとされる竜。なお、竜が一度「童子」に《なる》箇所はその特権性の象徴でもある。童子は男性でもなく女性でもない両性具有者として、とりわけ世界史の中では並外れた脅威的存在として畏怖されてきた。その意味では逆に迫害対象ともなった。最上級から最下級まであらゆる変化を遂げていく超人的存在だ。古代ギリシアのヘルメスのように。
第二に天狗の変化について。まず「天狗」は「鵄(とび)」として讃岐国上空に出現する。次に「鵄(とび)」のまま比叡山の僧を掴み取り比良山の洞(ほら)へ閉じ込める。そしてさらに京へ出て「荒法師」へも転化する。「荒法師」に化けているところをみぬかれた天狗は竜によって「屎鵄(くそとび)」=「馬糞鷹(まぐそだか)」として正体を曝かれ、人ごみの中へ消え失せていく。
いずれにしても妖怪〔鬼・ものの怪〕の一種としてそれぞれ独特の力を動かしたことに間違いはない。しかもなおそっくりのケースが実際の日本史に出てくる。政治権力者=源頼朝、その弟牛若(うしわか)、鬼若(おにわか)=弁慶との関係がそれに当たる。頼朝は牛若・弁慶を散々利用した挙句、政権を樹立するや牛若・鬼若ともに暗殺してしまう。しかし注目すべきは牛若・鬼若ともに鞍馬山に預けられた山の側から出現しなくてはならない点。山人・山神という「過剰=逸脱」した力の持ち主として登場してこなければならないという、日本独特の或る事情、熊野がそうであるような民族創造神話に関わる重大でなおかつ転倒した事情を背負うことによってのみ、始めて歴史は動き出すほかない。
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